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ホームレス自らを語る/ヤクザからの逃避行・金本繁雄さん(35歳)

■月刊「記録」2001年11月、2002年1月、2月号掲載記事                        ※この記事は山崎歌穂さんの記事とリンクしている個所があります。

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■母親に見捨てられた

 21歳の誕生日に、俺の育ての親だったおばあちゃんが息をひきとったんだ。病院から二人で暮らしていた市営住宅におばあちゃんを運んでさ。でも、連絡を受けて集まった親族八人と、遺体の前で大げんかだよ。
 だいたい入院していたころから、ヤツらには頭に来ていたんだ。死んでもいないのに、病院で死んだあとの相談をしていたしな。そのくせナースステーションにはお菓子なんか持ってきて。その前にやることがあるだろうと思ったよ。せめて一ヶ月に一回ぐらい、おばあちゃんに電話してきてもいいだろ。
 あんまり頭に来たんで、ケンカした夜から野宿した。葬式にいちおう参列して、5日ぐらいしてからバイバイしたよ。野宿しているときに、おばあちゃんの国民年金と老齢年金が出ていることに気がついてね、自分で委任状を書いてお金をもらってきた。
 俺はね、生まれて二ヶ月でおばあちゃんに預けられたんだ。父親の名前はわからない。戸籍にも斜線が引いてあるからさ。ただ聞いた話によれば、病院に看護婦として勤めていた母親が、医院長の子どもを生んじまったらしいな。昔、その医院長の家を見にいったこともあったよ。こんな大きな子どもがいてさ。幸せそうだったな。 どんな事情があれ、子どものクソや小便を世話するのが親だろ。手のかかる時期にいない母親なんて俺は絶対に許せない。

■持ち歩いた祖母の写真

 気の毒なのはおばあちゃんだよ。いくら実の娘の子どもといったって、俺が連れてこられたのは64歳のときだからな。子どもの面倒なんて見られる歳じゃないから施設に預けちゃえと親族に言われたらしい。「でも、かわいそうで出せなかった」とおばあちゃんが話してくれたことがあったっけね。
 母親がいないのを感じたのは、幼稚園のときが初めてだな。みんなが母親とダンスを踊っているのに、俺は先生だったからさ。なんで俺だけと思ったよ。
 中学時代はとにかく頭に来ていた(笑)。そのうえテメエがやったことに対して、始末をつける方法がなかった。おかげで、いろんな人に迷惑をかけることになっちゃったよ。
 高校を卒業してからは、トレーラーの整備士として働いていたんだ。でも働きだして数ヶ月したころ、おばあちゃんが脳溢血で倒れちゃった。最初の二ヶ月は昼は会社、夜は病院に泊まり込みなんて生活を続けていた。でも、いくら体力があってももたないよ。仕方がないから一年勤めた会社を辞めてガードマンのアルバイトを始めたんだ。少し時間が自由になるからさ。
 そうこうしているうちに、おばあちゃんの被害妄想が強くなってきたんだ。「看護婦さんに殺される」なんて言うようになったし、医者の言うこともきかない。自分でどこに薬をしまったのかもわからなくなった。
 こうなると、俺がつきっきりで世話をするしかないよ。アルバイトも辞めて、俺とおばあちゃんの生活保護を申請した。
 このときの生活は意外に面白かったよ。おばあちゃんとは友だちみたいな関係だったし。病院が流動食しか出さないから、よく俺がおいなりさんを買っていって二人でつまんだよ。看護婦が来ると、すぐ隠せるようにしてな。
 温泉に行ったこともあったな。病院にタクシーを呼びつけて、温泉までの往復が3万8000円。豪勢な旅だった(笑)。でも、そんな時間を過ごせたのは二年間だよ。おばあちゃんは84歳で亡くなったんだ。
 おばあちゃんの写真は、ラミネートパックにして持っていたんだ。でも、酔っぱらってなくしちゃったんだよね。まあ、顔は忘れたことがないけれど。

