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保健室の片隅で・池内直美/第19回 愛情はどれだけ注げばいいのか

■月刊「記録」1999年8月号掲載記事

*           *          *

 私の周りには、ボランティア活動をしている人が多い。彼らがボランティアをするなかで、どんな人と出会い、どんなことを感じているのか、私も感じてみたくなっって取材をしてみたことがある。

■異世界を体験するために

 どんな事柄にも人によって違ったものの見方がある。話し合ううちに互いの考え方、とらえ方の差が見えてくる体験はおもしろい。人の意見を聞くことは、自分が成長するために必要であり、なんらかの役割を果たしていると思う。物事へのとらえ方が一つではないと感じると、いままで知っていると思い込んでいた世界が、急に違ったものに見えてきて、異世界に導かれる気持ちになる。
 物事を悪いほうにしか考えられなくなっている時、こうした異世界への扉がたまたま開かれて、ふっと気持ちがラクになることがある。たぶんいろいろな人に出会い、さまざまな体験を重ねることが、心のゆとりにつながるからだろう。
 ましてや私のところには、前述のように不安を抱えている子たちから相談の電話やファクスが送られてくる。彼らの心に、異世界への扉を開けてあげることは、きっと私に期待されている役割の一つだろう。そんな思いもあって、ボランティアを体験しておこうと思ったのだ。 取材の方法は、ボランティアをしている友達に同行させてもらい、一緒に一日を過ごすというものだ。初日は、ホームといわれる養護施設でのボランティアに加わった。ここでは、私も一緒になって子どもたちと遊んだのだが、最初は彼らと何を話せばいいのかわからず、とまどいを隠せなかった。
 ホームには、昔のように両親がいないという子どもは少ないという。なんらかの理由があって、両親と一緒に生活することができない子どもが多いということだ。
 ホームの保母さんからはとくに「どういう話をするといい」とか「こういう話はしないでほしい」というような指示は与えられないので、親のいない生活をしている彼らに、ぬくぬくと親元で暮らしている自分がどう見えるのか、できることは何かあるのかと考えると、はりきる反面、不安だらけだった。
 実際、子どもたちが学校から帰ってくる前に、ボランティア総出で屋外に干してある布団を取り込むことになっていたのだが、布団を叩くことさえ知らなかった私には、取り込んで畳んで片づけるまでの作業さえ、なんとも手際の悪いものだった。そのときには、なんだかみんなの足手まといになってしまうような気がした。

■お姉さんなんか嫌い!

 さて、最初に入った教室は、幼稚園児のクラスだった。だが、教室に入ると、まだ幼稚園にはとうてい入れないような小さな子までふくめて、10人の子どもがにぎやかに遊んでいた。
 私が同年代の女の子と3人で教室に入ると、何人かの子がすぐに近づいてきて、とにかく抱っこをしろとせがむ。仕方なく、2人を抱えて1人を肩車した。子どもたちのなかには、「私のお姉ちゃんよ」という言葉を口にする子もいた。それと同時に「お母さんはいるの?」「今、一人暮らしをしているの?」とたずねてくる。やはり、これが彼女らの関心事なのだろう。
 親を思い出させてはいけないと思いつつも、その質問をうまくかわす手段がみつからずに、ただ笑って抱き上げることしかできなかった。
 そうこうしているうちに、一人の女の子が急に私に向かって、「お姉さんなんか嫌い」という言葉を口にし始めた。
 さすがの私にも、この言葉の裏にある寂しさと、「かまってほしい」という気持ちくらいは読み取ることができた。けれどもその先、思うように彼女に近づいていくことができない。
 時間だけがもどかしく過ぎていき、ふと気がつくと、私の周りからは子どもたちが去って彼女と二人だけになっていた。二人で向き合うと、少女ははじめて私のひざに乗ってきた。何もいわずに、ただ私にギュッとしがみついてくる。けれど私は彼女を、強く抱きしめてあげることができなかった。
 もともとそこでボランティアをしていた友達に、あとからこの少女のことを話した。すると彼女は、「私だったら抱きしめてあげる」といった。
「たとえ一瞬であっても、その温もりを伝えることができたら、寂しくなったときでも女の子は、そのぬくもりを思い出して強く生きていけるかもしれないから」と。 そうかもしれない。一瞬のぬくもりが強さを支えることもある。だけど、かえって寂しさにつながってしまうこともあるのではないか。
 私がその瞬間に抱きしめてあげることは簡単だ。でもいつも一緒にいる保母さんは、彼女が要求したときに、必ず毎回、その子を抱きしめてあげることはできるのだろうか? そう考えると、無責任に彼女にだけ、他の子によりも強い愛情を示すようなことはできなかったのだ。
 気がすむまで抱きついたあとで彼女は、私に「目を閉じて」というと、どこかへ行ってしまった。一人が離れれば、他の誰かが来て私のひざに乗る。そして戻ってきた彼女は、私が目を閉じたまま待っていることを期待していたらしく、他の子と遊ぶ姿を見てショックを受けたようだ。また「お姉さんなんか嫌い」が始まってしまった。

