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だいじょうぶよ・神山眞/第26回 見捨てられた弟

■月刊「記録」2001年12月号掲載記事

*           *          *

「正利を引き取ることはできません。経済的に援助することもできません」
 そう、お姉さんはきっぱりと言って帰っていった。
 お姉さんが帰ったあと、ぼくは正利と話し合うために、正利の部屋へ向かおうとした。そして、歩きかけた廊下の先に正利を発見したのだ。
 いつものことだが、唇をすぼめ、目を見開いているインパクトのある表情。今までのお姉さんとのやりとりが、一気にすべて吹っ飛んでしまうような顔だった。
――こいつの顔は、嫌なことを全部忘れさせてくれるほどのじつに素晴らしい顔なのだ――
そんな服は着るな
 正利は、ぼくをみつけるなり「せんせ、せんせ!」と手足をばたつかせて叫んだ。
「せんせ、いま、おねえちゃんきてたでしょ」
「なんで知ってんだ」
「だって、たけしがおねえちゃんみたっていってたのよ」
「ああ」
 仕方がなく、ぼくは曖昧にうなずいた。
「おねえちゃん、なんできたの?」
「うーん、いいよ。とりあえず部屋へ行こう。おまえの部屋」
 部屋の中は、電気が消えていて真っ暗だったが、それでも散らかりぶりがわかるようなありさまだった。
「おい、正利この前、お姉さんの婚約者にもらった洋服あったよなぁ」
 ぼくは訊いた。
「あるよ」
 あいつは腹話術のように、ほとんど口を開かずに答えた。
「それ、おまえもう着なくていいよ。捨てちまおうぜ」
 正利は何も言わず、ゴソゴソとベットの下を探した。 「はい」
 みつけ出すとあいつは、ダンボールに入れっぱなしの一箱分の洋服を、ぼくに押して寄こした。
「どうして、きちゃいけないの」
「いいんだよ、こんなの、今度買ってやるから。とりあえずこれオレにくれよ」
 ちょっと間をあけてから、あいつは言った。
「なんで」
「その洋服なぁ…。それ、今度なぁ…。おれの車を洗車するときに使わせてもらおうかなと思ってな」
 すると、あいつはふてくされた顔で言った。
「なにいってんのよ、このひとは。じょうだんばっかりいってんだから」
 それは心の底からのおかしそうな顔だった。
 こいつは、自分がお姉さんに見捨てられたなどとは、夢にも思っていないようだ。
 ぼくは事実を言うべきかどうかを考えた。何もかも洗いざらい言うべきかどうか迷った。
 だが、言ってしまえば、あいつの大好きなお姉さんを貶めることになってしまう…。
 ――正利との約束を守らず、彼氏を取ったお姉さん。いい加減なお姉さん。調子のいいことばかり言う、嘘つきのお姉さん……。
 そんな嫌なお姉さん像をあいつに叩き込まなければならない。それはさすがに少し酷な気がした。
「もう、おれ、ねるね」
 あいつのどろんとした声が聞こえはっとした。あいつの顔に目をやるとと、薄ぼんやりした表情が目に映った。
 それは、今まさに一日の終わりを迎えようとしている。そんな感じだった。顔からは血の気が引き、口はだらしなく半開き。目の焦点は合っていない…。
 それらを見てぼくは迷うことをやめた。
 チャンスだ! そう、今なら何を話したって、こいつには理解不能に違いない。いつかは言わなきゃいけないことなんだ。だったら今、片づけてしまおう。
「わかった、わかった。もう、いいよ。おまえ、寝たほうがいいよ」
「ああー」
「それとねぇ、お姉ちゃん、来ねぇよ。あの男の人も来ない」
「えっ?」
 さすがに正利が反応した。
「まぁ、来ないったって、しばらくってことだから。大丈夫、大丈夫」
「ああー」
「ほら、もう寝ろ、寝ろ」
「ああー」
「来週の日曜日はどっかにめしでも食いに行こうか?」
「ああー。ひとしは?」
「仁史も一緒、一緒。おまえ今、仁史と仲良しだもんな」
「ああー」
「じゃぁ、おやすみ」
 あいつは二段ベッドの上の段にゆっくりゆっくり上っていった。  (■つづく)

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