■手錠って冷たいんだよ

 市営住宅を出たあとはパチンコ屋で働いた。身分証明書や住所も必要なかったからな。二年間ぐらい勤めたけれども、だんだん仕事が嫌になってきてさ。やっぱり人が遊ぶ場所で仕事するべきじゃないよ。拭き掃除している目の前で、遊んでいる人がいるんだから。キャバレーやゲームセンターなんかも同じだろうけど、仕事は仕事でも因果な商売だよ。
 それで二三歳から飯場で働くようになったんだ。履歴書も写真もいらないから楽だしね。でも土方の仕事も少しずつバカらしくなっていったんだよね。仕事仲間から「年くってもできる仕事なのにね」なんて言われたけれど、その通りでさ。23歳も60歳も賃金が同じなんだ。
 もっとも、やりたい仕事も見つからなかった。朝から定時に起きて、何時から何時まで働いてなんて生活を続けても、ぜんぜん納得できない。逆に遊んでいても意味がないし。ただ食って、酒飲んで、生きていくのもな。まあ、逃げているだけかもしれないけどさ。それで何となくホームレスになったんだよ。
 埼玉の公園でホームレスをしている時に初めて歌穂と会ったんだ。98年6月、彼女は俺の仲間と酒を飲んでいたんだよな。彼女は、スナック、ピンサロ、ソープと渡り歩いて歳を取り、仕事がなくなったんだ
 最初の出会いから3ヶ月後、同じ場所で彼女と再会して一緒に暮らすようになった。当時は、食べるのも楽だったからね。近くのコンビニに行けば、賞味期限切れの弁当が、5、6個は簡単に手に入ったからさ。
 それに俺は、ピンクビラを電話ボックスに貼る仕事を見つけたんだ。給料は一日一万円。朝の10時から貼り始めて、はがされるビラを三、四回補充すればいいんだ。12ヶ所のボックスに貼るだけだから、そんなに大変じゃない。
 でも4月に、俺は大きなミスをしたんだ。夜九時を過ぎるとビラをはがす係が来なくなる。その日もさっそく九時過ぎからビラを貼りつけたんだ。やっと仕事が終わってビールを飲んでいたら、30分もしないで電話がかかってきた。ビラがはがされたって。
 トサカに来たんだよ。頭に血が上ってたんだな。仕事し終わった直後に、はがされるなんて悔しいじゃないか。いや、ビールは一本しか飲んでなかったけどね。それで「ネタ」の入った藍色の袋をつかんで、すぐに貼り直しに出かけたんだ。
 夢中で電話ボックスに貼りつけていたら、電話ボックスをコンコンってたたくヤツがいる。見たら、二人組のおまわりさん。ちょうど一〇時半だった。手錠って冷たいんだよ。いまでもあの冷たさは忘れられないな。

