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保健室の片隅で・池内直美/第15回 通信制高校に通う人たち

■月刊「記録」1999年4月号掲載記事

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■外見だけで判断してはいけない

 先に述べたように、私は普通高校を中退して通信制高校に通っていた。しかし一口に「通信制」といっても、学校によってまったく異なるルールがある。私の通っていた学校は公立高校だが、一つの学校の中に、単位制、定時制、通信制の三コースがあって、それぞれの生徒が、それぞれに異なる生活時間で暮らしながら、高校卒業という同じ目的を持って通っていた。
 単位制コースとは、いわゆる全日制のことで、毎日、日中に学校にやってきて授業を受けるコースだ。単位制の生徒は、だいたい三年間で学校を卒業する。ただし、全日制との違いは、全日制では、毎年、学年ごとに決められた単位数の授業を取らなければならないのに対し、単位制では、二年生の単位を三年生になってから取ることも許されている。とりあえず三年間のうちに、決められた単位数だけ授業を履修すればいい。
 しかし、私が単位制コースについて知っているのはここまでで、彼らの学校生活や行事ついては、まったくわからない。
 定時制コースについては、生徒は、夜間(たしか五時頃から)学校に来て勉強している。私の選択していた通信制コースは、月に二回、火曜日が一斉登校日に指定されていて、この日には学校へ行かなければならない。だから、定時制の生徒とも、本来なら登校日に顔を合わせてもおかしくないのだが、なぜか学校の中で彼らに会うことはほとんどなかったのは不思議だ。
 また、単位制の生徒ともあまり顔を合わせる機会はなかった。以前、自分のクラスの先生に、単位制の生徒は、今どこで何をしているのかと尋ねてみたことがあるが、先生もよくわからないようだった。まあ、制服のない学校なので、もしかするとこちらは、廊下ですれ違っているのに、気づかないだけかもしれないが。
 ただ時々、昔、同じクラスにいて、通信制から単位制のクラスに移った子に廊下で会うことがあった。私の学校では一定以上の成績を取れていれば、学年の変わり目に他のコースへ編入することができる。だから単位制のクラスであっても、二〇歳を超えている人や一度、高校中退を経験した人もいた。
 私の県では、年に何度か「定通体育大会」というものが行われている。これは、県内の定時制高校と通信制高校が合同で行う体育大会だ。この大会に参加したとき、他の高校の定時制に通う男の子と話をした。
 彼によれば、定時制にも全日制と同じように、ちゃんと給食の時間などがあって、クラスの雰囲気は全日制と大して変わらないようだった。違うとすれば、年齢も立場も異なるさまざまな人がいるので「人を外見だけで判断してはいけない」ということを学んだという点だけだといった。

■普通の時間が流れる教室

 私も、定通体育大会で話をした彼とは、まったく同じ感想を持っている。通信制コースにも、年齢や立場が異なるさまざまな人が在籍していたからだ。
 このコースは通ってみると、意外なことにとてもおもしろい。よく、全日制高校の生徒から、通信制では友達はできるのかときかれるのだが、クラス全員が友達といってもいいくらいみんなが仲良しだ。いや、クラスだけではなく、他のクラスの生徒ともみんな仲良くしている。
 一年を通して、一五回程度しか私たちは顔を合わせない。それなのにどうして友達になれたのか、改めて考えてみるとよくわからない。たぶん、同じクラスの仲間として顔を合わせるたびに、自然に当たり前に仲良くなっていっただけだろう。
 それに通信制高校だからといっても、ただ決まった期間内に与えられた課題をこなし、レポートを提出するだけというわけではない。夏季合宿もあれば、冬季合宿もある。遠足のように会津若松に旅行し、野口英世記念館に行ったり飯盛山に登ったり、冬にはスキーをしたりする。ふつうの高校生が合宿でするように、雪の中にお酒を隠して、夜中に宴会をしたりもする。修学旅行もある。担任の先生もいる。
 音楽の授業では、オカリナを吹かなければならなかった。前に受けたテストでは、成績の判定がこのオカリナにかかっていた。自慢じゃないが、私はわりと簡単にオカリナを吹きこなすことができた。けれど、もうすぐ定年を迎えようとしているおじさんには、とてもじゃないけど吹けるものじゃなかったらしい。曲目は「瀬戸の花嫁」。若い世代の私にはなじみのない曲で、あまり吹きたいという気持ちにはならなかったが、年配のおばちゃんたちには、なじみのある曲らしい。
 また、数学のテストなどを行うと、今度は年配のおじさん・おばさん軍団がいい点数を取っている。私たちのように、現役に近い生徒のように中学校を卒業してすぐ進学したわけではなく、数学から遠ざかって長い年月が過ぎているぶんだけ、記憶力も理解力も判断力も衰えているからだという。授業のたびに、頭の中をフル回転させるようにしているのだといっていた。
 英語なども現役生より人一倍努力しているようで、いい成績を取っている。だから、「手先を動かさなければならないオカリナなどより、英語や数学のほうが、ずっとこなしやすかった」といっていた。
 また「今の若い子は、どうせ料理なんてろくにできないんでしょう」なんて笑われたり、でもオカリナを吹きこなせるところを、「やっぱり若い子は違うわ」なんて感心されたりした。学校の外で会っていたら、きっと話してみることもなかったような母親より年齢が上のおばちゃんたちが、身近でいい人に見えたりする。
 同じ教室のなかに、年がうんと離れた同級生がいるというのは、いろんな意味で勉強になった。
 私たちの教室のなかには、教室以外の場所と同じ時間が流れていた。同じ制服を着て、同じルーズソックスを履いて、わけのわからない校則に縛られている、教室外から隔離された時間ではなく、外と同じ当たり前の時間が流れている。そして、たとえ歳が離れていようと同じ高校生として一緒に成長していく、大切な時間が流れていたのだ。

