« 鎌田慧の現代を斬る/「戦争国家」にむかう日本の台頭 | トップページ | ホームレス自らを語る/離婚して生きる張りを失った・大島陽一さん(57歳) »

ホームレス自らを語る/辛抱が続かない・中島昭良さん(54歳)

■月刊「記録」2000年12月号掲載記事

*           *           *

■プッツリやる気が失せちゃう

 若いころからどうも一つのところに長くいられない性分でね。仕事もいろいろ替わった。(指折り数えて)5つ、いや6つか……。はじめは品川にあった大手電器メーカーの工場。冷蔵庫をつくる工場だった。工業高校の電気科を出ていたから、家電メーカーに就職が決まったときは、電気の技術が生かせると思ってうれしかった。だけど、入社してみると、配属になったのはラインの組立工だった。電気とは全然関係のない仕事だからね。ああいう大きな会社では、個人の希望なんて聞いてもらえないしね。で、2、3年で辞めていた。
 次は川崎にあったやはり大手の電機メーカーの工場に移った。ここは重電のメーカーだからね。配電盤をつくるのが仕事で、まあ自分に合った職場だった。だけど、ここも7年くらいかな? それで辞めてしまったんだ。 その次は調布にあった小さな電機工場。その工場ではコンピューターや医療機器の制御装置をつくるのが仕事で、全部が受注生産だった。図面を見ながら配線から完成まで、すべて一人でやる方式でね。だから、仕事は面白かったしやりがいもあった。一番自分に向いていた職場だったと思うよ。でも、ここも5年で辞めてたね。
 何ていったらいいのか、仕事はみんな面白いんだよ。自分でも仕事の手は抜かないでキッチリやった。職場の人間関係も悪くない。はじめのうちは張り切って一生懸命に働くんだ。だが、何年かしてくるとだんだん緊張の糸が緩んできて、あるときプッツリと切れたようになってしまう。そうなると働く意欲がわかなくなって、会社をサボるようになり辞めてしまう。そんなことばかりしていたんだ。
 そのあと、独立して……独立といっても、アパートの一室を借りて作業場にしただけの、社長も何も自分一人だけの会社。電機工場から仕事をもらって下請けをしたんだ。はじめのうちこそ仕事もあったけど、だんだん受注量が減って先細りになっていってね。
 そのうちに部屋代も、車のガソリン代も払えないようになっていた。まあ内職に毛の生えたような工賃だったからね。だから、このときは仕事がイヤになったわけじゃなくて、ぜんぜんもうからなくなってやめたんだ。これも5、6年続いたのかな……。

■40半ばじゃ職種も選べない

 また勤め人に戻ることにして新しい就職先を探したんだけど、もう40代半ばになっていたから電気関係の工場には入れなくてね。それで畑違いの建設関係の会社に入った。ビルとかマンションをつくるときに鉄骨や壁に耐火被覆剤を吹きつけるのを専門にしている会社だった。
 これが大変な仕事なんだ。被覆剤っていうのは泡状になっていて、それを吹きつけるから周りをビニールで隙間なく覆って、外に飛んでいかないようにして作業するんだ。夏は蒸し風呂なんてもんじゃない。おまけに被覆剤は肌につくとチクチクとしてすごく痛い。だから、真夏でもヘルメットに防塵マスクを着けて、長袖のヤッケにゴム手袋という格好でやるんだからね。ホント、夏は地獄だった。
 この会社も5年くらいだった。ただし今度は倒産。会社がパーになってしまったんだ。社長がドケチな男でね。その不満でいい職人がみんな辞めて、独立していっちゃったからだよ。自分には独立するような才覚も技術もなくてできなかった。そんな資金もなかったしね。
 それにゼネコンがよくないよ。仕事がどんどん少なくなっているっていうのに、手間賃を下げてくるんだから。ゼネコンの連中だけが生き延びるためのしわ寄せだね。いつだって割りを喰うのは下で働いている人間ってこと。あれじゃ、ドケチな社長でなくてもつぶれちゃうね。
 会社が倒産したのが50歳のときだった。それからは日雇い。土方とか、引っ越しの仕事をやっているけど、それもいまはあんまりないからね。いつの間にかホームレスになっていた。ずっと飯場の暮らしからはい上がろうとしていて、逆に下に落っこちてしまったわけだ。

