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だいじょうぶよ・神山眞/第70回 お姉さんの理屈

■月刊「記録」2005年7月号掲載記事

*             *             *

 電話は意外なほど早くかかってきた。
 受話器を取ると、お姉さんは昨日の礼も言わず、正利の状態も聞かず、いきなりこう言い放った。
  「よーおく考えてみたんですけど、昨日、請求されたお金に関して、私が払うっていうのはおかしいと思うんです」
 最初は30万円全額、5分後には15万円半額、そして翌日には一切払わないと言うお姉さんの主張。何だか頭が混乱してくる。

■先にぼくに相談してよ!

「そうなんですよ。だからお姉さんが払うべきお金ではないんですよ。そもそもそれは…」と言いかけたところで、遮るようにお姉さんは言った。
  「はい、私も昨日は慌てて払うなんて言ってしまったんですけど、友達に相談したら、私が払うべきお金ではないことに気づいたんです」
 友達に相談? 気づいた? いやぁ、友達に相談する前にぼくに相談してほしいよ! と、内心思いつつ、
「はい、払うべきお金ではないことに気づいたことは良かったと思います。でも、お姉さんが払うって言ってしまったんですよ? それでその場を収めてしまったんですよ? あの人たちはお金はもう手に入れたも同然だと思ってますよ? そこらへんをどうするかでしょう!」 と、最初はゆっくりと、でも最後のほうには、まくしたてるようにお姉さんに言った。
 するとお姉さんはさらりとこう言ったのだ。
  「神山先生、正利、少しは貯金があるって、以前に言ってましたよね? それで払っておいてください。正利ももう20歳を過ぎているんです。責任を取る義務があるはずです」
 ……何も言うことはない。圧巻だ。
 正利が責任を取る。それでおしまい……。なるほど、そんな結論か……。
 しかし、考えてみれば確かに、そこいらへんにあった紙の切れ端に、鉛筆で「パンツ1枚500円」。そんなふうに書かれたインチキな請求書に本当に30万円を払うのか?
 しかも正利は、朝の10時から夜の11時まで働かされて、日給千円しか給料をもらっていないんだぞ?
 そう考えれば考えるほど、ぼくは「誰が払う」とか「いくら払う」とかではなく、一切合切あいつらに払う必要はないと思った。
 払うのはやめよう。そう決心した。
 ……でも怖かった。彼らはぼくの店の住所も、ぼくの電話番号も知っている。いつ押しかけてくるかわからない状態で、正利と2人で暮らしていくのは、とても不安だった。
不条理こそが原動力に
 不安。いつの頃からだろうか。
 ぼくはすっかり不安とともに生きてきた。
 朝起きると不安、夜床に入るときも不安、友人たちと一緒にいても不安、彼女ができても不安、自分の部屋にいても、旅行に行っても不安。
 精神科に行ったことも、神経科に行ったこともないから、それがどういうことなのか細かいことまではわからない。
 ただ、正利と一緒にいると、不思議と不安は治まった。
 金を稼ごうともせず、寄生虫のようにぼくのすべてを吸い取ろうとする正利。
 なのに吸い取られれば吸い取られるほど、ぼくの不安は治まっていく。
 この不条理こそがぼくの生きる原動力となっているのだから怖ろしい。
 頭の片隅では、この不条理をこのまま受け入れて、不安を和らげて生きていきたいという思いが生じ、もう一方の頭の片隅では、この不条理を受け入れ続けると、ぼく自身は一生、正利に振り回され続けてしまうだろうという予感も生じていた。
 ぼくはそんなことを考えながら、部屋の隅で体を丸めた。
 電気もつけず、大の大人がそんな姿でいる。
 端から見れば異様な光景だ。
 そこへ正利が買い物袋に一杯のお菓子とジュースを抱えて買い物から帰ってきた。
「なにしてるの、せんせ? でんきぐらいつけなさいよ」
 と手も洗わず、うがいもせずに、座り込むとボリボリとお菓子を食べ始めた。
 何も答えぬぼくを励まそうとでも思ったのか、
  「せんせ、おれ、あいつらのことゆるさないのよ、こんどあったら、もんくいってやろうとおもうの。だっておねえちゃん、ないてたのよ。おねえちゃんなかすなんて、ゆるせないのよ」
 と、威勢のいいセリフを吐き捨てるように言った。 (■つづく)

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