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保健室の片隅で・池内直美/第17回 いろいろなことを気付かせてくれた先生

■月刊「記録」1999年6月号掲載記事

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 季節の変わり目は、誰でも気持ちが不安定になりやすい。特に春は新学期への不安からか、一人ぼっちのような気がしてしまったり、他人と自分を比べてしまうのだ。いつも春になると、こんな魔の手が多くの人の心に忍び寄っていく。
 一度、「なんか変だなあ」と感じてしまうと、ドンドン自分に不安を抱いてしまう人がいる。生きていくことへの不安で一杯になり、生きていかねばならない理由を探しているうちに心がどこかへ行ってしまう。私はよく「心が迷子になった」という言葉を使うが、まさに迷子なのだ。

■春は心が迷子になる季節

 94年4月のはじめ、つき合いのあるフリースクールから一通の電子メールが届いた。「死にたくて、死にたくて、どうしようもないです」。そう訴える女の子へ、メッセージを贈ってほしいということだった。
 彼女はこの年の春に中学校を卒業したばかりだが、家に引きこもっているのだという。そしてほぼ同時期にもう一通、メッセージを贈ってあげてほしい人がいるという手紙が友人から届いた。その子も同じ時期に中学校を卒業しており、その後の進路は、定時制高校への進学と福祉関係の仕事につくことが決まっている。しかし、先のことを考えると不安でたまらないのだという。
 この子は短い春休みに時間をさいてボランティアに参加していた。ホームレスの人たちに卵や毛布、コーヒーを差し入れるというものだ。新宿へ行くことが多かったそうだが、春には大阪と神戸にも行った。その神戸に行った帰り道、彼女は突然泣き出してしまった。新しい生活になじめるかどうか、不安でたまらないのだという。 中学生の頃から新聞配達をして、一生懸命にがんばってきた子だから、新しい生活にもきっとなじめると思ったのだが、本人の不安が消えるには、もう少し時間が必要なようでもあった。
 私はこの二人に同じメッセージを贈った。「人は、ひとりぼっちになるために、新しい明日を迎えるのではないのですよ」と。
 このときから3年前の春、私もまた同じ気持ちでいた。生きていてもどうせ一人ぼっちだと。その頃は笑うこともなく、家からもまったくといっていいほど出ずに、引きこもりの生活をしていた。当然友達などおらず、私の相手をしてくれるのは親だけだった。その親の気持ちにも気づこうともせずに、別に一人ぼっちでもいいとさえ思っていた。というより、そう思おうと努力していた。
 友達がいなかった私には、どうしたら友達が作れるのかわからなかった。どうせ今までだっていなかったのだから、べつに無理に作ろうとがんばらなくても、一人でいたほうがラクだとも思っていた。
 しかし、やはりどこかで寂しかった。友達同士で明るく笑い合っている声を聞いたり、一人で買い物に行って友達と連れだって歩いている同じ年代の子の姿を見かけた時など、やはりうらやましかった。
 孤独感のなかで、私は次第に生きていく意欲を失っていった。そしてとうとう私は、自殺未遂騒動を起こした。あのときは周りが騒ぐなか、一人で冷めたような顔をしていた。私が死のうがどうしようが、みんなの生活に変化はないじゃない。何をそんなに騒いでいるの? というふうに。
 振り返って思えば、あれも私なりのSOS発信だったのだろう。

■応援してくれた高校の先生

 つい最近まで忘れていたが、騒動のあと、私はまっさきに高校の担任教師に会いに行った。私の担任は、高校に入学してから卒業まで四年間一度も変わらなかった。 この先生はちょっと大物だ。なぜなら自殺未遂騒動を起こしたあとも先生は、私を色メガネで見ることなくずっと応援してくれた。「何かあったらオレが助けてやるから」と、いつもいってくれていた。そして先生のすごいところは、実際に何かが起こった時に、本当に助けてくれたことだ。
 先生に助けられたのは、私だけではない。生徒のためにみんなの前でウソをついてくれたこともあった。だから、他のクラスメート達もあいた時間をみつけては、先生にいろいろな相談をしているようだ。
 たとえば、入学してまもなくすると、新しいクラスのなかには「グループ」が必ずでき始める。ことあるごとに集団で行動させられる学校生活のなかでは、グループに入っていないと身動きがとれない。だから、みんな無理をしてでも、どこかのグループに所属しようとする。 そしてなかには浮いてしまって、まったくメンバーと相性が合わないのに、背伸びしてグループにしがみつき続けるような子も現れる。なぜならグループは、一度できあがると互いに排他的になってしまい、外部からは人が入りづらくなるからだ。途中から他のグループに入り直すことは、大人には想像できないほど難しい。
 この傾向は一般の高校であるほど強い。私の高校は通信制のため、普通高校ほど強いグループ意識はないが、やはり遊び人っぽい子のなかに一人だけ真面目すぎる子がまぎれてしまうみたいなミスマッチが起こる。そんなとき、担任の先生は、生徒同士の「お見合い」をさせてくれた。
 その子に合いそうな友達を探して、その子を受け入れてあげてほしいことを伝えるのだ。ミスマッチからいじめなどが起こりそうになっている場合には、この「お見合い」が効果を発揮する。現に「お見合い」によって救われた子もいた。

