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だいじょうぶよ・神山眞/第75回 正利との面会

■月刊「記録」2005年12月号掲載記事

*           *           *

 初めての場所、初めての入り口、そういった場所に足を踏み込むとき、いつもだったら入ることに戸惑い、行ったり来たりを繰り返してしまうぼくが、今日は違った。
 はやく正利に会いたい。1分でも1秒でもはやく正利に会いたかった。

■差し出されたわら半紙

 まるで昭和初期で時間が止まってしまったかのような、古ぼけた薄暗い病院だった。自分が入院するとしたら、ちょっとためらってしまいそうだ。外来のドアをくぐると、昔の日本映画に登場しそうな待合室があり、受付には60歳は過ぎているであろう女性がポツンと一人。
「すみません。先ほどお電話した神山という者です。正利君の面会に来ました」
 そう告げると、「ここに名前と時間を記入してください」と、何も書かれていないただのわら半紙を差し出された。
 わら半紙……。久々にお目にかかったと思いつつ、もちろんそんな素振りはみじんももらさず素直に記入すると、味も素っ気もない無愛想な態度で、「2階の談話室に上がってください。階段はあっちです」と言われた。 建物も暗ければ人も暗い。談話室に行くまでの壁や床もシミだらけで、病院とは思いたくない汚さだ。いくら病院のなかでも、最も儲からないといわれる精神を病んでいる人たちの施設とはいえ、ここまでおざなりな環境でいいのか? これじゃあ、健康な人だって気持ちが滅入って病気になってしまうだろう。
「こんなところで正利は生活しているのか……」
 何ともやりきれない、苦い思いが込み上げてきた。正利に申し訳ないと思った。今さらながら、なんてことをしてしまったんだろうと思った。
 ぼくのした決断は、もしかしたら、もしかしたらとんでもなく間違っていたのかもしれない。正利も、そしてぼくも、失わなくてもいいものを、いや失わないほうが良かったものを失ってしまったのではないだろうか。
 誰に奪われたわけでもない、自ら進んでゴミ箱に捨ててしまったのだ。はたと気がつけば、ぼくにも正利にも何一つ残ってはいなかった。そんな気がした。
 ぼくは思っていたのだ。これまでの出口のない、閉塞感ばかりがつのる生活を思い切って捨て去り、新しい世界に飛び込んで、新しい自分の居場所を見つけるべきだと。新しい友達を作って、新生活を始めたほうがいい。そのほうがお互いのためだ、そう思ったのだ。
 いくらそう思っても、思おうとしても、何だか釈然としない罪悪感と喪失感が、胸にダラーンと広がっていった。
 この建物がいけないんだ、そう思い、何とか気持ちを立て直そうと努力するが、階段を昇る足取りは自然と重くなっていった。
 談話室の扉を開け、中に入る。すると15人ほどの人がいた。こういうときは一斉に視線を浴びせられるのだと思っていたが、どうやらそうでもない。ほとんどの人が、ぼくのことなど気にもとめていなかった。ぼくに気づいたのは、正利と若い女性のスタッフだけだった。
 スタッフはぼくに会釈をすると、するりとぼくの背後にまわり、開けっ放しにしてあったドアを急いでバタンと閉めた。そしてカチャッと音を立てて鍵を閉めた。
 背後で閉めた鍵の音が、正利とぼくが、思っている場所よりももっとどんどん違う場所へ向かっているように感じさせた。
 けれどカラ元気を出して声をかける。
「よう、正利、元気か!?」
 するとボーっとテレビを見ていた正利は、少し笑ってぼくに近づいてきた。
「せんせ、もってきてくれた?」
 さっそく電話で約束をしていたトレーナーと漫画本とケーキを要求される。
「ああ、持ってきたよ」
 差し出すぼくの視線の先の正利が着ているトレーナーは、ぼくには見慣れぬものだった。
「何だよ、おまえ、新しいトレーナー持ってるじゃん」「あー、これ、せんせ、これ、つうきんりょうのせんせが、かってきてくれたのよ」
 正利が、通勤寮で唯一心を開いていたのが、若く入ったばかりの女性職員のようだった。
「そっか、あの先生が来てくれたんだ」
「そうよ、きてねって、おねがいしたら、きてくれたのよ」
 そうだった。いつでも皆、最初の1回は来てくれる。頼めば最初の1回は来てくれるのだ。
 ある人はプレゼントをくれるし、ある人は今後のことを話していく。またある人は説教していく。
 いろいろな人が来た。
 ただ、来るのは一度きりだ。
 1回来ると、もう、たいがい次に2回目はない。
 皆、正利が行く新しい場所には1回しか来てはくれないのだった。 (■つづく)

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