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だいじょうぶよ・神山眞/第53回 正利という迷宮

■月刊「記録」2004年2月号掲載記事

*          *          *

 しかしまあ、人間の心理とは不思議なものである。
 くっつけばくっつくほど、そして一緒にいる時間が長くなれば長くなるほど、逆に離れている相手の時間が気になって仕方がなくなるものだ。
 恋人や夫婦などの例ではよくみられる現象である。そしてなぜか、ぼくと正利もその例にもれず、とにかく寝ても覚めてもお互いを気にし、お互いを意識していたのであった。

■不可解すぎる拘束状態

 いや、ぼくと正利の関係はもう少し違う。
“意識していた”などというレベルの高いものではなく、ただ、ただ“知りたい”のだ。何でもいいから“知りたい”のである。
 所持金、何を食べたか、昨日はフロに入ったか、入ったとしたら何分くらいか、その銭湯からの帰り道はどの道を通ったのか、そんなどうでもいいことから大事なことまで、とにかく何でもいい。何でもいいから“知りたい”のである。
 正利の1日の主な仕事は、日焼けサロンで使われる大量のタオルの洗濯である。
 通常、ぼくは朝から店に出ている。正利は倉庫でタオルを洗い、たたんでいる。するともう気になるのだ。正利がタオルをたたみ終えて店に届けに来るまで、ぼくは正利のことが頭から離れずに、もう気になって気になって仕方がない。
 そしてやっと正利がやってくる。するとぼくはホッとするのだ。正直に言って嬉しい。小躍りしてしまうほど嬉しい。
 かと思えば、今日のように正利がいつまで経っても店に来ない日もある。最初、ぼくは頭にきている。とにかくあいつが現れたら四の五の言わせず頭ごなしに怒鳴りつけたいと考え、手ぐすね引いて待っている。
 しかし、待てど暮らせど、あいつは現れない。
 するともう不安で仕方がなくなるのだ。少しニヤケた顔でもいい、逆ギレしてムッとした顔でもいい。とにかくあいつに現れてほしいのだ。
 なぜ来ない? どうして来ない? 寝てしまったのか? どこかへ遊びに行ってしまったのか? そういえばこの前は近所の小学生に誘われてサッカーしに行ってしまったな。不安がぼくの心を一杯にする。仕事に追われ、一時はその不安が雲のように通り過ぎてしまっても、また一段落つくと別のところから不安は現れ、もやもやとぼくの心を包み込む。
 なぜぼくはこんなにあいつのことを心配するのだろう?
 一体どんな理由で心配や不安にかき立てられているのだろう。

■心も躍るブレーキの調べ

 あいつが現れないことのメリットなど店にはほとんどない。単に、タオルが届かなかった、ということくらいのことだ。それ以上でもそれ以下でもない。売り上げの金額が急に変動してしまうこともければ、客の入りが急に悪くなるわけでもない。
 それなのにぼくときたら気になって気になって仕方がないのだ。正利の自転車はブレーキパッドが両方削れてしまっている。だから店の前に来ると、「キッキッキッキッキッー!」と、けたたましい音がする。それによって「おおっ、正利が来たぞ!」とぼくはいつも胸一杯の安堵感に包まれるのだ。
 それなのに、それなのに、今日はあの「キッキッキッキッキッー!」という音が、待てど暮らせどまるで聞こえてこないのだ。
 こんなときに思う。あいつに携帯電話を持たせるべきなんだよ、と。でも持たせればきっといろいろな厄介なことに巻き込まれるだろうなぁ…。そんなこんなでぼくは本当に様々な、きっと世間様からみれば、限りなく不必要で理解しがたい悩みや不安を常に抱えて仕事をしているのだった。
 そのときである。
「キッキッキッキッキッー!」
 たしかに聞こえた。やっと聞こえた。正利だった。
 予定時刻を過ぎること約2時間。とうとう店に正利が現れた。70リットルの透明ポリ袋一杯にタオルを入れて、体を左右に揺すりながら階段を上がってくる。
 ぼくにはもう怒りなんか微塵もなかった。心配で心配でしょうがなかったのだから。だって、あいつと離れている空白の時間がいつもより2時間も長かったのだから。ぼくにしてみれば当然の気持ちだろう。
 誰にもわからないこの気持ち。
 そして誰にもわかってほしくないこの安堵感。
 同時に誰かに伝えたいこのハッピーな気持ち。
「ビバ!正利!!」
 こうしてぼくは正利という迷宮に、文字通り迷い込んでいったのであった。 (■つづく)

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