■俺はまだ懲りてなかった

 留置所は刑務所以上に塀を感じるんだ。捕まったときは留置所で自分が暴れちゃうかと思ったけれど、全然そんなことはなかったな(笑)。指紋を取って、左右正面と写真を撮って、パンツ一丁で身体検査をして、3日間ぐらい取り調べを受けた。留置所は二人部屋。一緒に寝起きしていたヤツは、覚せい剤取締法で捕まったアラビア系の外国人だったよ。一流の学校を出ているらしくて、日本語はペラペラだったけれどね。
 留置所にいたのは10日間。捕まったときの所持金9900円を受け取って外に出たんだ。
 でも、俺はまだ懲りてなかったんだよね。留置所を出てから、すぐにビラ貼りの仕事を再開した。ところが再開してすぐ、警官と出会っちまった。ビラを貼り終わって、歌穂と自転車の二人乗りをしていたんだ。何気なく前を見ると、パトカーに乗った警官がこっちに視線を送っていた。自転車のカゴには、紙袋とコンビニの袋があって、なかにはビラと商売道具が入ってる。逃げ出せば捕まって、留置所に逆戻りだよ。
 仕方ないから、歌穂を荷台から降ろして20メートルほど歩いたよ。そしたら案の定、「ちょっと待ってください」と声をかけられてさ。そのときの歌穂の言い訳が、いかにもつくったという感じでうそ臭かったんだよ。「病院に行って戻ってきたところなんです」って(笑)。
 警官はうなずきながら、防犯登録を調べ始めたよ。自転車そのものは、廃品を直したものだったから問題はなかった。ただカゴの袋を開けないでくれとひたすら祈ってた。
 警官から住所と電話番号を聞かれたときは、うらみのある人間の番号を答えたよ。でも、警察もなかなか離してくれないんだ。しまいには警察署に出頭しろなんて言い出すし。そうなったらビラ貼りで捕まったことがバレるし、カゴの荷物も調べられちゃうだろ。それで、「いまは病院帰りで彼女を送っている最中だから、一時間後に必ず警察署に行きます」と約束して、その場をごまかしたんだ。
 パトカーから見えない場所まで来たら、二人とも大あわてだよ。すぐに商売用の荷物を捨てて、着替えのバッグだけ持って電車に飛び乗った。たまたまポケットにはビラ貼りでかせいだ1万3000円が入っていたんだ。危なくてあそこではビラ貼りなんてできないなあと思ったよ。警察署に出頭しなかったことで、職務質問をした警官からはあやしいと思われるし。同じ場所で貼っていれば、いずれ捕まるからさ。

●殴った女は出ていった

 電車を降りたのは川崎。ここでホームレスを始めたんだけれど、エサがない。ファストフードも回ったけれど拾えない。そのうちパンク(お金がなくなって)して、パチンコ屋に置いてあるアメ玉をしゃぶって腹が減ったのをがまんしていたんだ。2、3日かな。多摩川を眺めながら、アメだけで過ごしたのは。でもこれじゃいけないと思ってさ。歌穂もかわいそうだし。
 それで昔世話になっていた人に、なけなしの30円で電話したんだよ。不動産屋と人材派遣の会社を経営している人でさ。以前に仕事を紹介してくれた人だったけれども、不義理をしちゃったんだ。それでも電話で話を聞いてくれて、事務所にも来いって言ってくれた。訪ねたら、俺にはカーペットを扱う会社を、歌穂にはウェイトレスの仕事を紹介してくれたうえに、アパートまで用意してくれたんだ。それから三ヶ月は、まあまあ順調に暮らしていたんだよ。
 でも9月に歌穂は出ていった。いや、俺がなぐっちゃったんだよ。
 仕事が終わるころには、店なんかも閉まっちゃうだろ。だから魚屋でつまみの魚を買っておくよう、歌穂に頼んだんだ。すっごくおいしい刺し身でさ。でもアパートに帰ってみたら、歌穂はいつものように発泡酒を飲んで、魚のことなんか忘れていた。近くの店でかき揚げとコロッケを買ってきて、それをさかなに晩酌だよ。
 そのうえ歌穂が部屋を散らかしていたんだ。俺は「あったところに物を片づけておけ」とどなった。そうしたら歌穂がふてくされてさ。飲んでいると気が強いやね、あいつも。それで殴っちゃったんだ。
 いや、当時の俺はひねくれてたんだな。歌穂がかせいできたお金でキャバレーに行って、そこの女と寝ちゃったり、昼間はゲーセンにしけこんだりしてさ。もちろん仕事に行く気にもならないし。
 結局、殴ったことが引き金かな。歌穂は仕事を辞めて家を出た。それっきりアパートには戻ってこなかったよ。