■気まぐれで愛していいのか

 少年の凶悪犯罪が多かったせいか、最近は思春期の世代の方が騒がれているが、「第一次反抗期」の子どもは忘れられがちだ。はじめて親と自分の関係を認識し、自己がめざめていく時期にあたるこの年頃に、一対一で正面から向き合い、気がすむまでわがままを聞き、愛情を注いであげられる人は、彼女たちの周りにはいない。
 小さな少女には、保母さんが注いでくれる愛情が、皆に平等にわけられたものだと理解するのは難しいだろう。だから彼女は、ただ満たされるまで愛情を求め続ける。「お姉さんなんか嫌い」といいつつも、近づいては離れていき、まただんだんとその距離が縮んで、やっぱり私のところに来て手を引っ張る。他の子どもたちのなかから私を引っ張り出して、独占して廊下に連れていこうとする。
 彼女は、誰も来ないところへいって、「一緒に折り紙をしよう」という。こんなふうに他の子どもを遠ざけて、二人だけになろうという要求にこたえてしまっていいのか。それが他の子どもに与える影響もよくわからない。私もちょっと考えたけれど、とりあえず少しだけ、時に流されてみた。
 向かい合って座ると、折り紙をわたされる。彼女が先生で、私は生徒だ。彼女が折ろうとするものが、途中まで折れば私にはわかってしまうのだが、彼女よりも先に少しでも折ってしまうと、ひどく怒ったそぶりを見せた。
 わがままとわかっても、気がすむまで愛情を注いであげることが必要だ、ということを私は何度も口にしてきた。たくさんの人にそれを伝え、自分自身でも実行してきたつもりだった。けれど、このボランティアを通して、一概にそれをいうことはできない気持ちになった。
 親がいれば、気がすむまで愛情を与えてもらうことはできる。だがそれは、いつでも一対一で向かい合うことができる親が側にいてこそだ。ここでは、一人ならまだしも10人、20人、それよりももっと多くの子どもが生活している。だからこそ中途半端な愛情を一時の気まぐれで注いでいいのかどうかわからなかったのだ。
 もしかしたら一瞬のぬくもりは、少女の満足につながるかもしれない。それを思うと心苦しいところもあった。でも、もう一度同じぬくもりがほしいと思った時に、それがない苦しさのほうがつらいのではないかとも思う。
 私は、彼女たちに毎日ついていることはできないのだから。

