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だいじょうぶよ・神山眞/第56回 永久の別れの予感

■月刊「記録」2004年5月号掲載記事

*          *           *

  「神山さんも大変ですね」
 正利の盗み癖を怒り、いましがた怒鳴りつけてきたと言ったぼくに向けられたスタッフのそんな一言は、ぼくを飛び上がりたいほど喜ばせた。ぼくは内心異様なほど興奮し、感激した。
 それでも、表面上はやはりいつも通りに、
  「ありがとう。もうあがっていいよ。あとはぼくに任せて」
 と言って、スタッフには帰ってもらった。
 一人になると、最近、曖昧になっていたぼくと正利との主従関係が久々にはっきりしたことにぼくはさらなる充実感を覚えた。
 そしてたとえ暴力であっても、あいつを屈服させたという事実が、ぼくの征服欲を満足させた。

■すべてを許せる思いに

 気持ちが良かった。こんなにすっきりした気分は久しぶりだった。
 これであいつとぼくは昔のような関係、つまり先生と生徒の関係に戻れたはずだ。ぼくを苦しめたあいつとぼくの濃密な主導権争いとはしばらくおさらばだ。そう思った。
 悪いことをしたら、そう、怒って怒って殴ればいい。なんて単純なんだろう。うちのスタッフだって労ってくれていたじゃないか。それでいいんだ。何を遠慮する必要があるのだ。あいつはぼくがいなければ、とっくに野垂れ死んでしまったかもしれない人間なのだから。
 だとすれば、ぼくはあいつから感謝こそされ、決して不平不満を言われる筋合いはないのだ。日焼けサロンの営業中はもとより、営業時間が終わってからも、ぼくはまだそんなことを考えながら自転車をこいでいた。
 そして、まもなく、ぼくと正利のねぐらであるはずの倉庫に着くというときになって、ぼくはとてつもない空腹感に襲われた。そういえば興奮のあまり今夜は飯も食ってはいなかったことを思い出した。
 近くのコンビニまで引き返し、弁当を三つ買った。二つはぼくの分で、もう一つはあいつの分だ。もし、あいつが二つ食べたいと言ったら、あいつに二つあげてもいい、そう思った。
 いまや何もかもを許せる気がした。あいつがお金を盗んだこと、最近ぼくに対して態度がでかいこと、やたらと絡んでくること。ぼくは最高に気分が良く、すべてがどうでもいいことのように思えていた。闘い終わってノーサイド、ぼくは都合良くそんなふうに思っていた。
 しかし、どうやらあいつはそうではなかったようだった…。
          *
 部屋に戻ると正利はいなかった。
 部屋の真ん中にゴミにまみれてわかりづらかったが、一通のあいつからの置き手紙があった。
<せんせい、いままでありがとう。おれ、ここにいると、またおかねをぬすんじゃいそうだから、でていく>
 手紙にはそう書かれていた。
  「なるほど、出ていったのだな」
 ぼくはそう思った。
 あいつが出ていったことなど一度や二度ではなかったのに、なぜか今回だけはあいつが本気だとわかった。もうあいつは戻ってこないんだ。もう出ていったんだ。何度も何度もそう思った。
 腰から下に力が入らなくなり、一面ゴミばかりの床に崩れそうになった。ぼくは何も考えられなくなり、真夜中に一人、いつまでもただ立ち尽くしていた。
 ぼくは混乱した。親でもないし、兄弟でもない。まして夫婦でもない。いつも疎ましく思っていたはずのあいつ。それなのにこの喪失感といったら……。
 いったいどういうことなんだろう。

■予測不能の喪失感

  「…はい。お電話ありがとうございます。日焼けサロンマチズモです…」
 あれほど感謝してやまなかった予約の電話が、今日は疎ましくて仕方なかった。
 眠れぬ夜から一夜明けた今朝、代わりのスタッフが来るまで自分が店にいなければならないことが、ぼくをひどく苛立たせた。
 昨夜は台風が近づいていたせいで、夜半からものすごい風と雨だった。9月だというのに、厚着をしなければならないほど冷え込んだ。それなのに、あいつは自転車に乗ったままどこかへ消えてしまった。
 無事だろうか? 無事だったのだろうか? そのことだけが頭の中をグルグルと回っていた。
 あれほど気になっていた売り上げも客の入りも、今のぼくにはどうでもよかった。たった一晩いなくなったくらいで何を大げさな、と思われるかもしれないが、それは違う。
 ぼくには、これがあいつとの永遠の別れに思えたのだ。なぜかもう二度と会えない、そう確信できたのだ。 (■つづく)

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