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だいじょうぶよ・神山眞/第54回 ぼくが望んだコミュニケーション

■月刊「記録」2004年3月号掲載記事

*           *             *

 ぼくが悪かった。
 まちがいない。ぼくが悪いに決まっていたのだ。ぼくが要求しすぎたのだ。
 ぼくは正利に求めすぎていた。いったいぼくはあいつに何を求めていたのだろう。
 知的に遅れがあり、親子代々盗み癖があり、幼児期に親に捨てられて、眼の焦点がいつも合わない、不機嫌そうに唇が出っぱっているあいつ。
 そんなあいつにぼくはいったい何を求め、何を期待していたのだろうか。
 あとから振り返って思う。きっとぼくは誰かとコミュニケーションをとりたかったのだ。でもそれは軽い挨拶などではないし、堅苦しい社交辞令でもない。こぎれいな部屋でテーブルを囲んだ絵に描いたような家族の団欒とやらでもない。友達、親、兄弟、恋人……残念ながらそれらはぼくにとってコミュニケーションの対象には見えなかった。ぼくは正利を必要としていたのだ。
 床が見えぬほどの汚れた部屋。今食べたものと、いつ食べたのかわからない腐りかけたものの臭いが交差する部屋。そんな密室の中で、筋肉隆々で髪の薄い中年男であるぼくと、眼の焦点が一向に合わぬ知的障害者であるあいつとの間でしか交わすことのできない形のコミュニケーション。
 それは明らかに異様な光景だった。他の誰に話してみても理解を得られるはずのない空間だ。だからこそ濃密で、一度味わえば抜け出せなくなる。
 そんなものをぼくは望んでいたのだと思う。

■修羅場をくぐってきたあいつの恐怖

 あの日ぼくは確かに正利を殴ったのだ。6発、7発、いやそれ以上だったかもしれない。それがその後のぼくを大変苦しめることになるのだが、まちがいなくあの日のぼくは、ああいった形でのコミュニケーションを熱望していたのだ。
 望んでもいたし、欲してもいたし、何より必要だった。言葉でのコミュニケーションなどじれったかった。殴らなければならない焦燥に駆られていた。
 あいつの膨らんだほっぺたをぼくは殴りたかった。あいつの痩せているのにたるんだ腹を殴りたかった。何よりあいつの怯える顔を見たかった。あいつが痛みに身をよじる姿が見たかったのだ。
 物心ついてから、数々の修羅場をくぐり抜けてきたあいつは、めったなことでは怯んだりビビったりしない。そもそも想像力が欠けているから、何かを事前に想像して怯えることもない。反応も魯鈍で、普段の会話では喜怒哀楽がほとんどない。そんなあいつがぼくの拳にビビって、目にかすかな恐怖を浮かばせる。それはぼくの存在があいつに伝わり、あいつがぼくを認識した瞬間だ。
 そんなあいつを想像すると、それだけでぼくはワクワクした。今日こそかつて味わったことのない恐怖をあいつに味あわせてやろうと思った。理由なんかどうでもいい。金を盗んだから殴った? 仕事をさぼったから殴った? そうかもしれない。確かにあいつは金を盗んだし、仕事もさぼった。でも、それらは殴ったことの理由であると同時に、理由ではなかった。
 所詮、それらは大義名分でしかないのだ。

■平静を努めて装いつつも

  「おい、正利! おまえ金盗んでんじゃねえよ!」
 ぼくは声をかけた。普通はあいつがぼくに「きゅうりょうがやすい」だの、「つかれた」だのと言いがかりをつけてくることが常であったのに、今日はいつもと反対だった。
 秋とはいえ、まだ蒸し暑い夕暮れ時、アパート兼倉庫の壁によりかかり、正利はよれよれになった半袖のシャツを肩までまくり上げ、座って気持ちよさそうにタバコを吸っていた。
 店から乗ってきた自転車にまたがったまま、いきなり怒鳴ったぼくの言葉が冗談なのか本気なのかが判別できないあいつは、ただぼーっとぼくの顔を見ている。
 ぼくも正利も無言であった。ボロアパートなので洗濯機は部屋の外にある。その洗濯機がガタガタと壊れたような音を立てていた。ぼくは自転車から降り、ゆっくりと一歩ずつあいつに近づいていった。
 あいつはぼくから何かを感じるだろうか。いや、感じはしない。いつでも何も察しはしないのだ。タバコを持つ手がだらーんと伸びきっている。あいつはあまりにも無防備だった。ぼくにとっては絶好のチャンス。うずうずした。間近まで歩いてきたぼくをあいつは見上げた。
 相変わらずまぬけな顔だ。それに比べていったいぼくはどんな顔をしているのだろう。何せぼくはウズウズしてゾクゾクしていた。努めて真面目な顔を装っているつもりであったが、どうだろう? 喜びのあまり少しニヤついているだろうか? まあ、そんなことはどうでもいい。いずれにしても数秒後、ぼくはあいつの胸ぐらをつかみ、拳を振り上げているのだから。
 あいつは恐怖のまっただ中にいるはずだ。(■つづく)

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