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ホームレス自らを語る/「店を持たせてやる」との言葉を信じた・武田貴文(63歳)

■月刊「記録」20001年4月号掲載記事

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■20年のクリーニング店勤め

 ワイシャツだと、1日に110枚ぐらいかな。勤務時間は、朝8時から夜8時まで。遅いときは夜中11時まで働いてました。自分の時間なんてなかったですよ。1日中店で働いて、近くのアパートに帰ってきたら寝るだけの毎日ですから。
 店は10畳ぐらい。だいたい二人でアイロンをかけていました。衣類とアイロンとアイロン台があって、もうそれだけで店はいっぱいでした。夏は暑くてね。ステテコとランニングで仕事をするんだけれど、炎天下に座っている方が涼しく感じられるぐらいでした。それでも体は慣れちゃうもんですよ。
 中学を卒業してから働き始めて、辞めたのは昭和48(1973)年だから、35歳までですかね。20年ぐらい同じクリーニング屋に勤めていたことになります。
■「自分の店」は夢と消えた

 7人兄弟の3番目。父親は小学五年生のときに死にました。一番下の子が生まれたばかりでした。私が中学を卒業してすぐに、今度は母親も死んじゃったしね。高校なんか進学できるわけないですよ。
 みんな高校に行きだした時代だけれど、ウチは貧乏だから進学するどころじゃないですよ。兄貴も中学を卒業してから農家の小僧(丁稚奉公)になって体を鍛えて、それから父親の後を継いで大工になったんです。米軍基地で仕事を請け負っていました。
 私の就職先は母親が見つけてきたんですよ。隣組の人が町にクリーニング屋を持っていまして。たぶん「うちのボウズを使ってくれ」、そんな感じで頼んだんじゃないですかね。中卒じゃあ大きな企業に入れるわけもないし、就職先が見つかってよかったと当時は思いましたよ。
 でも、いま考えると、クリーニング屋で働き始めたのが間違いでした。「店を持たせてやる」なんて主人から言われて、真面目に働いちゃったから(笑)。
 店の主人が死んじゃってから息子が経営を始めて、それを機に辞めました。安い銭しかもらえないし……。自分で店を始めるには、お金が必要でしょ。でも賃金が低すぎて全然お金が貯まらない。せめて親が畑でも持っていたらね。それを売って店でも建てたんだろうけれど。
■結婚しようと思ったことも

 それから5年間は、義理の兄の会社で配管工として働きました。参議院会館なんかつくったんですよ。まあ、できあがってからは、行ったこともないけれど。その会社もつぶれちゃって、40歳ぐらいから土方ですよ。高田馬場に出入りするようになりまして。
 クリーニング屋を辞めてからですかね、遊ぶようになったのは。酒は飲めないくちですから、もっぱらギャンブルと女でしたけれど。でもギャンブルといっても、ひまつぶしにやるぐらいだから、月に数万円使うぐらいかな。
 女は、池袋で買っていました。その当時の池袋は、まだ道で立っている女も多かったんです。お気に入りもいましたよ。いまは僕も枯れちゃったけれど(笑)。まあ、年をとって風俗なんていうのもね……。
 さあ、どうしてクリーニング屋を辞めてから遊ぶようになったんでしょうかね。わかりません。生活が荒れたというのでもないけれど、少し変わりました。ただ土方になったころには、どうでもよくなっちゃったというんでしょうかね。気安く働けましたから。住所がないような人も多かったし。
 そう、まだクリーニング屋に勤めている32歳ぐらいのときに結婚しようと思ったことがありました。でも、お金がないからできなかった。徒弟制度だったから、わずかしかもらえないでしょ。結局、そのまま歳を取っちゃいました。
 30歳ぐらいまでにちゃんとした会社に就職できてればね。せめて車の免許でも取って、何かの運転手にでもなればよかったなって。

■人間以下の扱いはザラ

 そうこうしているうちに不況がひどくなって、仕事もなくなって、私も職にあぶれるようになって、昨年の8月からホームレスです。
 最初、新宿にいて、それから池袋に移りました。ここでひどい目に遭いましたよ。「俺が仕切っているんだー」という人がいましてね。最初、そんな人がいるなんて知らなかったんですよ。でも、そいつは弱いホームレスばかり脅してました。
 最初、私も子分にしてやるなんて言われてヘコヘコしていたんです。仕事をくれるとも言われたし。でも、下手に出ているだけじゃ、どうしようもない人だった。
「東武デパートで酒を盗ってこい」と万引を命令されたりもしました。盗むなんてできないから、仕方なく買ったりしましたよ。
 一度なんか「牛丼を食いに行こう」と言われて、一緒に牛丼屋に入ったら、金を払おうとしないんですよ。持っているのに。結局、警察が呼ばれて、しぶしぶ2人分の代金を払いましたけれど。幸い警察も説明を聞いて帰って行きましたが。騒いで金を払わなくて済むなら、ラッキーだと思っていた人なんですよ。
 彼のオーバーを私がなくしたことがありまして、これも大騒ぎになりました。収めるために時計を取られましたからね。最初にヘコヘコしていたからなめられたのでしょう。仕事もしばらくしてなかったから、筋肉も衰えてくるでしょ。なおさら弱気になるんですよ。結局、一ヶ月ぐらいで、池袋は逃げ出しました。
 ホームレスの生活はつらいですね。ホームレスをだましたりするのに、多くの人は罪悪感を感じないんでしょうかね。
 この前、飯場に仕事に行ったときなんか、15日働いて1万3000円ですから。
 海の家に働きに行ったときはもっとひどかったんです。調子のいいことばかり言って、二週間働いて一銭もくれない。「金をくれないなら辞める」と言ったら、帰りのキップとおにぎり二つ、缶ビール一缶を手渡しました。一夏働いた仲間でさえ、7000円しかもらえなかったみたいですよ。
 ホームレスなんて飯を食わせて、たばこを渡しておけば、お金なんか払う必要はない、と思っているんでしょう。
 親族とは、もう25年以上連絡を取っていません。一人前になっていれば連絡もできますが、恥ずかしいでしょ。一番下の弟もグレていたけれど、所帯を持ったらしいんです。景気が悪くなっていますから、勤めた会社がつぶれていなければいいけどね。 (■了)

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