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だいじょうぶよ・神山眞/第3回 計算されたできレース

■月刊「記録」1999年10月号掲載記事

*         *         *

■良江先生に呼び出される

「神山先生、ちょっとよろしいですか?」
 おきまりのセリフで、ぼくは良江先生に呼び出された。好きな言葉が「ジャスティス」と「強くなければ優しくなれない」というだけあって、良江先生は曲がったことや不透明なことが大嫌いなのである。
 物腰柔らかく、にこやかではあるが絶対に妥協しない雰囲気が今日も漂っていた。ぼくに頭を下げさせるまで、この人の話は終わらないのだろう。だいたい「ちょっと」といったって、本当に「ちょっと」だったことなどまだ一度もないのだ。今日もまた、「はい、わかりました」と、ぼくが言う瞬間まで話は続けられるのだろう。 六月だというのに、雨一つ降らぬ天気が続く。うだるような暑さの昼下がり、良江先生のうしろをトボトボとぼくはついていった。高校生ぐらいになると職員間の力関係がわかるようで、途中で何度も子ども達に「神山先生、また説教くらうのかよ」と声をかけられた。「うるさい」と小声で注意する。
 良江先生は、髪の毛をひっつめて頭のうしろで一つに束ね、背筋をまっすぐに伸ばして歩く。その自己管理が徹底されている背中を見ていると、いったいこの人は何歳なのだろうかと思えてくる。たしか四〇歳は越えているはずだが、年齢よりも若く見え、いや、老けているようにも思える。つまり年齢不詳なのだ。不思議なことに良江先生は、いつの時代のどの写真を見せてもらっても、同じ髪型、同じ服装をしているのだった。
 そのわけを訊ねると、本人曰く、「異性に媚びを売る生き方をよしとしない」ところからきているそうである。媚びを売らないのはいいが、その徹底ぶりときたらちょっと表現に困るほどである。とうとうぼくは、学園をやめるまでの四年の間、良江先生がいつ美容院に行ったのかまったく気づかなかったほどである。
 その徹底的に管理された背中を見ていると、思わずため息が漏れた。
 あーあ、それにしても正利。おまえは一体何をしでかしたというのだ。

■かえったら、だれもいないのよ

――なんだかね、まいんち、つまんないのよ……。ぶかつでね、いじめるひといるの。ボールとかぶつけんのね。「しんたい」「しんたい」って言いながら……。いみわかんないけど、ちょっと、いやだからやめたいのよ……。
 べんきょもつまんないのよ。いみわかんないの……。だから、ねるのよ。おれには、せんせ、おこんないよ……。ねててもおこんない。せんせは、まぁ、やさしいとおもうのね。
 がくえん?
 がくえんもつまんないとおもうのね。だって、おこずかいすくないとおもうよ、おれは。みんなもっともらってるとおもうよ。いっかげつに、いっかいじゃ、すくなすぎるのよ。もっと、ゲームやりたいのよ。――

 一つ嫌なことがあると、全部が嫌になる。正利にはそんなところがあった。それにしても確かに、IQが低く、風貌が異彩を放ち、ぼんやりして口調に特徴がある。あいつはいじめられる対象になりやすいのだろう。僕もあいつが「しんたい」「しんたい」といじめられたと聞いた時には、「かわいそうに……」と思うより先に「やっぱり」という気持ちが先に起こったくらいだ。
 で、正利、いったいおまえは今回、何をやらかしたんだ?

――そのひは、たしか、はやびきしたのよ。はやびきしても、がっこのせんせも、がくえんのせんせも、おれにはあんまり、おこんないのね。だまってると、「しょうがないなぁ、正利は」とかいってみんなわらうのよ。だから、だいじょぶよ、おれは。
 はやびきして、かえったら、だれもいないのよ。それで、ちょっと、おかね、さがしてたら、あったのね。さんまんえんも……。すこしびっくりしたし、すごくうれしかったよ。そのときは……。――
 あいつは若い保母のサイフから三万円、そして僕のサイフからも少しずつ、小銭で数千円を盗んでいたらしいのだ。

■事前にすべてが決まっている

  「じゃあ、もう一回言わせてもらいますよ。正利はねぇ、動物なの!」良江先生が、さっきから僕を前にして説教を続けている。
  「はぁ、そうですかねぇ」僕は精一杯のんびりと構えてみせた。
  「動物はねぇ、悪いことをしたら、痛いめにあうってことを体に覚えさせなきゃいけないんですよ、わかります?」言葉はていねいだが、どうやら僕の態度が気に入らないようで、良江先生はかなり苛立っているように見えた。
 学校の成績はオール一。IQは72。挨拶ができないあたりも含めると、確かに正利は動物並みかもしれなかった。だからあいつを動物のように調教すべきだと、良江先生はいうのだ。
 けど、無理だよ。僕には無理だ。そもそも僕は怒ることが大の苦手なのだ。それにだいたい怒ったところで何も変わりやぁしないじゃないか。人間なんてもともと悪い生き物なんだ。ましてやあいつは親に捨てられたんだろ?
 IQが80以下なんだろ?
 するよするよ。悪いことの一つや二つ、当たり前じゃないか。いちいちきーきー、きーきー大騒ぎするんじゃねえよ。
  「聞いてる?」「はぁ……」
 はぁしか言わぬ僕に業を煮やしたのだろう。ついに彼女はこう言い放った。「ぶん殴っちゃなさいよ」「はぁ?」「憎いでしょ? 頭にくるでしょ? あいつは神山先生のこと裏切ったのよ? 殴っちゃいなさいよ! 私だったらボコボコにしてるわね!」
 体重120キロの保母が腰に手をあてて大きな声で叫び、気がつくと僕は4、5人の保母に取り囲まれていた。好奇心をもろに顔に出したまま、ニヤニヤ立っている彼らを見ていると、僕は急激に脱力感に襲われた。
 いつもそうだ。いつだってそうなんだ。この人達は誰か職員が問題を起こすとなにげなく、どこからともなく集まってくるんだ。タバコを吸いに来るふりをしながら、ジュースを飲みに来るふりをしながら、一人ずつ集まってくる。じりじりと近寄ってきては、いつのまにか当事者を取り囲み、好奇心一杯の顔で話に参加しているんだ。
 いつだってそれらは断じて偶然ではないのだ。事前にすべてが決まっているのだ。誰がぼくを呼び出すか、どういう道筋で話を進め、どういった結論にもっていくのか、誰がいつどこで登場するのかまで、細部にわたって計算されているできレースなのである。
 しょうがないな。こう取り囲まれちゃ、選ぶべき結論はただ一つだ。
 僕は意を決して立ち上がり、大きな声で宣言した。「じゃあちょっと行って、ぶん殴ってきます」良江先生が満足そうにうなずいた。
             *
 あいつを無事殴ることに成功すると、とたんに誰もが優しくなった。良江先生も機嫌が良くなり僕を仲間として認めてくれた。
 職員会議であいつの盗みの件を報告しても、職員達の反応は実にあっさりしたもので、なかには報告の最中に楽しそうにゲラゲラ笑う者までいた。通常、問題を起こした児童の担当職員には、四方八方から辛辣な意見が浴びせられ、顔を上げることすらできなくなってしまうものなのだが、僕が正利を殴ってきたことが、良江先生から保母達全員に十分伝えられていたようで、まったくとげとげしい雰囲気にはならなかった。
 しかしホッと胸をなでおろしたのもつかのま、この事件をきっかけに、待ってましたとばかりに、僕の指導方法に抜本的なメスが入れられることになったのだった。 (■つづく)

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