■教室が私を認めてくれている

 主に通信制の高校に通う生徒のために、サポート校という塾のようなものが存在している。サポート校では、ちょうど高校の授業の内容と同じ進度で授業を行い、通信だけでわからない部分の質問を受け付けたり、テスト前に補講するなどして勉強をサポートする。一応、クラスがあり担任の先生がいて、進学などの相談にも乗ってくれる。ただし、塾のようなものなので、単位はもらえない。
 私もいくつかのサポート校を見学したことがあるが、私が見たサポート校は、どこも温かい雰囲気のところばかりだった。もっと早くにその存在を知りたかったと思うほどだ。
 以前、あるサポート校の入学式に、通信制高校についての体験談を話にいった。入学してきた生徒は、不登校児や一度高校に進学したあとに中退して、通信制に進学し直すことにした子などであった。
 そして生徒たちのとなりに並んでいた彼らの先生の一人は、東京大学の大学院生だといっていた。さすがに担任の先生たちは、きちんとスーツを着ていたが、教科を担当する講師たちは、かなりカジュアルな服装で出席していて、まるで家庭教師のようだった。でも、そういう気楽なところが、生徒達に安心感を与えてもいるのだと思う。
 かつて、私の家に勉強を教えに来てくれていた家庭教師の先生がいた。彼が、私以外の教え子の話をしてくれたことがある。
「その子のお母さんはね、子どもに勉強する習慣をつけてくれればいいっていうんだ。だけどその子は、いつも僕に漫画を読もうとかゲームをしようよっていって、全然勉強してくれないんだ。でも勉強している時より、そういう時のほうがずっと楽しそうなんだよ」
 先生は、教え子に無理に勉強はさせたくないといっていた。私も勉強は、窮屈なものであってほしくないと思う。
 先生や親のために勉強するわけじゃないし、ましてや勉強は、順位を競うためのものじゃない。赤点すれすれだって、おもしろいと思って勉強できれば、それでいいと思う。
 通常、通信制や定時制の高校では、四年制のところが多く、卒業までに四年間かかるシステムになっている。私立の通信制高校では、三年で卒業できるシステムのところもあるが、公立の高校では、それはめったにない。 だが、私の通っていた学校では、公立にもかかわらず三年制で卒業できる制度が実施されていた。
 私も三年間で卒業しようと考えたことがあって、そのクラスを選択していたこともある。では、どうやって三年間で卒業するかというと、四年次に取るはずの単位を、二年次と三年次に半分ずつ振り分けて取ってしまうのだ。
 つまりふつうは、年間で八教科分の単位を取ればいいところを一〇教科分履修する。そして毎月、火曜日と日曜日に行われるスクーリングに出席してレポートを提出し、授業日数をかせがねばならなかった。
 けれど教科によっては、三年制用と四年制用の内容では、テスト範囲もレポートのテーマも大きく異なり、アルバイトとの両立が大変で、勉強についていけなくなった私は、それを途中で断念することになってしまった。 でも私は満足している。一年間、高校生活が長い分、友達も増え、学べることも増えたからだ。そして何より学校が楽しく感じられたからだ。もしも私が、あの中退してしまった全日制の私立高校に通い続けていたならば、こんな気持ちにはなれなかっただろう。
 教室はいつからか、私を認めてくれる空間になった。私を包んでくれる空間になった。私を輝かせてくれる空間になった。
 生きてる私は、そこにいた。 (■つづく)

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