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だいじょうぶよ・神山眞/第36回 新しい生活

■月刊「記録」2002年9月号掲載記事

*          *          *

 正利の就職先が決まった。ついに決まったのであった。大阪に本社がある左官屋であった。
 実際のところ、仕事はできるのか、職場に適応できるのか、依然として不安はつきなかったが、どんな形であれ、とにかく学園から“就職”という形であいつを送り出すことができたのだ。
 なんとか担任の責任を果たすことができた、という思いに、ぼくはホッと胸を撫で下ろしていた。
 とはいえ、本当のことをいえば、きっとあいつはすぐに辞めて戻ってくる、正利に仕事なんかできっこない、ましてや続けていくことなどできるはずがない。
 ぼくはそうも思っていた。
 それは正利というやつの性格を並べたうえでの客観的判断でもあったが、どこかがぼくの希望的観測でもあるのだった。

■日々はめまぐるしく過ぎても

 4月になり、新しい学期が始まり、ぼくも新しい児童たちの担任になった。
 当たり前だが、正利とはぜんぜん違ったタイプの中学生たちの担任だ。もう、わけのわからないことで頭を悩ませることもない。
 せわしない新学期のなかで、あっという間に月日は流れていった。5月になると中間テストが始まり、ぼくは子供たちと夜な夜な勉強した。6月になると、さらに子供たちとの距離を縮めるために、ぼくはアパートに彼らを招待し、焼き肉をごちそうし、新品の布団に寝かせてもやった。
 そうして日々は過ぎていった。めまぐるしく時間が過ぎ、新しい出来事もたくさん起こった。しかし、どんなときでもぼくは正利のことを忘れることがなかった。普通は、児童がが卒園して3ヵ月も経つと、お互いに新しい生活に追われ、また慣れ、だんだんと互いのことなど忘れてしまう。
 だが、ぼくは違ったのだ。
 ときどき、ぼくは左官屋の親方のところに電話を入れてみた。すると、いつも親方の奥さんらしき人が電話口には出た。
  「正利、お願いします」と、ぼくが言うと、
  「ああ、里屋くんね」と奥さんが言う。そして、
  「さとやくーん、電話よー」と、大きな声で呼んでくれた。
 正利という呼び名ではなく、「さとやくーん」という奥さんの電話越しの声を聞くと、
(ああ、あいつは遠いところへ行ってしまったのだな)と、ふと寂しい気持ちになった。
 電話口で正利は、
  「だいじょぶよ。しごとたのしいのよ」と、いつも決まって言った。
 ただ、ぼくには、あいつの声が、そんなに弾んだ声には感じられなかった。
 気のせいだろうか、自分の寂しい気持ちがそう感じさせているのだろうか、とぼくは、受話器を眺めながらぼんやりと考えた。

■ある朝の電話

 夏休みに入ると、暑いことが苦手で、体を陽に焼くことがもともと大好きなぼくは、ほとんど毎日のように子供たちをプールへ連れて行った。
 朝一番に集合し、午前中に近所のプールでひと泳ぎして、午後には学園に戻る。そんな日課だった。
 そしてそれは、そんなある日のことだった。
 朝、珍しく正利のほうから電話が入ったのだ。
  「せんせい、いまから、そっち、いっていい?」
 まったく唐突な正利からの連絡だった。だが、正利が唐突なのは、いまに始まったことではない。そしていつもとは違い、電話の声はとても明るく弾んでいるように聞こえた。
 話を聞けば、夏休みをもらうことができて、3日間続けて休めるのだという。
  「あー、いいよ。いいよ。来いよ。でも、ほら、他の子もいるからさ、昼寝の時間には学園に戻らなきゃいけないんだ。でも、今からそっちを出れば間に合うだろう?」
 ぼくも思わず、陽気な声を出していた。
  「だいじょぶよ。きょうは、ともだちもつれていくのよ」
 友達さえよければ、正利ともどもぼくのアパートに泊まっていけばいいのだ。久しぶりの懐かしさも手伝い、ぼくは単純にそう思い、楽しい気分になった。
 正利とは、市営プールの前で待ち合わせをして電話を切った。
 しかし、昼寝の時間になって、学園に戻る時間になっても、正利からも、その友達からも連絡さえ入らなかった。 (■つづく)

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