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だいじょうぶよ・神山眞/第11回 正利の恋

■月刊「記録」2000年8月号掲載記事

*           *            *

■せんせ、かのじょできたのよ

 今日から2学期である。
 夏休みよりも30分早まった起床時間に体がついていかないのか、どの子供の顔も不機嫌そうにみえた。スプーンと皿が触れ合う無機質な音だけが部屋中に響いている。
 何枚もパンをおかわりする中学生もいれば、アサリの苦みが苦手でまったく食が進まない子もいる。「ヤクルトはデザートだから、全部他のものを食べてからでないと飲んじゃダメ」と注意する保母の声が響きわたっている。
 けれど不機嫌そうな顔も、時間が経つにつれて徐々にほぐれてくる。日常のペースを取り戻し、あちらこちらから子供たちの会話が聞こえてきた。すると正利が、唐突にぼくに話しかけてきたのだ。
「せんせ、せんせ、おれ、かのじょできたのよ」
 身振り手振りで嬉しそうにあいつは話してくる。なんだかぼくは、嫌な予感がした。
 おまえに彼女なんかできっこないだろう。いつも同じ歳の子に相手にされなくて、結局、小さい子と遊ぶじゃないか。それはおまえ自身が一番わかってるだろ……と思った。
 だが、まぁいい。今日はぼくは機嫌がいいのだ。とにかくさっさと無難に学校へ行ってくれ。
「おお、それはよかったな! 今度詳しく聞かせろよ。今度な!」
 正利は今すぐにでも話したそうだったが、ぼくはそれをこんなふうに強引に拒否した。
 食事が終わると正利は、珍しく鏡の前で身支度を整え始めた。頭に水をつけ、同室の武史から借りた櫛で髪をなでつけている。七・三にきちんと分けられた髪型と目やにだらけの顔の不潔さがアンバランスで、あいつの知能をそのまま表しているようだ。ぼくが横を通ると、鏡越しにあいつはニヤっと笑った。
 スピーカーから柏原芳恵の「ハローグッバイ」が流れ始めると7時45分、登校の時間だ。子供たちはグループごとに整列させられ、準備ができたグループから出発していく。正利も、ぼくをニヤニヤ見ながら実に気分よさそうに門をくぐっていった。
 ぼくは、なんともいえないイヤ~な気分と胸騒ぎとともに、「とにもかくにも今学期は何も起こらないでくれ!」と心の中で祈った。

■突如、変態お兄さん

 正利の恋の相手は、フィリピンの血が流れている正利よりも一つ年下の女の子だった。
 子供たちは、小さいうちに施設に入れられると、何がなんだかわからないうちに施設生活になじんでしまうものだった。しかし、歳の頃も中学1年生くらいになると微妙だった。新しい人間関係と新しいルールを独特の雰囲気の中で学んでいかなければならない。それは、はたで見ていても困難な作業だと思えた。
 正利の好きになった相手は、まさに中学1年生で施設に入所してきた女の子だった。勝手がわからず、独りぼっちで辛い時期に、何かのきっかけで彼女に手をさしのべたのが、たまたま正利だったらしい。
 正利は、少し変な感じはするけど、最初は学園のルールを教えてくれる親切なお兄さんだったのだろう。彼女があまり日本語に達者でないことも幸いしたようだ。だが、そうして彼女が少し気を許し始めると、たちまち正利からのラブレター攻撃が始まった。
 誤字脱字だらけのひらがなオンリーの手紙に、つきあえだの好きだのと、今にも抱きつかんばかりに書き殴られている。それが毎日届く。
 変態お兄さんに豹変してしまった正利に、困り果てた彼女は、慌てて担当の保母に相談をした。そしてぼくは保母から「正利君をうまく諦めさせてくれ」と頼まれたのだった。予想したとおり、正利の恋はあっけなく散ったのだ。
 今回の出来事は、ぼくにとって、ことごとく予想の範疇だった。だからぼくは慌てず騒がず、まず、正利を保母室に呼び出し、そして言った。
「おい、正利。あの子な、おまえのこと好きじゃないってよ。わかった? わかったならおまえしつこく追っかけまわすんじゃないぞ。そんなことしたら、ただじゃおかないぞ」
 これだけ。これだけだ。ぼくはこれだけで、あいつの恋を終わらせた。あいつは「あー」とか「うん」とか、ただただ無表情に相づちを打つだけで、悲しそうな顔も悔しそうな顔もしなかった。だからぼくは、これですべての処理が済んだと勝手に納得した。血も涙も通わぬ冷たい話し合いは、数分でお開きとなった。
 しかし、不機嫌に出っ張った正利のその下唇には、新たな次なる巨大なマグマが宿っていたのだった。ぼくは、正利のまぬけ顔に、うっかりそれを見落としてしまったのである。
 そしてどうやら、正利のうちに潜むマグマは、ぼくが気づかないうちに、ふつふつと彼の心の中で大きくなっていったようであった。 (■つづく)

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