« だいじょうぶよ・神山眞/第72回 正利の不機嫌 | トップページ | だいじょうぶよ・神山眞/第74回 対等な関係 »

だいじょうぶよ・神山眞/第73回 正利からの逃避

■月刊「記録」2005年10月号掲載記事

*           *           *

 正利への電話がつながらない。
 おかしい。電話にも出ないし、店にも来ない。となると、考えられるのは、2度目の家出しかないではないか?1度目の家出からもう半年。そろそろとは思っていたが、まさか、まさか、こんな電話のやり取りくらいで、こんなことになってしまうとは!もうだめだ。いやもう一度。迷いに迷い、握りしめたままの携帯のボタンを再び押す。呼び出し音が2回、3回……、やはりだめか……、と思った瞬間、あいつが出た!
「おい、正利、どうしたんだ、時間だぞ!」
「……」
「おい!?」
「……」
「どうした!? 時間だぞ?」
「あ~、なんか、ねちゃったのよ」
 大丈夫! 大丈夫だった! ただの取り越し苦労!
「ばか! 寝てたのか! ばかだなあ! 早く来い!」「……」
 プツリと電話は切れた。電波が悪いのだろうか。まあいい、電話もつながったことだし……。
 しかし正利は、1時間経っても、2時間経っても店には現れなかった。

■いつまでこんなことが繰り返されるのか

 正利が店にタオルを持って来なかったので、ぼくは足りなくなったタオルを補充するために、アパートに戻った。
 しかし部屋の明かりは消え、人の気配がまるでない。正利はやはり出て行ってしまったようだ。一気に血の気が引き、足がガクガクと震えた。またか……。これで何度目だろう……。そしてこれから何度繰り返すのだろう……。
 何もかも投げ出してしまいたいような気持ちが襲ってきた。
 部屋に入ると、ぼくの万年床の汚れた枕の上に、正利からの書き置きが置いてあった。
 「せんせ、おれってほんとにばかだよね。このままいても、また、せんせにめいわくかけちゃうから、でていくね」
 どうやらぼくに電話口で「ばか」と言われたことが相当こたえたようだった……。
 それにしたって……。なんでぼくばかりがこんな目に遭わなければならないのだろうか。親でも兄弟でもない、ましてお金をもらっているわけでもない相手に振り回されて……。
 もうやめにしたかった。こんなばかげた繰り返しのゲームはやめにしたい。勝っても負けても終わらないゲーム。上がりのない「すごろく」がぼくの神経をとことん消耗させていた。
 こんなことを繰り返して何になる?こんなことばかりをずっと繰り返してどこへ行く?正利と出会ってから7年が経とうとしている。中学2年生だった正利は二十歳を越え、二十代だったぼくは三十代も半ばにさしかかろうとしていた。
 よく考えてみろ、ぼくは三十代らしい暮らしをしているのか?友達は結婚をした。マンションを買った。犬を飼って休みの日は海辺を散歩させているらしい。それなのにぼくときたらどうだ?四畳半の汚い風呂のないアパートで正利と終わりのない不毛でくだらなくも悲しいママゴトを繰り返している。
 もう終わりだ。今度こそ終わりにしよう。ぼくは書き置きを手にしたまま、そう固く決意した。
 だが、中途半端なことではあいつからは逃げられない。すべてを切り、すべてを捨て、あいつから逃げる。そうしなければ新しい生活は訪れない。「逃げる、捨てる、切る」それを徹底的に行うのだ。すべての環境を変え、正利のことをきれいさっぱりと忘れるのだ。
 正利を引き取りたくて始めた商売、それが日焼けサロンだった。ならばこれはもういらない。店にはあいつの畳んだタオルがたくさんありすぎ、入り口の前の階段を見ると今にも正利が昇ってきそうだ。シャワー室の前であいつは掃除をさぼってよく丸まって寝ていたなぁ。思い出すには格好の材料が揃いすぎている。いらないぞ、いらない。だから日焼けサロンともおさらばだ。
 自営業なんてやめてしまおう。暇がありすぎて、ぼくはきっとあいつのことを思い出す。ネクタイを締めて、電車を使って通勤する、そんな仕事にしよう。普通の人たちにまぎれ、普通の生活をすれば、きっとすぐにでもあいつを忘れることができるはずだ。
 あいつとぼくの共通の友人たち。そんな人たちとはもう会うことはできない。会えば正利のことを聞かれるだろうし、もしかしたら非難もされる。
 「どうして正利を捨てた?」「どうして正利に会ってやらない?」「正利は今、何をしている?」「一生面倒見られないんだったら、どうして引き取ったりしたんだ」
 ぼくには一つも答えが見つけられなかった。解答を導き出す術すらわからなかった。 (■つづく)

|

« だいじょうぶよ・神山眞/第72回 正利の不機嫌 | トップページ | だいじょうぶよ・神山眞/第74回 対等な関係 »

だいじょうぶよ-パートナーは知的障害者!?-/神山 眞」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/389724/7295404

この記事へのトラックバック一覧です: だいじょうぶよ・神山眞/第73回 正利からの逃避:

« だいじょうぶよ・神山眞/第72回 正利の不機嫌 | トップページ | だいじょうぶよ・神山眞/第74回 対等な関係 »