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だいじょうぶよ・神山眞/第13回 恐るべき変態野郎

■月刊「記録」2000年10月号掲載記事

*           *           *

「ちょっと、何考えてんのよ。まいったなぁ。いったい何考えてんの?」
 夕食のあと、ぼくを保母室に呼んだ若い保母は、急いで後ろ手にドアを閉めると、いきなりものすごい勢いでまくし立て始めた。その言葉は、もはやぼくに向けられたものであるのか、混乱のための彼女の独り言なのか、ぼくにもよくわからなかった。しかし、ともかく彼女は荒れていた。
「先生? 何がどうしたの? 詳しく説明してくださいよ」
 なだめるように訊いたぼくに、彼女は情けなさそうな顔で叫んだ。
「もうねぇ、ありえない話よ。はじめて! 私こんなことはじめて! もう~どうしたらいいの? あははははは」
 とうとう彼女は、笑い始めるのだった。混乱の大きさが伝わった。ぼくは背筋がぞっとするのを感じた。
「今日ね、さっきね、慎一君が私のところに遊びに来てね、全部、報告してくれたのよ。何だと思う? 神山先生、何だと思う?」
 ああ、聞きたくないなと、ぼくは思った。何かとんでもないことが起こったようだった。しかも正利がらみである。聞いてしまったら、後処理をしなければならないのはぼくだった。
「何ですか? 先生…」
 ぼくはおそるおそる訊いた。

■目に宿る強固な意思

 彼女の話は、やはりぼくをびっくりさせるものだった。なんと、あいつは、正利は、小学生低学年の男子たちを部屋に閉じ込めては、性的な虐待を加えていたのだった。チビたちを一列に並ばせパンツを下ろし、次々に顔を埋めていったという。
 ぼくはあいつを保母室に呼び出した。
 あいつは、今、ぼくに呼び出されて目の前に立っていた。
 いつものように口を半開きにして、ぼーっとこちらを眺めている正利。その生気のない顔をぼくはしげしげと観察した。なんとも間抜けすぎる顔である。しかも欲と無知が入り交じっているのであった。特にその唇に目が行った。今にもはちきれんばかりに膨らんだ分厚い唇。妙につやつやとした輝きが、まるで獲物を待ちかまえている無脊椎動物のように感じられた。ぼくは気持ち悪くなってきた。見れば見るほどあいつの唇は、そこだけが独立した生き物のようだった。
「おまえはその唇で、子供たちに何をした」
 思わず叫びたくなった。しかし、ぐっとこらえた。叫んではいけない。目の前にいるのは、まともな中学生なんかではないのだ。ただの無知と欲が服を着た変態野郎だ。そんな奴に感情的になってしまっては、自分まで同じ所へ堕ちていきそうなミジメさを感じた。理性的に話しかけよう。せめて演じよう。知性と分別を持った年老いた教師が、いたずらをした子供を諭す場面を。
「お前、何をしたんだ?」
「……」
 反応は、いつものとおりだ。本当にいつもいつも毎度毎度このパターンである。自分の立場が危うくなると、こいつはひたすら押し黙る。「すみません」の「す」の字もない。「ごめんなさい」の「ご」の字もない。涙を流すわけでもなし、怯える様子さえもない。ただひたすら黙々と、そしてぼーっと立っている。
 それならばと、ぼくも負けずに黙り込んだ。そしてじっと目を凝らし、あいつを観察した。そして突然、あることに気づいた。空っぽに近いあいつの頭の奥に、実は確固たる意思が宿っていることに。
 それは、あやまちは認めない、いや、認めてはいけない、という強い意志だった。
「謝っちゃだめよ。謝ったら何もかもおしまいよ」
 そんな意思が、あいつの目の奥からどうしたわけか、突然、感じられた。
 思い起こせばあいつは、ぼくと出会う前から一人、いろいろなものと戦ってきていた。訳も分からず金を盗む。食べ物を盗む。本能のままに行動する。そのたびに誰かに怒られ、叱られてきていた。
 だが、あいつは、いつもあやまってはいけなかったのだ。あやまることは認めることであり、何かひどい目に遭うことを意味していたからだ。
 怒られても謝らない。認めない。相手がただ諦めるのをひたすら黙って待つ。捨てられたも同然のあいつの家には、たびたび借金取りが来ていたという。金の取り立てが来ても、押入に隠れて相手が帰るのを待った。あいつは耐えてきたのだ。自分より倍も歳が違う連中と、何十倍も頭の働く連中と、一人でなんとか渡り合ってきたのだった。
 その、予想外の強い意志を感じ取り、ぼくはうろたえた。まずい、このままでは負けると思った。黙っていては負けてしまう。何か話しかけなくてはと、思った。 (■つづく)

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