●仕事しないとアカがつく

 俺は働き続けたんだ。でも3月いっぱいで辞めた。じつは部長から引き抜きがあってね。違う職場で仕事をしないかと。しかも同時期に、違う上司から正社員にならないかと声がかかったんだ。真面目に働いていたからさ。でも、どちらかの顔を立てれば、必ずどちらかをつぶすことになるだろ。だから両方切った。これなら二人に迷惑がかからないだろう。
 それにカーペットの仕事していて、これでいいのかなとも感じていたんだ。仕事に追われて、一日一日を過ごしていたから。お金は残らないしさ。会社の仲間と飲んでいてもそうだよ。「こうしたらいいのになー」とか話すでしょ。そうすると「いや、会社組織なんてそんなもんよ」とか返されるわけだよ。そのとき「アー」と思ったんだよね。
 アパートに住んでいても、ホームレスしていても生活なんて変わらないよ。ただ働いているだけじゃ、自分がおかしくなっちゃう。自分が何をしたいのかね……。いや、俺は強いときはスッゲー強いんだ。でも弱いときはスッゲー弱いんだよ。なんか自分が特別な存在だと思っているのかな……。サラリーマンって何を考えて生きているんだろうな。俺だって、自分の許容範囲で生きていければいいんだけれどね。
 仕事を辞め、アパートを引き払い、埼玉に戻ってホームレスを始めた。振り出しに戻っちゃったよ。
 いや、ホームレスになるのに勇気はいらない。覚悟もいらないよ。ただギャップを調整するのが大変なんだ。禁断症状が出るから(笑)。8時か9時になったら飲みながらテレビを見る。そんな当たり前の生活ができなくなるだろ。センチメンタルになるんだな。まあ、それも一ヶ月ぐらいかな。二ヶ月ぐらいすると、完全にフラットさ。
 ホームレスになったら、まず服を探す。汚い格好は嫌だから。何でも捨ててあるからね。探すのに苦労はしないよ。新品同然の服だってそろう。だから服装はどうにでもなる。靴墨だって落ちているから、ピカピカの靴を履くことだってできる。
 ただどんなに格好をつけていても、俺はホームレスを見分けられる。いくら身だしなみに気をつけて、頭に油をつけて整えていてもね。
 仕事をしていないと考え方が変わるんだ。意識が違う。それが表れる。「アカ」というのかな。見ればわかるんだよ。勤めている人とちょっと違うから。働かなくても何とか食えるでしょ。それが当たり前になっちゃう。稼業を見下すわけじゃないけれども、働かなくなる。それが怖いんだよ。

