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ホームレス自らを語る/15歳から働きづめ・吉岡達彦(48歳)

■月刊「記録」2001年9月号掲載記事

*        *         *

■左手が動かなくなって

 どう、持っていくか?
 昔、友だちからもらった種を植えたら、けっこう育ってね。ほら実がついているだろ。木にツルが巻きついちゃったから、取れない実もずいぶんあるんだけれどさ(笑)。
 ニガウリとヘチマだよ。本当は夏にできるはずだったんだけれど、なぜか秋になっちゃったんだ。沖縄では、ニガウリをゴーヤ、ヘチマをナーベラーって呼ぶけれどね。
 そうか、ナーベラーは知らないか。味噌炒めなんかにしてもおいしいし、あと生で食べてもいいんだ。俺が子どものころは、毎日のように食べていた。
 川崎にも沖縄料理店があるけれど、いまはお金もないしね。仕方ないから、自分で作って食べているんだ。隣にテントができなければ、もっと収穫できたと思うんだけれどさ。
 去年の11月からここに住んでいるよ。3年前、45歳ぐらいから左手が動かなくなりはじめてね。最初、医者に行ったら、「半年ぐらいで治るだろう」と言われたんだけれどね。さっぱりだよ。手が動かないんじゃ、仕事にもならないし。
 この前なんか、現場監督から「もう来るなー」って怒られたからね。いや、俺が悪いんだよ。知り合いから鳶の募集があると聞いて、無理だと思いながら応募したんだ。やっぱり片手じゃ仕事にならなくて、四日目にどなられたんだ。監督の気持ちもわかるけれどね。どうにかして仕事がほしかったんだ。

■親の借金返済で働きづめ

 まったく嫌な人生だよ。15歳から働いているんだ。 親がバカモノでさ。知り合いにだまされて、金を持ち逃げされたんだ。頼母子講をやっていてね。沖縄ではよくあるんだけれど、近所とかの知り合いが集まって、毎月お金を貯めていく。それで仲間が困ったときに、その金を貸すんだ。
 その講の親をやっていたから、パンクさせたお金は責任を持って払わなくちゃいけなくなった。そりゃ大変だよ。朝に晩に取り立てにくるんだから。それで俺も働くことにしたんだ。
 タイル職人になった。金はかせいだよ。月200ドルはかせいでいたから。300ドルぐらいかせいだ月もあったんじゃないかな。当時、まだ沖縄は日本に返還されていなかったし、1ドルは360円に固定されていたんだ。1960年代後半の200ドルといったら大金だったな。もちろん、その分働いたけれどさ。本当に死ぬ気で働いていたもの。
 仕事が終わるのが朝の5時。それから1、2時間寝て、また仕事に出かけるような生活だったからね。正月だって、ほとんど休みなく働いていた。自宅に帰る時間もなくて、公園で野宿していたこともあった。おかげで泥棒に間違われたことがあったよ(笑)。近くで事件があって、警察に捕まったんだ。幸い、真犯人がすぐに捕まったけれどね。
 こうやってかせいだ金を、すべて親に渡していた。借金を返すためにね。17歳のときには沖縄を出て、池袋で働いていたよ。そのときもボーナスを含めて、ほとんどのお金を家に送っていた。親に渡した額を合計すれば、ビルを建てられるぐらいのお金にはなったと思うよ。つき合っている女もいたけれど、親の借金を払い終わったら結婚しようなんて言っているうちに、別れちゃったしな。
 しかも借金を払っている最中に、父親も死んじゃったから、家族の生活費も俺と兄貴でかせぐことになったんだ。妹は10代で結婚したけれど、しばらくしたら子どもを連れて自宅に帰ってきた。ロクに働けないから、やっぱり俺が養うことになるんだよね。
 95%ぐらい借金を返済したころに、家族とケンカして金を送らなくなったんだ。だって家族みんなで協力して、借金を返そうという感じじゃなかったから。みんな好き勝手にやっていて。どうして俺だけがと思うだろ。もちろん縁を切ったわけじゃないから、その後も実家とは連絡を取っているけれどね。

■なまけたことなど一度もない

 腕が動かなくなってからも帰ったんだよ。失業保険を使ってね。でも、沖縄は仕事がないし、やっぱり東京に出てくるしかなかった。これだけ腕が上がらないと、ガードマンの仕事もできない。腕が上がらなくなってからまともに働けたのは、造船の仕事ぐらいかな。船の油をふく仕事だったから、片手でも働けたんだよね。
 こんな体になったのも、ムチャクチャに働いてきたからだろうな。10代のころもそうだし、その後も働きまくってきたから。
 阪神大震災のあともよく働いたよ。1年ちょっと西宮で、倒壊した建物を片づけていたんだ。それこそ朝から晩まで働いていたから。ベルトコンベアに頭を打って首を痛めても、仕事を休まなかったぐらいだからね。
 いままでの人生の思い出なんて、ほとんどないな。働きづめだったからね。
 あー、16歳ぐらいだったかな。初めて競輪をしたことは覚えいるよ。だって200円買ったら、56万円になったからね。ものすごく驚いた。ビギナーズラックだったんだろうけれど。
 あとは、そうだなー。去年、多摩川の上流が決壊して、どんどん水かさが増えていったときは怖かったな。すごい量の水がテントに迫ってきたからさ。避難したけれど、ビックリしたよ。
 振り返ってみると、ろくな人生じゃないよ。いまじゃ働くこともできないしさ。どうしたらいいのか、自分でもよくわからないんだ。右翼がやっているってうわさの施設にでも入ろうかな。ここにいても仕方がないしね。最近、そんなことを考えているよ。 (■了)

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