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ホームレス自らを語る/大穴が当たって女房は去った・上野宏彰(54歳)

■月刊「記録」2001年6月号掲載記事

■幸せな家族が暗転

 23歳のときに、お見合いの話がきたんだ。京都・丹波の片田舎で働いている娘でね。俺の都合のいい日に、彼女が勤めている工場に会いに行けばいいからって言われた。
 行ったよ。汽車を降りてからバスで二時間もかかってたどりついた。本当に遠かったな。お見合いたって、社員食堂を借りて、仲人と一緒に彼女と飲んだり食ったりしてさ。互いにOKして結婚した。
 背の小さい人でね。足が少し悪くていくらか引きずるんだ。俺より1歳年上だった。丸顔でさ、かわいかったんだ。
 当時、俺は東京で大工をやっていてさ。忙しかったんだよ。仕事は真面目だったしな。お見合いの五年ほど前、ちょうど東京オリンピックの前なんか忙しくて忙しくてよくかせいだよ。働けば働くほどゼニになったんだから。
 所帯を持ってからは、子どもにも恵まれた。女三人、男二人の五人兄妹。幸せだった。でも一つだけ失敗したんだ。
 その日は仕事が忙しくてね。仕方ないから女房に電話して、立川競輪のレースを1万だか2万だか買っておくように言ったんだ。その大穴が予想通りきて、3万1850円もついたんだよ。1万円で300万円以上だから、当時としたらすごい金額だよ。「おー、当たった」なんて喜んで、家に帰ったんだ。ところが女房は「買ってない」って答えた。思わずひっぱたいちゃった。思いっきりね。
 それで女房は実家に帰っちゃったんだ。俺もあわてて、女房の実家に電話した。5、6回はしたかな。でも一ヶ月ぐらいたって、俺の育ての親で、二人の仲人でもある「おやじ」から手紙が来たんだ。相談があるとね。行ったら、「別れろ」と言われたよ。そうなると別れるより仕方なかったな。

■お父ちゃん、お父ちゃん

 それからだよ、酒の量が増えていったのは。酒を飲むと寂しくなって、女房に電話をかけちゃう。2時間も3時間も話して、泣きじゃくっちゃう(笑)。女房は鹿児島の実家に帰っていたから、電話代もすごかったぞ。1ヵ月で30万円を支払ったこともあったからな。
 きっとさ、女房も本当は別れたくなかったんだと思う。そうじゃなきゃ、こんなに話もしないだろ。ただ、家族の反対とかもあって、やっぱり別れることになったんだろうな。
 その後、女房は再婚した。
 俺と離婚してから1、2年たってからかな、5人の子どもを連れて東京都昭島市にあった俺のアパートを訪ねてくれたんだ。わざわざ高知県からさ。
「お父ちゃん、いま高知にいるんだよ」
「お父ちゃんも一緒においでよ」なんて子どもから言われてさ。再婚しているのに行けるわけねーじゃん、なんて思ったな(笑)。
 女房と5人の子どもを連れてパチンコに行って遊んで、それから定食屋に行ったんだ。「どんなもんでもいいから、好きなもの頼め」って言ったら、みんな喜んでね。
 何を食べたかは、覚えていねえな。でも、俺は何も食べずにビールを飲んでいたよ。みんなが食べるのを見ながら、ただビールを飲んでたんだ。女房もうれしそうでね。「親が別れさせた」というようなことを、俺にもらしていたよ。
 食べ終わってから、青梅線に乗って立川駅までみんなを送った。肌寒い日でな。たしか上の娘は、赤っぽいセーターを着ていた。
「お父さんも、あんまり無茶しないでね」って女房が言ったら、上の娘もマネして言うんだよ。生意気にさ。「お父ちゃん、あんまり飲まないでね。お父ちゃんも高知に行こうよ」って……。
 一緒に暮らしていたとき一番うれしかったのは、家に帰り着いたときなんだ。玄関を開けるだろ。そうすると一番下の娘が駆け寄ってくる。「お父ちゃん、お父ちゃん」って、足にしがみついてくるんだよ。かわいくてな。
 でも、立川駅で別れて以来、女房にも子どもにも会っていない。高知まで行ってみたいと思ったけれど、住所を知らなかったから、会いたくても会えなかった。それにこのあと、酒におぼれた生活を送ることになったからさ。

■結局は長期の入院

 俺は本当の親父の顔なんて知らない。見たことないんだよ。小学校だって、ろくに行ってない。実家の家計を助けるために働いていたんだから。
 松の実って知ってるか? あれはけっこうな値段で売れたんだよ。小学校時代、裏山で松の実を大量に採って売ったもんだよ。何千円かもうかったんじゃないかな。当時から女には優しかったから、お母さんに渡したお金の残りで同級生の女の子にプレゼントを買ったよ。ノートとか鉛筆とかさ。
 そうそう、船に乗っていた時期もあったな。小学校だか、中学校だか、キビナゴ漁を手伝っていたんだ。夜中に漁に出て、薄暗いうちに帰ってくる。バッテリーのライトを10個吊して、キビナゴが集まってくるのを待つんだ。もちろんキビナゴ以外の魚が釣れることもあったよ。50センチのブリがかかったこともあったしな。
 でも、中学校のときには、お母さんも死んじゃって、あっちこっちの親戚に預けられた。中学三年のころには、生きるために大工仕事を始めていたよ。
 それから働きづめに働いて、気がついたら女房にも逃げられて一人だろ。酒の量はどんどん増えたよ。朝起きても、だるくて仕事なんか行けないんだから。「明日は必ず行きます」なんて電話して、また飲むわけ。そんなことが続けば、仕事仲間からだってあてにされなくなっちゃうよ。もう完全にアル中さ。アル中になると、店の酒をかっぱらってでも飲みたくなるんだ。とにかく酒がほしくてしょうがない。我慢ができない。
 そんな生活を続けているうちに、アパートに市役所の人が来たんだよ。強制的に病院に入れられた。それからアル中と結核の治療で、10年間も病院で生活することになるんだ。

■死ぬ度胸もない

 さあ? アパートに残った荷物がどうなったかは知らないよ。きっと福祉課かなんかの職員が、放り投げたんだろ。入院してから、アパートになんか帰っていないんだから。
 まあ、強制的な入院だったけれど、病院の居心地は悪くなかった。国からもらえるお小遣いを看護婦に渡して、お酒を買ってきてもらったりさ(笑)。お菓子なんかも、よくもらったよ。お風呂も看護婦さんが入れてくれて、背中まで全部流してくれるんだ。病院に帰りたいと思うことはあるな。
 退院したら40歳も目前になっていた。仕事は飯場回りしかない。つい5年ほど前までは、神奈川の登戸でアパートを借りていたんだ。でも、仕事がなくなって、アパートを追い出された。いまはアルミ缶集めが仕事かな。一キロ集めて85円。譲ってもらった自転車に積み上げて、やっと500円ぐらい。市から食べ物をもらって、足りない分はエサを拾いに行って……。
 生まれてくるんじゃなかったよ。でも死ぬ度胸もない。いまでも思い出すのは、女房のことかな。あんないい女房はいないよ。旦那に尽くす女だった。
 でも、会うことすらできないんだからな。 (■了)

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