■生きてることに意味なんてない

 当時の私に先生は、どうしてくれたんだっけなあと考えていたら、希望者のみが行く宿泊学習に参加させ、班長などの「役」をやらせてくれたことを思い出した。班長になればどうしたってみんなと話をしなければならないから、より多くの人と知り合えるだろう。先生はそう考え、私を合宿に参加させてくれたのだろう。
 その後私は、自分が本当につき合っていける友達を見つけることができた。そしてなにより笑えるようになった。先生がいたから学校も続けてこられたのだと思う。 高校中退は私も何度も考えた。勉強はラクではないし、はじめは先生の存在もうとましかった。外出すること自体が不安で動かないから体力もなく、同時に精神力も失せていた。とにかく何をするのも面倒だった。
 もしあのまま学校を辞めていたら、どうなっていただろう。死にたいと思いつつ毎日暮らしていたのだろう。家から出ることも笑うこともしないままで。何からでもすぐに逃げ出す、弱い人間のままでいたに違いない。
 私がメッセージを贈ろうとしている、中学を卒業したばかりの彼女たちには、今まで自分がすごしてきたことを伝えることしかできなかった。私は彼女たちにメッセージを書きながらいろいろなことを考えていた。
 きっと生きることには深い意味なんてないのだろう。けれども人は、一人ぼっちになるために生きているのではない、と。人と出会い、二人になるため、三人になるため、大勢の中の一人になるために生きているのだろう。
 それを気づかせてくれたのが、私にとっては担任の先生だった。
 一緒に授業をサボっては階段のところでタバコを吸い、どっちが灰皿を取りにいくかをジャンケンで決めた。それまで先生という存在は、ことごとく気をつかう相手だった。嫌味で皮肉で私にはいらない存在だった。だけど通信制高校では違った。
 恥ずかしい話だが、友達関係さえもうまくできなかった私には、協調性もなく、礼儀というものもほとんどわからなかった。敬語もあまり使わなかったので、たまに使うと敬語が並びすぎ、なんだかおかしくなってしまう。そして話をしたいことができると、まずとにかく自分の話を聞いてもらいたいと思ってしまう。たとえ相手がどういう状況であっても。
 ある時、先生たちが会議をしていた。会議といっても体育の先生たちだけの小さなもので、体育教官室で行われていた。だからいつものように私は、何も考えずに教官室に入っていった。
 すると、ものすごい剣幕で怒られた。いきなりどなられ、はじめは何をいわれているのかわからなかったが、どうやらこういうときには、「お話中、失礼します」といわなければならないのだとわかった。そんなことの繰り返しだ。もし先生がどなってくれていなかったら、きっといつかどこかで恥をかいていただろう。
 20歳になっても私は高校生で、先生は生徒である私をいつもどなっていた。最初の頃は、「感情的な先生だなぁ」と思ったけれど、やがて、私たちが社会で恥をかかないようにいろいろなことを教えてくれていたのだとわかった。

■先生に期待しすぎたのかも

 やがて私は、通信制高校に入るまで「先生」に期待しすぎていたのかもしれないと思いはじめていた。先生というのは、神様じゃなかったんだ。だからこそ、そばにいて心の支えになってくれることだってあるのに、期待しすぎて裏切られたり絶望したりしていたのかもしれない。
 少なくとも通信制高校の担任の先生は私を信じてくれていた。振りほどかれてもおかしくないような私の手を、信じて必死に引っ張ってきてくれた。どんなに私が裏切っても、怒り、信じ続けてくれてた。
 通信制高校に通って四年目の春、春なのに私は不安にならなくなった。新しい生活には新しい出会いがあって、新しい出会いのとなりには、いままでに知り合った人の笑顔がある。みんなのおかげで私は変わった。心が一人ぼっちだったのに、今はみんなのなかの一人として生きていくことができる。
 こうして笑っているけれど、私にもそういう時期があったのだということを、彼女たちにメッセージとして贈った。
 生きていく意味などわからないし、どうせ人は必ずいつかは死ぬのに、80年の人生は、なんのためにあるのかわからない。だけど精一杯生きていこうと思えるのは、こうやって人の温かさにふれることができるからなのだろうと思う。
 もう生きていけないと何もかもあきらめた時期もあった。一生笑わないと心に決めたこともあった。人を信じれば裏切られると思い込んでいたし、どうせ誰も私を信じてはくれないのだと思っていた。あの頃を今では不思議なほど冷静に受け止めている。
 裏切られることを恐れていては本当の友達などできないし、自分が人を信じなければ、誰も自分のことなど信じてはくれないということにも気づいた。
 乗り越えてしまえば、高いと思った山も低かったし、つまずいた石ころも本当にちっぽけなものだった。でも、その時の気持ちはとても重かったし、とても不安だったと思う。これからだって何度もくじけそうになるだろう。だけど、そういうときは自分が一人ぼっちじゃないことを思い出したい。いつもそばに誰かついていてくれていることを。 (■つづく)

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