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ホームレス自らを語る/ホームレスになってまだ三ヶ月・下川保さん(51歳)

■月刊「記録」2001年7月号掲載記事

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■飯場の健康診断に引っかかった

 ホームレスになったのは今年の2月からだからね。まだ、3ヵ月にしかなってないよ。それまで25年以上建築現場でずっと働いてきた。そりゃあ真面目なもんだったよ。いまゴールデンウィークで世間様はお休みだけど、こういうときでもオレは仕事さえあれば働いてたからね。そんなオレが2月に飯場を放っぽり出されてからは、仕事にありつけない。で、公園で寝るしかなくなっていたんだ。
 2月までは(東京)中野の現場にいたんだ。そこで保健所の健康診断があって、レントゲン検査に引っかかった。オレの胸にいくつかの影があるのが見つかって、結核の疑いで「精密検査の要あり」と言われ飯場を出されちまった。そのあと病院に行ってくわしい検査を受けたら、ただの気管支炎だとわかって、それもすぐに治ったんだ。それで現場に戻ろうとしたら、もう後釜が入っていて空きはないと断られてね。それから別の現場の仕事を探しているんだが、なかなか思うように仕事にはありつけない。
 生まれは埼玉県の大宮。オヤジは地方公務員をしていたが、オレが小学校に上がる前にガンで死んだ。だから、オヤジの記憶はあまりない。あとはオフクロに育てられた。中学校を出て、商業高校の定時制に通いながら、昼間は大学生協の食堂でコックの見習いをして働いた。高校の4年間は真面目に通って、ちゃんと卒業もしたよ。
 高校を出たときに、コックの仕事も辞めた。あとはガソリンスタンドとか、車のディーラーとか、いろんなところで働いた。仕事の選り好みはしないんだが、飽きっぽいというか、どれも長く続かなかった。若かったせいかもしれないね。

■自衛隊で野戦砲の射手になる

 22歳のとき、陸上自衛隊に入った。休みの日に日比谷公園のベンチに一人で座っていたら、自衛隊の勧誘員が来てスカウトされたんだ。だから、とくに目的や理由があって入ったわけじゃない。勧誘員の話を聞いて面白そうだと思ったからだね。
 富士山の裾野にある御殿場の駐屯地に配属になって、戦車部隊の野戦砲担当になった。野戦砲は重量がすごいんだ。それに撃ったときの反動もすごい、砲が架台ごとはね上がるんだからね。だから、一門を扱うのに5、6人がかりの重労働だった。たぶん、このガタイ(身体)が見込まれて担当にされたんだろう。オレの役は射手。いや、射手は花形じゃない。野戦砲の花形は照準手で、射手はその命令で撃つだけだからね。
 自衛隊には2年間いた。ちょうどベトナム戦争の真っ最中だった。オレたち火器を扱っている部隊は関係なかったけど、輸送部隊には連れて行かれたところもあったようだね。
 自衛隊にいた2年間は真面目なもんだったよ。休日も駐屯地にいて外に遊びに出ることもなかった。酒も隊内クラブでたまに飲む程度だったしね。だから、金は貯まった。除隊してから、その金で九州・沖縄一周の豪勢な旅をしたよ。あれがオレの人生で一番いいときだったんじゃないかな。
 実は、自衛隊で野戦砲なんて重いものを扱っていたから、腰を痛めちゃってね。いまでもコルセットを着けているんだ。ほら(腰のコルセットを見せてくれる)。この腰痛とは25年間もつき合っているわけだからね。冬になると普通にしていても痛む。かなりつらいもんだよ。

■みじめな死に方はしたくない

 自衛隊を辞めてからは、土工とコンクリート工をずっとやってきた。飯場から飯場を渡り歩く生活だった。だから、アパートを借りたことは一度もない。
 結婚もしなかった。そりゃあ男だから、たまには女遊びもしたよ。だけど、女なんてツンツンしてるだけで嫌いだよ。結婚にも、女にも、あんまり興味はなかったね。
 土工でも、コンクリート工でも真面目に働いたよ。日本中のゼネコンの現場は全部で働いたんじゃないかな。赤坂のアークヒルズだろ、幕張メッセもやった。幕張の現場が一番すごかったね。それこそ日本中のゼネコンが集まって、いろんなビルを競争のようにして建てたんだから。オレはそのときは国際見本市の建物をやったよ。 新宿のビルもやった。工学院大学のビルとか、パークタワービルの工事についた。いまこうして新宿でホームレスになって、たまにそんなビルの下を通ると、「このビルはオレが建てたんだなあ」って思うよ。
 オレの場合、建築現場で働くには腰痛のハンディがあっただろ。だけど、そこは腕力でカバーしたんだ。ほかの人が持ち上げられないようなものも、腕の力だけで持ち上げたりしてね。「おたく、力があるんだねえ」と監督をびっくりさせたこともある。オレは真面目だったし、力もあったから、どこの現場でも重宝がられた。
 それだけ働いても金は貯まらなかったよ。酒も、ギャンブルも、女遊びも、あまりしなかったのにね。日当が6000~7000円じゃあ、一つの仕事を終えて飯場を出され、次の仕事までカプセル(ホテル)やサウナで寝泊まりするから、その金と飲み食い代でほとんど消えちゃった。残るものはなかった。
 いつだったか、鳶の親方に気に入られてね。「鳶にならねえか」って誘われたことがある。オレだってビルの1、2階分くらいの鉄骨に上るのは平気なんだ。だけど、それ以上の高いところで、腰をかばいながら仕事をするのは自信がなかった。で、その親方の話は断っちまった。鳶の仕事ができてたら、もう少し違ってたと思うけどね。だから、ずっと土工とコンクリート工のままできた。
 40歳を過ぎたころかな? 体力がガクッと落ちたのを感じた。体力の衰えって、ホントに急にくるんだね。それでも腰に気をつけながら意欲だけでがんばってきたんだ。ところが、今年2月の健康診断に引っかかって、飯場から放っぽり出されることになったわけだ。
 ホームレスになってまだ3ヵ月だから、食い物を手に入れる方法とかわからなくてね。ボランティアの差し入れだけが頼り。だけど、毎日あるわけじゃないし、1回の差し入れを2回に分けて少しずつ食べたり工夫はしてるけどね。やっぱりひもじい。あとは水道の水を飲んでごまかしてるよ。
 これまで25年間ずっと働きづめできただろう。1日中公園のベンチに座ってじっとしているのは身がもたない。体がなまってしまうしね。それで最近はボランティアに参加しているんだ。「新宿をきれいにする会」というグループがあってね。新宿の街の美化のためにゴミを拾って回る運動で、オレも毎朝6時から2時間参加して公園や周辺のゴミと空き缶を拾っている。参加しても何かがもらえるわけじゃないけど、ウズウズしている体にはちょうどいい運動になるしね。それにオレはきれい好きで、汚いのは嫌いなんだ。
 とにかく早く仕事を見つけたい。オレもまだまだ働くつもりでいるからね。みじめな死に方だけはしたくないと思っている。そのためには人生をいい方向にもっていきたい。ごくあたりまえの幸せと健康であればいいんだからさ。不幸はヤダ。不幸のなかで死ぬのだけはヤダからね。 (■了)

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