■第一声が「コーラァー」

 会社を辞めて二ヶ月ぐらいあとだった。5月の連休が終わっていたから、20日ぐらいだったかな。ばったり歌穂に再会したんだ。駅のトイレ近くにいたら、歌穂が来てさ。「おめえ、何してんだ」って声をかけんたんだよ。そしたら「トイレに来た」って。トイレなんか下にもあるから、わざわざ階段を上って、ここのトイレなんか使うことないのに。上のトイレの方がきれいだから階段を上ってきたんだと。それで、また一緒に住むようになったんだ。
 飯場のまかないをしていたらしいんだけれど、これがひどい職場だったらしいんだ。仕事ができると思って、手配師の口車にのって飛びついたら、飯場に泊まっているのはヤクザばかり。夜になれば、血だらけの殴り合い。覚せい剤なんかも打っていたらしい。そりゃ怖かったらしくて、その飯場を、どうにか辞めてきたらしいんだ。
 俺は何度か聞いたんだよ。「辞めるって会社に言ってきたんだろうな」って。「勝手に辞めてきたんじゃないな」って。歌穂もうなずくから信じたんだけれど、これがケチのつきはじめだったよ。
 再会してから二ヶ月ぐらいたった七月、朝の九時ぐらいだったかな。2人で図書館に行こうと思って歩いていたんだよ。そしたら歌穂が声をかけられたんだ。「会社の人間が会いたがっている」ってさ。「残っていた給料を払いたい」なんてね。俺も少しは生活がラクになるかなーと思って車に乗ったんだ。いや、丁寧な口調でさ。全然怖くなかったよ。だから「旦那も一緒にどうですか」と言われたときは何の疑いも持たなかった。
 ところがさ、事務所に着いた時の第一声が「コーラァー」だからね。すごいデカイ声で。動くと布がこすれてシャカシャカと音がする薄いジャージがあるだろ。あれを着た男がいきなり膝の上にケリを入れてきたんだ。一八五センチはある大男だからな。すごい衝撃だよ。次に腹、前かがみになったところで肩口にケリだ。プロレスラーの蝶野正洋がやるケンカキックって知ってる? 足の裏、かかとでけるの。そのケンカキックがこめかみにも入ったからさ。歌穂はきちんと話をつけて辞めたと思っていたみたいだけれど、向こうは歌穂を飯場から連れ出して逃げたのが、俺だと思っていたんだよ。もう話にならないさ。
「すぐ裏が工事現場だからな。殺して埋めてやるよ」と脅されて、手の甲にアイスピックを突き刺された。一発で泣きを入れたよ。それでも二時間ぐらいは、いたぶられていたかな。
 また歌穂がさ、ヤクザから「これからどうする?」とか聞かれると、「ここで働く気はありません」とか言うんだよ(笑)。てめぇー、俺が殴られるだろうと思うけれど、曲げないんだ。
 その日、たまたま社長が法事に出かける日だったらしくて、「逃げないように見張っておけ」と舎弟に言い渡して、やっと暴力から解放された。
 事務所のそばには大きな飯場があって、トラックが何台も置かれていたよ。辺りにはススキがいっぱいあって、舗装されていない道には轍があるだけ。逃げられないと思ったね。

■裸足の言い訳

 夜になったら、「飲み会があるから来い。社長も呼んでるしな」と言われて、案の定「どうやって落とし前をつけるんだ」と脅された。
「できることは何でもします」と言って頭を下げたよ。それしかないじゃない。さらに名前を言って、「よろしくお願いします」と頼み込んだんだ。「おめえ、逃げんなよ」と一言脅して、ヤツもそれで納得したんだろうな。少年院の話なんかを始めたよ。そいつはフィリピンの女を連れていてね。格好からして、いかにもヤクザだったな。
 それから酒を飲んだり注ぎに回ったりして、ある程度時間がたってから、コップを探すふりをして台所の歌穂に会いに行った。「もう少ししたら、ここから逃げ出すからついてこい」と耳打ちしにね。
 宴会がお開きになって、風呂に入る時間になってさ。俺は、バカそうな一人に、「タオルを買ってきたいんですが」と話しかけたんだ。そうしたら店の場所を教えてくれたよ。運のいいことに、そのときたまたま1万円を持っていた。
「5分で戻りますから」と言って事務所から出て待っていたら、数分後、靴も履かずにストッキングのまま、歌穂が事務所から出てきたんだ。9時半ぐらいだったかな。歌穂の手を引っ張って、200メートルぐらい全力で走ったよ。街灯も100メートルに一個ぐらいしかなくて、道は真っ暗。かえってそれがよかったんだよね。車のライトが見えるからさ。
 車のライトが見えると、側道の竹やぶに飛び込んで通り過ぎるのを待ってさ。やり過ごした車は2、3台かな。とにかく追ってくる車が怖くてさ。振り向き、振り向き走っていたけれど、途中からバックで走っていた。これなら後ろを見ながら、走れるからさ。
 途中、道端に止まっている車があってね。車内にアベックがいたんだ。こっちは、とにかく遠くに逃げ出さなくちゃいけないから、アベックに必死に頼み込んだ。「足をくじいちゃって、道もわからない。お願いだから、駅まで送ってくれないか」とね。本当の事情を話したら絶対に送ってくれないからさ。適当にうそをついたけれども、それでも丁重に断られた。仕方ないよね。見るからにあやしいんだから(笑)。

