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元信者が視るオウム的社会論 第15回/極限で出る思考パターン

■月刊『記録』99年2月号掲載記事

 昨年の十二月十四日、深夜の新宿で、したたかに酔った帰り道に、第乱闘の喧嘩をしでかしてしまいました。
 泥酔してフラフラになりながら駅に向かっていると、若者五人が僕を見てケチをつけてきました。その夜は袖のない黒マントを羽織っていたのですが、彼らには僕が手を出さずに格好つけているように見えたのか、「ちゃんと手を出せよ!」と怒鳴りあげてきたのです。彼らも僕以上に酔っているようでした。目つきを見ると、精神状態が尋常でないようでした。
 僕は酔っぱらいにはかまうまいと、酔っぱらいらしからぬことを思って、無視して歩き続けたのですが、彼らはいつまでもあとをつけてきました。酔っぱらいというのは一つのことが気になりはじめると、際限がなくなるようです。しまいには僕を囲んできて、一人が胸ぐらをつかんできました。顔を見渡すと、全員が十代後半から二十代前半のチーマー風の若者たちでした。
  「手を出して歩きな!」
  「これはマントなんだ。手は出せない。どけよ」
 僕が手を払いのけて歩き続けると、彼らはまた金魚のフンのようについてきて口出ししてきました。僕も次第に頭に血が上ってきて、好戦的な気分になってきました。
 実はこの前夜に、打撃系格闘技のトーナメントである「K-1グランプリ」をテレビで観戦して刺激され、極真空手の門下生だったこともある僕は、もう一度腕力を鍛え直したいと思っていた矢先のことでした。
  (こういうバカな奴らがいるから日本はおかしくなっていくんだよ!)
 思わずカーッとなった僕は、彼らの一人に対して脇腹にミドルキックを打ち込み、道路に沈めました。
 電撃的な攻撃に、彼らは呆気に取られていましたが、仲間の復習をしようと、残りの四人で襲いかかってきました。
 激しい殴り合いとなりました。三分くらいやりあったのでしょうか。リーダーの一人の指示で彼らは引き払っていきました。
  (これは「カルマ落とし」なんだ。自分の悪業を落とすプロセスなんだ)
 殴り合いを終えた直後、いつのまにかそう思っている自分がいました。
 この「カルマ落とし」というのは、オウムの用語で、自分が過去において積んだ悪業が苦しみとして返ってくるという意味です。いわば厄落としみたいなものです。この「カルマ落とし」を乗り越えれば、自分の悪業が滅せられるわけで、「カルマ落とし」に遭遇したら喜びなさいと、オウムのなかにいたときは教え込まされていました。
 オウムで教えられた教義など、今は全く考えないで生活しているのに、こういう極限状況になると、頭に埋め込まれた思考法が出てきてしまいます。もう脱会して三年半にもなるのに…。
 一度身についた思考パターンはなかなか抜けないものだと痛感した次第です。
  「カルマ落とし」の結果として、右目が試合直後のボクサーのように腫れ上がり、しばらくの間、眼帯を付けるはめになりました。(■つづく)

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