■裕福でも、家に父はいなかった

 私の父は、当時にしては珍しく、両親がそろっていながら施設で育った経験を持っている。その頃のことはあまり話したがらないのだが、祖母(父の母)が結核で入院し、祖父は仕事と看病とで、父とその兄弟を手元に置いておくことができなかったらしい。
 けれども祖父は、施設まで父に会いに来ることもめったにしなかった。どうして会いに来てくれないのかと、幼い父は祖父に聞いたらしいが、祖父の返事を私には教えてくれなかった。
 ただ私には、父がそれを聞いたことを後悔しているように見えた。
 そんなわけで、子ども時代の父はそれなりに苦労をし、寂しかった部分もたくさんあったと思う。それを子どもながらに振り切らなければならなかったことも多かっただろう。その日を暮らすのがやっとだった生活から脱出するために、父は家族を持つと裕福な家庭をめざしてがんばった。
 だから私達はお金に苦労することはなかった代わりに、父が家に帰ってこないことも多かった。私が引きこもり、自殺未遂を繰り返していた頃は、さすがに家には帰ってきていたが、私の単位制高校が軌道にのってからは帰らないことが多くなった。
 今でこそ父親が自宅に帰らなくても、なんとも思わなくなったが、小さい頃は父親が家に帰ってこなくて寂しかった。たとえ帰ってきても私が寝てからで、家を出るのは私が起きる前。小さい私はひどく寂しく、どこかで父親を求めていた。
 それを父にわかってもらいたくて、足りない頭で考えた。ありとあらゆることをやってみたが、父に私の気持ちがまっすぐに通じたと思えたことはあまりなかった。覚えていてくれるだろうか。
 もどかしかった頃から月日が過ぎ、私も今では自分で働くようになった。
 たまたまホームに取材に行くために泊まらせてもらった友達の家は、父が通勤に使う駅から二駅しか離れていないところにあった。私も泊まりがけで行っているので、父の帰宅する日と、私が帰宅する日が偶然重なることもあった。そんな時は待ち合わせをして、二人でゆっくり話をするようにしてみた。
 私が大人になり、自分自身で感情にコントロールをつけられるようになってからは、できるだけ父と二人で向き合う時間を作るようにしている。けれども、寂しかった当時に感じた父への拒絶感は、今でも完全に消えてはいない。父と話をすることには、どこかに「義務」の感じがつきまとうようになっていた。

■「今頃気づいたんだけど」

 そのときもはじめのうちは、いつものようにたわいのない話をしていたのだが、父のほうから、前に見たテレビの話をし始めた。私はそれを見ていなかったが、不登校や引きこもりの子どものいる家庭が出てきたという。 施設で育った父親が、いつのまにか「家にお金を入れるための存在」になり、仕事ばかりしていて家庭のなかの大切な何かを見落としてしまっているのだ、というようなことをやっていたというのだが、「それはまさに、自分のことをいわれているようだった」と話してくれた。
 私に寂しい思いをさせたということより、自分のいない家庭が「家族」でなくなっていることに、気づかなかったことのほうにショックを受けていたようだ。父は「今頃気づいたんだけど」といって、すまなそうな顔をした。
 その時、私には、こうして面と向かい、一対一で相対してくれる親がいるから、思いっきりわがままをいうこともできるし、自分が一番になることもできる。気持ちが満たされるまでの愛情を注いでもらうことができるから、20歳をすぎた今でも、親にすねたり振り回したりできる。こんな環境に生まれてくることができて幸せだったのだと気づいた。
 私は父に言った。
「いいんじゃないの? それでもお父さんの趣味は、家庭だったんだから」
 はじめて心から本気でそういうことができた。
 たとえ時間はすぎてしまっていても、父に気づいてもらえたことは私には本当にうれしかった。昔の感情には、時効があるようでいて、やっぱりなかったのだと思った。
 そして、ホームで出会った「お姉さんなんか嫌い」といっていた女の子のことを思い出した。彼女のことを抱きしめてあげることはできなかったけれど、ほんの数十分間、二人で向き合っていた時間を、彼女は覚えていてくれるだろうか。そしてわかれぎわ、たくさんの折り紙を私に持たせてくれたことを思い出した。あのやさしさをいつまでも持ち続けてもらいたいと願う。 (■つづく)

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