■どうして辛抱できなかったのか

 こうなったのも自分の責任だと思っている。いまの時代だって、仕事はあって働いている人はいくらもいるわけだからね。自分でももう少しうまく器用にやれなかったものかとも思うよ。ただ、ズル賢くやって、誰かの犠牲のうえでいい暮らしをしているわけじゃないからね。誰も傷つけてはいないんだから、ホームレスをしていても気分は楽だよ。毎日が日曜日だしね。
 生まれたのは茨城県。家は農業をしていた。4人兄弟の上から3番目で、いつも兄貴の後ろにくっついて遊んでいた。子どものころからおとなしくて、学校の通信簿に「もっと積極的になるように」って書かれている子だった。
 リーダーになって人を引っ張ったり、責任を取るような役は好きじゃなかった。2番目か3番目あたりにいるのがよかった。人を押しのけていくタイプじゃないから、そんなのがホームレスをしていることと関係しているかもしれないね。
 それと辛抱できなかったこと。どうしても同じ仕事を辛抱して続けられなかった。最初に就職した会社にそのままいたら、いまどうだったろうと考えることもある。まあ、どうにもならなかったろうね。いま50代のサラリーマンはリストラとか、いろいろ大変だというしね。サラリーマンの世界こそ人を押しのけて出世していくところだから、そんな世界にいてもやっぱりどうにもならなかった気がするな。
 結婚して女房、子どもでもいれば、もう少しは辛抱できて違っていたかなとも思う。女の人も嫌いじゃないから、若いころは幾人ともつき合ったんだけどね。結婚するのは面倒くさいし、責任を取るのもイヤだった。グズグズして踏ん切りがつけられないでいるうちに、女の人のほうが愛想をつかして離れていってしまうというふうだったよ。
 毎日が日曜日のホームレスをしていても、いいことは何もない。早く普通の生活に戻りたい。いつもそれを考えている。このごろはエサ(食べるもの)取りも楽じゃないからね。ホームレスがどんどん増えて、知らない顔がずいぶん多くなってるもの。そのせいか、コンビニやスーパーがエサを出さなくなっている。
 新顔のホームレスにはルール破りをする悪いヤツが多い。せっかく出してくれたエサを店の周りで食い散らかしたり、仲間同士でエサを奪い合ったり、一日中店の周りをうろついたり、そんなことをしていたら店だって出さなくなるよ。バカが多くて困る。
 ホームレスを早くやめたいとは思うけど、こう仕事がなくっちゃね。会社に勤めていたころは、「いざとなったら、土方でもすれば食っていける」なんて仕事仲間と笑いながら話してたけど、本当に土方になってみたら、その土方に仕事がないんだからね。まさかここまで不景気な時代が来るなんて思ってもみなかっただろう? 早く景気をよくしてもらって、自分たちも働けてかせげるようにしてもらいたいよ。 (■了)

|

« 鎌田慧の現代を斬る/「戦争国家」にむかう日本の台頭 | トップページ | ホームレス自らを語る/離婚して生きる張りを失った・大島陽一さん(57歳) »

ホームレス自らを語る/大畑太郎・神戸幸夫」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/389724/7215800

この記事へのトラックバック一覧です: ホームレス自らを語る/辛抱が続かない・中島昭良さん(54歳):

» ワザップ [ワザップ]
ワザップ [続きを読む]

受信: 2007年7月21日 (土) 10時49分

» ひぐらしのなく頃に [ひぐらしのなく頃に]
ひぐらしのなく頃に [続きを読む]

受信: 2007年7月21日 (土) 13時32分

« 鎌田慧の現代を斬る/「戦争国家」にむかう日本の台頭 | トップページ | ホームレス自らを語る/離婚して生きる張りを失った・大島陽一さん(57歳) »