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だいじょうぶよ・神山眞/第12回 正利がおかしい

■月刊「記録」2000年9月号掲載記事

*           *             *

 正利はフラれた。失恋宣告をしたのはぼくだ。相手は最近施設に入所してきたばかりのフィリピン系の血が流れる年下の女の子だった。しかし、特に悲しそうな顔をするでも悔しそうな顔をするでもなく、正利は、淡々と無表情に相づちを打つだけだった。
 そこでぼくは、これですべての問題は片づいたと思ってしまっていた。だが違った。正利の中には、次なるマグマがふつふつと煮えたぎっていたのであった。

■不可解なあいつの言動

 正利の様子がどうも変である。何か悩みがあるという感じではなく、楽しそうにはしゃいでいるわけでもなく、ただ毎日の生活を淡々とこなしている。だが、本来ならばそういった単調さは、一番あいつにとって苦痛であるはずのものだった。
 学校からまっすぐ帰り、すーっと足音もなく部屋へ行く。何日も洗っていない襟元の汚れたワイシャツを脱ぎ、やはり何日も洗っていないくしゃくしゃのTシャツに着替え、力のない足どりで再び現れ、居間のテレビにゆっくりゆっくり近づく。椅子に座り、足を組み、テレビにリモコンを異常なほど近づけてスイッチをオンにする。ひたすら、ぼーっと、テレビの画面を眺めている。すべての動作を無表情で行っていく。
 部屋の横を職員が通りかかっても、正利は何の反応も示さない。ぼくが声をかけても「あー」と適当な相づちを返してくるだけだ。いつもなら学校から帰ってくると、職員を見つけては、片っ端からしつこいくらいに「せんせ? せんせ?」と、ぼくのことを探しまわるのに…。
 どうしたんだ正利? 何があったんだ?
 さすがに少し心配になり、ぼくはあいつに近づいて、その表情を横からのぞき込んだ。出っ張った下唇と魚が3回死んだような淀んだ目。しかし、それらからは、やはり何一つ読み取ることはできなかった。
 ところが、そんなぼくたちの後ろから、宿題を終え、部屋に戻ってくる小学生たちの声が近づいてきた。その瞬間であった。淀んだ正利の目がかすかな反応を示したのだ。確実に何かがあいつの中で動いたのをぼくは見逃さなかった。今までゆっくりゆっくり、やっとのことでカタッ…カタッ…と動いていた正利の中の歯車が、まるで油でも差したかのようにカタカタカタカタカタと噛み合い、急にスムーズに動き出したように見えたのだ。
「おい」
 振り返り、ぼくの存在などまるっきり無視して、手と足をバタバタさせ、小さい子供たちに自分の存在を知らせる正利。チビたちが自分に気づいたのを確認すると、正利は立ち上がって、彼らの背丈に合わせるように背中を丸めて近づいていった。
 そしてチビたちの背後に近づくなり、正利は「急げ」といわんばかりに彼らの背中を押した。一斉に子供部屋へと押し込む。それは、ぼくがかつて見たこともない素早い動作であった。
 次に正利は、部屋に一緒に入っていこうとした。ノブをつかみ、一瞬ぼくのほうにちらっと視線を投げてきた。それもまた、ぼくがかつて一度も見たことがないような不可解な表情だったのだ。
 こちらを見たのもつかのま、正利は部屋に入り、「バタン」と大きな音を立てて子供部屋のドアを閉めてしまった。ぼくは迷った。室内をのぞくべきか否かと。
 だが、なんだか急に面倒くさくなりやめてしまった。正利が変なことなどしょっちゅうなのである。あいつの不可解な言動にまともに取り合って、肩すかしをくらわされたことなど無数にあった。どうせあいつはチビたちとしか遊べない。チビたちと施設の子供部屋で遊べることなどたかが知れている。まぁきっと、何か新しい遊びでも思いついたのだろう、と安易に考えてしまった。
 そしていつも、ぼくはこうやって失敗に近づいていくのである。
 ぼくが、小学生男子、つまりチビたちの様子がおかしいと感じ始めたのは、それから数日後のことだった。
 夕食時、チビたちの顔がどれもこれも妙に複雑だったのだ。ぼくが話しかけると一応笑うのだが、その笑顔にはまるで力がなかった。おかしいな、そう思い視線を正利のほうへ移すが、相変わらずの無表情である。
 だが、「一点の曇りもない」という表現を借りれば、このときの正利の顔は全面曇っていた。しかも陰鬱な曇りではなく、嵐の前の不気味な暗雲であった。嫌な予感がした。
 夕食を終え、30分ほど経った頃であろうか。ふいに、若い保母がぼくに近づいてきて、ささやくように言った。
「神山先生、やばいのよ。正利やばいって。ちょっと来てよ」
 何がなんだかわからぬままに、ぼくは、若い保母のその険しい表情から、ただごとでない事態だけを読みとった。しかも、また正利がらみなのであった。そら来た、と思った。
 そして、ぼくが保母室に入ると、保母は急いで後ろ手にドアを閉め、鍵までかけたのだった。(■つづく)

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