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保健室の片隅で・池内直美/第11回 夢に向かって

■月刊「記録」1998年12月号掲載記事

*        *          *

 サンタクロースへのお願いごとを誰かに言ったら叶わなくなってしまうと聞いたのは、本当に昔の、小さい頃のことだ。
 いまだに、あの頃のその言葉を忘れられない。だから願いごとや夢を人に話す時に、心なしか抵抗を感じてしまう。願いごとが叶わなくなってしまうような気がして。
 ところで、私の夢は、時代とともに変わっていく。
 看護婦さんになりたかったり、養護教諭の先生になりたかったり、大学に行きたかったり、これまでにもいろいろ変わった。時折自分でもとまどってしまう。
 だから、今の願いもまた、変わるかもしれないのだけれど、今は、文章を書く人になりたいと思っている。
 いろんな職業にも興味があるけれど、自分がそれになることよりも、その職業を題材に文章を書いてみたい。そのことに気づいたのは、つい最近のことだった。一応、まだ高校生だから、それに気づくにはちょうどいいタイミングだったのかもしれない。

■夢に向かって頑張れるならOK

 私の好きな漫画のなかに、将来の夢に向かって学ぶ高校生の話を描いたものがある。
 服飾やデザイン関係について勉強する高校生の学園物語だ。これに友情や恋愛がからみ合っていく。彼女たちは、自分でいろんなものを作っては、フリーマーケットで売るサークルを作る。そのサークルの仲間の一人が、ある時、学校を辞めることになった。彼女は、引きとめられるのが嫌で、辞めることを誰にも告げなかった。ただ、彼氏だけにこっそり告げて学校を去っていった。
 彼氏は、本当に誰にもいわなかった。すると、同じ学校に通う、学校を辞めた女の子の弟がやってきて、どうして止めなかったのかと彼を責める。その時に、高校二年生の彼氏がいったのは、「この学校の連中は、みんなそれなりに夢やら目標やらがあって、それを当然のことみたいに思ってる。オレらの年で、そんなの見つかってるほうがめずらしーのによ」という言葉だった。
 夢を追い続ける、個性派の高校生を描いた物語だ。けれどそのなかの一言一言は、私たちのようなふつうの現代っ子にも訴えかけてくるものがある。高校生を縛りつけているものの代表格である校則や受験勉強。それらがまったくない漫画のなかの学校であっても、登場人物は、プレッシャーに負けそうになりながら生きている。
 漫画のなかの高校生が闘っているプレッシャーって何なのだろう。それは夢。そして夢が、本当に自分にとって夢であるかどうかもプレッシャーになっていく。夢を見ることは簡単でいて難しい。そして見た夢に向かって、歩き出すことはもっと難しい。
 最近、夢をもっている高校生に出会った。彼らは、あるグループのコピーをやっているバンドだ。彼らを見ていると、自分よりも大人だなと感じる。それは夢をもって、実現しているせいだろう。
 私はもともと音楽は好きだけど、クラシックやブラスバンドのみで、歌手などにはあまり興味がなかった。カラオケ屋で聞く曲などにも知らないもののほうが多い。だから、バンドを組んでいる人や音楽をやっている知り合いなども、これまではほとんどいなかった。
 ライブハウスという名前は、聞いたことがあるけれど長い間行ったことはなかった。それが、友達につきあって、行くようになった。はじめてライブを見に行ったのは、九八年のはじめ頃で、二度目に行ったのが五月頃だった。
 行くつもりもなかったのだけれど、友達に誘われて行ったのが高校生のバンドだった。会場に入ると、ギターのアンプやらなにやらの機材に、ただただ驚くばかりだった。もちろん機材だけではない。会場中に響きわたる重低音。それに続く彼らの歌唱力。私は、彼らの魅力に引き込まれていった。
 あとで聞いたところによると、彼らのグループは、ある楽器屋さんで知り合い、結成されたのだという。彼らはその楽器屋さんで、プロの人について、それぞれのパートの勉強をしているのだという。
 三度目になると、会場の雰囲気にも慣れてきた。今度のは、二度目の時に知り合った子たちの通う楽器屋さんが主催していて、彼らの友達と聴きにいったので、ふだんの生活や、新たな一面も知ることができた。
 会場は、彼らの演奏をただ聴いているだけでは足りなくて、彼らの姿を目に焼きつけておこうとする人々の迫力で満ちていた。鼓膜が破れそうな大音量のなかで、バンドは精一杯、自分たちを表現していた。
 私は、そんな光景を、口を開けて見ていた。感動という言葉が当てはまり、共感という言葉も当てはまる、なんともいえない心境になった。そして、自分の好きなことに熱中できる彼らをうらやましく思った。なぜなら、歌っている時の彼らの顔がとても輝いていたから。彼らは、舞台に立った瞬間に、輝きはじめるのだった。
 夢をしっかりもっていて、頑張っている。もちろん、あこがれだけでやっている子もいるだろう。けれどともかく、一生懸命やっている。学校のテストで赤点取ったって、きちんと夢をもてて、夢に向かってがんばっていられるのならば、それで十分なのじゃないかと思わせられる顔だった。

■夢見るときの「クレイジー」な感覚

 ある学校の先生が、保護者に対して、アンケート調査を行ったという。中学校三年生の子どもの親に、こんな質問をした。
「中学生の時に、何になりたかったですか? また、その夢はかないましたか?」
 当然のことながら、なりたかったものはみんなバラバラだ。そして母親のほうは、半分近くがかなったと答えたけれど、父親のほうは、二〇パーセントくらいしかかなったとは答えられなかった。
 中学生くらいでは、どんな職業があるのかさえも知らなかっただろう。だから途中で夢が変わってしまったとしても仕方がない。またかなわなかったとしても、むしろそれが当たり前かもしれない。
 音楽で食べていけるようになりたいと思って、バンドをしている子どもたちがいる。もちろん、彼らのなかで、音楽で食べていけるようになれる人は数えるだけだろう。それだけに親や教師からは、バンド活動を反対されているかもしれない。
 夢を追いかけるだけじゃ、確かに立派な大人にはなれないし、受験のことを考えたら、そんなことをしている場合じゃないのかもしれない。
 けれども、将来の安定した生活やみんなと同じ人生を歩むために、やりたいことをあきらめてしまうのはもったいない。周囲が圧力をかけて諦めさせてしまうのは、もっともっと、もったいない。「クレイジー」という言葉の意味を、辞書で引いてみると「すばらしいくらい、最高の」という意味がある。愚か者という意味も含まれているから、そちらの意味で使われることが多いのだが、クレイジーという言葉のなかにある、すばらしく熱狂的な、という意味は、夢を追いかけている人にピッタくる言葉だと思える。
「クレイジー」に表されるように、夢に全力で向かっていく感覚、熱中していく感覚、そんなものを親も教師もきっと体験してきたはずだ。子どもたちが、今、そんな熱狂のなかに身を投げ込んでいることを、できれば認めてあげてほしい。
 夢を見ることは簡単でいて難しいし、見た夢に向かって、歩き出すことはもっと難しいのだから。そして誰でも、いつだって夢をもっていたいし、どんなに小さくても、希望をもって上を向いて歩いていたいのだから。 (■つづく)

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