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ホームレス自らを語る/将棋は五段の腕前なんです・鈴木晋平さん(54歳)

■月刊「記録」2000年6月号掲載記事

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■将棋の全国大会に出たことも

 生まれたのは1945年3月、樺太でした。すぐに終戦になりますけど、当時父親が中国大陸に出征中で、母親は私と兄と姉の三人の子どもを抱えて大変だったようです。終戦の混乱のなかで引き揚げ船に乗り遅れて、ようやく内地に帰れたのは二年後だったようです。
 内地は北海道の稚内に帰りました。そこで母親の知り合いの家に身を寄せました。父親が大陸からシベリアのほうに抑留されてしまい、内地に帰ってからも母親は苦労の連続だったようです。私はまだ小さかったから、あまり覚えてませんけどね。
 父親が帰還するのは53年で、私が小学三年生のときでした。8年も抑留されていたわけですが、その間ソビエト共産党の洗脳教育をされていたようです。父親は出征前にマスコミで働いていましたから、洗脳教育の対象にされたんでしょう。復員後は同じマスコミ関係に復職して、それで我が家もどうやら世間並みの暮らしができるようになりました。
 私は高校を出て稚内の小さな新聞社に就職しました。実は子どものころから将棋が得意でしてね。高校生のときには三段の腕前でした。それが買われて、まあスカウトされたようなわけです。将棋や囲碁の観戦記とか、稚内で上映される映画の紹介記事のようなものを書かされました。新聞といっても稚内と近隣だけに発行されるタブロイド判のささやかなものでしたけど。
 二年くらいして札幌に出ました。今度は林業関係の業界紙の新聞社に入りました。全国の営林署から寄せられる情報を整理して、それを記事にするのが仕事でした。その後も、将棋のほうは続けていて、五段までいきました。北海道の代表二人に選ばれて、全国大会に出場したこともあります。プロになろうとしたこともあったし、実際に誘ってくれる人もありました。
 でも、飛び込めませんでした。プロの将棋指しというのは、1000人がめざしても、ものになるのは10人もいないといわれています。私は子どものころから、真面目でおとなしい性格でしたからね。人と競い合うプロの世界には向かなかったと思います。自信もなかったし、そんなきびしい世界に飛び込んでもダメだったでしょうけどね。まあ、趣味で遊んでいるくらいが分相応だった。いまでもそう思ってます。

■恋愛の破局で酒におぼれていく

 林業の業界紙にいたころ、ある女性と恋愛をしましてね。父親が歯科医を開業している、なかなかいいところのお嬢さんでした。四年くらいつき合ってから、二人でアパートを借りて同棲しました。ところが、彼女の父親は同棲に猛反対でしてね。ある日、その父親がアパートにのり込んできて、彼女は連れ戻されてしまいました。それっきり彼女からは何の連絡もないし、二人の関係はそれで終わりました。
 もともと酒は好きだったんですが、そんなことがあってますます酒におぼれていくようになりました。酒が入ると誰彼かまわずにからんだり、殴りかかったりしてね。悪い酒でした。
 ある晩、飲み屋で大暴れしましてね。その店で飲んでいた客にからんでケンカを売って、物を投げつける、殴りかかる、最後は椅子を持ち上げて振り回すで、何人かの客にケガをさせたらしい。そういうときの私は頭の中が真っ白になってますから、何がどうなっていたのか覚えちゃいません。警察が呼ばれて、傷害の現行犯で逮捕されて起訴になりました。
 可哀相だったのは兄貴でした。弟が起訴されたというんで左遷されましたからね。兄貴も父と同じ会社で働いていたんです。実は、父親は私が高校生だった頃に、オートバイ事故で亡くなくなりましてね。それで兄貴は父親の後釜として採用されていたんです。私の起こした事件で、左遷の憂き目に合わせてしまったんですから、いまでも兄貴には悪いことをしたと思っています。裁判では執行猶予がついて、実刑はまぬがれました。
 それで稚内の家に連れ戻されました。家に帰ってもすることがないから、ただブラブラしている生活でした。そんなことをしていると、小さな町ですからみんなに噂されますからね。それに事件を起こしたことや、別れさせられた女性のこと、そんなこんなでムシャクシャしてまた酒におぼれていく。酒を飲まずにはいられなくなる。金がないから、酒屋で万引をして酒を手に入れたこともあります。3回もしましたね。
 そして酒が入ると頭が真っ白になって、何がなんだかわからなくなって大暴れしてしまう。家族も手に負えなくなったんでしょう。精神病院に入れられました。私自身は精神病院なんかに入れられる理由はないと主張したんですが、一年間も入れられてました。
 病院を出たのが30歳のときでした。もう稚内にはいられませんから、本州に渡って建設会社をしている親戚を頼って秋田に行きました。ちょうど東北新幹線の工事が始まったばかりのころで、福島駅の建設工事に就きました。ただ、はじめのうちこそ親戚だからというんで、監理の仕事をさせてくれましたが、そのうちに人夫と同じ仕事をさせられるようになってました。重い鉄筋を担がされたりしてね。それでいやになって辞めました。
 それから東京に出て、缶工場とか、新聞販売店、建設会社などで働きましたが、どこも長続きしませんでした。例の悪い酒癖で同僚を殴って辞めたこともあります。 40代に入って建築現場の日雇いで働いていたときは、組頭にまで引き立てられました。それまでに現場監理の経験があって、ノウハウを知ってましたからね。その組頭の仕事ぶりが認められて、親会社に引き抜かれて社員待遇されるまでになりました。
 ところが、四五歳のときに交通事故に遭って、足の骨を折ってしまい半年間入院したんです。ケガが治って退院してみると、もう会社はありませんでした。酒の失敗で人生を悪くもしましたが、運もない人生なんですね。 あとは高田馬場の手配師に頼る日雇いでした。手配師のくれる仕事はほとんどがタコ部屋のものばかりですからね。どうしようもない現場で、金も残せるほどはもらえませんでした。その日雇いの仕事も五年前くらいから減ってきて、ドヤ(簡易宿泊所)に泊まれなくなって路上で寝ることが多くなったわけです。

■いまでも将棋が夢に出てくる

 北海道を出てからは、家には帰ったことも、連絡を取ったこともなかったんです。9年前に交通事故に遭って、保険の手続きの都合で家に電話を入れたことがあるんです。そうしたら兄貴が入院中で、「ガンだから、もう長くない」と知らされて、そのときに一回だけ帰りました。まあ、死ぬ前の兄貴の顔が見られて、それまでのことを謝れましたしね。あのとき帰ってよかったと思ってます。
 私も50歳を過ぎましたからね。この歳になると北海道に帰って暮らしたいと思いますよ。でも、このまんまじゃ帰れないでしょう。せめて50万円くらいの金は持って帰りたいですからね。もう一度まともに働いて金をかせぎたいとは思いますけど、50歳を過ぎて、何の資格もないし……仕事にはありつけませんね。
 好きな女性と一緒になれなかったり、酒の上の事件を起こしたり、あの辺から狂い始めた気がします。若いときの辛抱、我慢が足らなかった。親兄弟の言うことを、よく聞いておくべきだった。いまになって、そう思います。
 酒はやめました。飲む金もありませんしね。金があっても飲まないでいられるようにもなりました。いまやりたいのは将棋ですね。金があれば、会所のようなところに行って指してみたい。いまでも将棋を指している夢を見たり、夢に棋譜が出てきたりするんですよ。 (■了)

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