■やっと逃げ切った

 それからは家を見つけるたびにベルを押して、車で駅まで送ってもらえないかとお願いしたんだ。一軒目は、歌穂が交渉したけれどダメ。二軒目もダメ。三軒目に、ピンポンと呼び鈴を押したら、40代後半の夫婦ものが出てきてさ。また、足をくじいたとか話したよ。
 歌穂も「手で靴を持って歩いていたんだけれど、なくしちゃったんですよ」なんて裸足の言い訳してさ。でも、その方がよっぽどおかしいよね。裸足の理由としてはさ(笑)。
 結局、かっぷくのいい旦那が送ってくれることになった。でも送ってもらうだけじゃダメなんだ。近くの駅じゃ困る。近い駅はヤクザも張っているだろう。ヤクザに出会ったら送ってくれる人にも迷惑がかかるしね。乗ってからも必死に少し遠い駅に連れてってくれるようお願いしたんだ。変に思ったかもしれないよね。でも、もともと裸足の女を連れた男だからな(笑)。
 幸い窓にはスモークがかかっていたから、外からは見えなかった。でも窓が少し開いていたんだよ。だから「すみません。閉めていただけますか」ってまた頼み込んだ。だって窓からヤクザに見られたら困るから。心配し過ぎと思うかもしれないけれど、ヤクザがどこまで来ているかわからないもんね。だから怖いの。
 駅に着いてからも大変だったよ。階段の下に隠れていた。街灯もなくて真っ暗なところだよ。他の場所にいると、ロータリーから見えちゃうから。また電車が来るまでに時間があってね。怖かったよ。だって駅で見つかったら逃げられないだろ。
 やっと電車が来ても、夜の上り電車だからガラガラなんだ。もしヤクザが乗っていたら、見つかるなと思ったよ。だから気休めかもしれないけれど、一番後ろの車両に乗って、誰か来るかなーって周りをうかがっていたんだ。もし前からヤクザが来たら、電車を降りて逃げることもできるからさ。
 何度か乗り換えしたけれど、ずっとビクビクしてたな。やっとホッとしたのは、品川に着いてからだよ。たしか10時20分ぐらいだった。
 駅から15分ぐらい歩いたかな、ファミリーレストランに入ってビールを頼んで、初めて心から笑えたんだ。「テメー、このやろう」って言いながら、歌穂の頭をこづいたりしてさ(笑)。そこで朝まで歌穂と過ごしたよ。体から力が抜けたね。

■歌穂がいなきゃ働いている

 それから、また平和なホームレスに戻ったの。
 お金と仕事内容、どちらが大切かと聞かれれば、仕事内容の方じゃないかな。仕事をしているときに、いらぬ心配はしたくないしね。
 人間関係のうざったくないところで働きたいんだ。仕事は真面目だけれど、仕切っちゃうの。だから上の人とぶつかることが多いし。俺は好かれるか嫌われるかどちらかだからさ(笑)。
 だから、たとえ日当が2000円ぐらい安くても、働きやすい場所を選ぶようにしているよ。もしかしたら、まだ極限まで追い詰められていなくて、キレイ事を言っているのかもしれないけれどさ。まあ、先のことは、あまり考えてないよ。思考停止なんてバンバンだよな(笑)。それでいいやと思うしさ。
 ただね、働かなくたって人からはモノをもらいたくないし、人に迷惑もかけたくないんだ。汚い格好をしているのも嫌だな。だからしょっちゅう洗濯しているよ。
 まあ、コレ(歌穂)がいなければ、仕事をしているかもね。きっと250%しているよ(笑)。二人でいると寂しくないの。一人でいる寂しさを俺は知らないんだと思うんだ。だから仕事をしないでも平気なんだよ。仕事仲間がいなくても、歌穂がいるからさ。 (■了)

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