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ホームレス自らを語る/いま恋愛中です・筑紫一彦さん(52歳)

■月刊「記録」2001年6月号掲載記事

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■理容コンクールで全国七位に

 本業は理容職人でした。理髪店ですね。オヤジが理髪店をやってましたから、その跡を継いだわけです。
 生まれは岐阜県の可児市で、三人兄弟でした。ただ、男はボクが一人でしたから、小さいころからオヤジの跡を継ぐのは当然のように思って育ちました。ボクらは団塊の世代になります。古いものを否定する考え方の多い世代ですが、ボク自身は家業を継ぐことに抵抗はなかったですね。
 地元の高校を出て、一宮(愛知県)の理容学校で1年学んでから東京に出ました。修業です。理髪店の跡を継ぐには、他人の店で6~10年くらいの修業を積む。それが習わしのようになってましたからね。
 ボクは渋谷の店で26歳まで修業をしました。店は三軒替わりましたが、どの店のオーナーも理容コンクールの全国チャンピオンになった人ばかりでした。そういう人の下についたほうが修業になると思ったわけです。ボクもコンクールに出場して、全国で七位に入賞しています。渋谷区と東京都の予選を勝ち抜いての全国七位ですからね。腕にはかなりの自信がありますし、理容職人としてのプライドも高いです。
 26歳で可児に帰って、オヤジの跡を継ぎました。本当はもう少し東京にいたかったんです。当時、給料は30万円くらいもらっていて、六本木や青山で遊ぶことも覚えてましたから、まだ田舎には帰りたくなかった。ところが、「オヤジが歳でハサミを握れなくなったから」と、姉と妹が出てきて強引に連れ戻されてしまったんです。
 オヤジの跡を継いだ店は、よく繁盛しましたよ。すぐに店と家を建て替えましたが、その借金も10年で返してしまいましたからね。それに人を雇って美容院も始めて、それもまあもうかってました。
 結婚はしませんでした。幾度か見合いはしたんですが、縁がなかったんですね。独り身で小金を持ってましたから、遊びのほうはひと通りやりました。海外にも、韓国、香港、中国、フィリピンなんかに幾度か行きました。まあ、何の問題もなく順調だったわけです。46歳まではね。

■理容師をあきらめて家を出る

 46歳の6月でした。その日は店が定休日で、岐阜の柳ヶ瀬まで遊びに出たんです。昼飯を食べ終わって店の外に出たときでした。左脇に抱えていたセカンドバッグが地面に落ちましてね。それを拾おうとしたら左脚がもつれ、左手も利かない。突然、体の左半身が麻痺していたんです。脳梗塞でした。そのまま病院に担ぎ込まれて三ヶ月入院しました。
 入院中は店のことが心配で、居ても立ってもいられませんでね。本当はリハビリが残っていたんですが、強引に三ヶ月で退院してしまいました。それで店に戻って車椅子からの回復訓練をしながら、もう一度ハサミを握らなくてはと、理容師の訓練のほうも必死になってやりました。身体のほうは脚を引きずりながらですが、どうにか自力歩行ができるようになりました。
 でも、理容師のほうは無理でした。なんとかハサミは握れるんですが、微妙なカットはとてもできない。あきらめざるをえませんでした。
 すでにオヤジは亡くなってましたが、オフクロはまだ元気でいましたからね。それで妹夫婦に年老いたオフクロの面倒をみるように頼んで、家を譲りました。そして、ボクはこっそり家を出たんです。
 向かった先は大阪。西成です。そこでドヤ(簡易宿泊所)に寝泊まりしながら、ボクでもできる仕事をしながら暮らそうと思ったんです。でも、手配師からは足が悪いと相手にされませんでね。だんだん金も底を突いてくるし、ドヤを出て野宿するようになっていました。
 西成というところは暮らしやすいところですよね。親切な人が多いし、西成(労働福祉)センターに行けば、ミソ汁付き五目ご飯が180円で食べられます。ボクはそこでヤキソバを食べながら缶ビールを飲むのが好きでした。
 そのうちに人材派遣会社に登録することを教えてくれる人がいて、その派遣会社の斡旋で働くようになりました。自動車メーカーとか、家電メーカーの下請け工場でのラインの仕事です。一ヶ月契約でその間は寮に入れます。ただ、冬の寒いときは病気の後遺症がひどくて……左脚が痛むのと血圧が170~190に上がってめまいがひどいんです。だから、冬の間はまったく働けません。
 西成にいたとき、一度警察に捕まったというか、見つかったことがありましてね。ボクはほとんど家出同然でしたから、オフクロが心配して捜索願いを出してあったようなんです。それで警察署に連れて行かれて、そこから家に電話を入れてオフクロと話しました。受話器の向こうで、オフクロはただ泣いているだけでした。ボクは「男たるものが一度家を出たからには、こんな状態でおめおめと帰れない」とだけ伝えて切りました。

■教会のミサで女性と出会った

 新宿に出てきたのは2年前です。派遣される工場が、長野とか、静岡、茨城なんかに多くなって、こっちにいたほうが便利だからです。季節のいいときに働きに出て、冬は新宿で野宿をしています。
 新宿で暮らすようになってから、キリスト教の教会に通うようになりましてね。ホームレスのような境涯まで堕ちてしまい、苦しいときの神頼みというか、心の平静を得たいというような気持ちからです。もともと仏教徒で、それも信仰心なんてなかったんですがね。
 ビルの地下にある小さな教会ですが、そこの牧師さんの説教が上手なんです。「欲に執着する心を捨てなさい」とかね。いい話が多い。ボクらバブル経済を経験しているから、どうしてもそれに引きずられていますからね。反省させられます。毎週日曜日のミサには欠かさず出ているんですよ。
 そのミサで若い女性と知り合いましてね。まだ20代でOLをして働いている子です。非常に敬虔なクリスチャンで、ボクがホームレスだということを知っていて親切にしてくれます。そのやさしさに惹かれましてね。彼女のほうもボクのやさしいところがいいらしくて、個人的につき合うようになったんです。この歳になって、そんな女性にめぐり合うなんて、自分でもちょっと驚いています。
 デートをするといっても、ボクには金がありませんから、彼女にみんな払ってもらっています。食事代とかはもちろん、ときどき小遣い銭なんかももらったりして、ずいぶん散財させてます。ゆくゆくは結婚したいと考えています。彼女のほうもそう考えてくれているようです。
 だけど、ホームレスの身で結婚でもありませんからね。まとまった金を貯めて、小さな店でいいから持ちたいですね。おでん屋とか、小料理屋のようなものを始めたい。ボクは理髪店をしてましたから、やはり客商売が向いていると思うんです。だから何か商売を始めたいですね。
 そろそろ季節もよくなってきましたから、また工場に出て働こうと考えています。それで金を貯めて、店を持って、結婚をして……というふうになればいいんですが。
 男たるもの一度家を出たからには、みじめな格好では帰れませんからね。もう一度やり直して、ひと旗揚げて、嫁さんを連れて帰りたいですよ。 (■了)

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