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元信者が視るオウム的社会論 第11回/「オウマー」の追っかけ

■月刊『記録』98年9月号掲載記事

 七月二八日、約二年ぶりに青山吉伸被告の公判に行ってきました。事件当時、問題意識のかけらももたずに上祐や青山を追っかけていた若い女性、いわゆる「オウマー」が現存すると聞いたからです。
 まず驚いたのは、流行りの下着ファッションに身を包んだ若い女性がたくさんいたことと、廊下で眠りこけている人がいたこと。そこにオウマーと年配の方が加わり、異様な空間を形成していました。法廷は完全に劇場化し、皆は見せ物を楽しむために来た、そんな印象を受けました。
 法廷内で熱心なファンを観察してみると、彼女達はなんと、被告の一挙一動、例えば何時何分に少し横を向いたとか、何時何分に鼻を触ったとか、法廷で裁かれるべき内容とは全く関係のないことばかり事細かに記録しているではないですか! こんなことまでするのかと、正直言ってゾッとしましたね。しかも、相手は自他共に認める犯罪者。そのうえ、ふぬけたような青山被告。何故そのようなものを偶像化し、裁判に通い続けるのか。そこに関心をもち、話を聞いてみることにしました。
 話を聞き、彼女達もオウムの人間と同様に、社会適応性に欠けているな、と痛感しました。当時の青山や上祐には、ある程度一般社会に対する反抗精神があり、オウマー達も社会に対して、さまざまな理由でひがみみたいなものをもっていた。そこにシンパシーを感じ、学者や評論家と果敢に闘い続けた青山や上祐の「反骨」に魅かれたのでしょう。もっとも、彼らは逮捕された途端にあっさり折れた「エセ反骨」でしたが(笑)。
 こんな話もあります。ある時期、上祐・青山に飽きた追っかけギャルたちが、その当時、薬害エイズ問題に奮戦していた菅直人氏にこぞって鞍替えしたそうです。つまり、「何かに立ち向かう姿勢を見せている人」なら誰でもいいのでしょう。
「犯罪と病理を混同してはいけない」などと言った人もいましたが、それはオウムには該当しません。オウムは「病気」ではないからです。確かに、事件を起こした状況は特殊でしたが、特殊=病気とは直結しません。特に青山などは犯罪を認めてるわけですしね。
 今回わかったことは、オウマーには単にアイドルとして眺めるタイプと根本的にはアイドル視していても右記のようにもっともらしい言い訳をし、建前だけはとりつくろうタイプの二通りあるということ。しかし双方とも、結局は裁判の本質はなにもとらえていない、はた迷惑な存在であるということです。
 青山被告は彼女達を、一瞥だにしませんでした。そりゃそうでしょう。被告にとっては人生を左右する場を、コンサート会場かなにかと勘違いしてきて、裁判官に悪印象を与えるのですから……。決して傍聴席を振り向こうとしない、それが彼の心情を象徴しているのではないでしょうか。
 ストーカーのように、相手(被告)の心理を全く考えずに押しかけて、裁判所全体の雰囲気を乱す人間がいる。少なくとも僕ら二人は、ただならぬ危機感を覚えましたね。
 尚、この拙文並びに漫画への反論がある方は、是非『記録』編集部までお知らせください。(■つづく)

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