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ホームレス自らを語る/美人の妻に逃げられ暗転・丸山隆一(五二歳)

■月刊「記録」1999年4月号掲載記事

    *     *     *

■土木のほうが稼げるらしい

 生まれは北海道。帯広市の先にある本別という町です。おやじは営林署の職員でした。これが変わったおやじでね。「勉強をするくらいならば、家の手伝いをしろ」っていう育てられ方をしました。中学の修学旅行のときは、「子どもが旅行に行くなんてぜいたくだ」って費用を出してくれないんです。仕方がないので担任の先生に立て替えてもらっていきました。
 そんなふうだから、高校進学も当然ダメでした。そこで、これまた担任の先生が、帯広にある住み込みのクリーニング店の就職先を見つけてきて、そこから定時制の高校に通えるようにしてくれたんです。ホントに変わったおやじでした。
 結婚したのは二六歳のときで、相手は友人が紹介してくれた娘です。なかなかの美人でしたよ。翌年には女の子が生まれました。ただ、子どもができて家族が三人になると、クリーニング店の安い給料で養っていくのは大変でした。
 実はクリーニングの国家試験に合格した二一歳のときに、店の親方からは「独立するように」と勧められたことがあるのです。でも、当時は一人でやっていく自信がなかったのと、資金もなかったんで、店は出せませんでした。それ以来ずっと、クリーニング店に働き続けていたというわけです。
 悩んでいるところへ、「土工のほうが、もっと稼げるから」と、誘ってくれる友人がいて店を辞めました。それで帯広から西へいった山のなかにある日勝峠の道路工事の飯場に、何ヶ月間か入ったんです。
 ところが、工事がやっと終わって、帯広のアパートに帰ってみると、嫁さんがいないじゃないですか。調べてみると、どうも男を作って逃げたらしい。まあ、何ヶ月間も一人で放っておかれて寂しかったんでしょうね。
 それよりも何よりも困ったのは、まだ一歳にもならない子どもを残していったのと、僕の名前で一二〇万円もの借金がこしらえてあったことです。月給が四万円くらいの時代の一二〇万円ですから、途方に暮れるような金額でしたよ。
 仕方がないんで、幼い子どもを僕のおふくろに預けて、東京に出て稼ぐことにしました。上京してからは、それこそ遮二無二、昼も夜もなく働いたものです。宅地の造成とか、ガスの配管工事とか、土工の仕事でした。それで何とか借金は返したんです。三〇歳くらいまでかかりました。

■皇后陛下の控え室を作った

 それからは「町トビ」の組織っていうか、会社で働きました。町トビというのは、江戸火消の伝統を引き継いだもので、僕が入ったのは池袋にあった「七番組」でした。イベント会場の設営をしたり、大きなホールなどの内装をするのが仕事です。正月の消防の出初め式の会場を作ったりもしました。
 昭和天皇が病気になったときには、宮内庁病院の部屋を模様替えして皇后陛下の控え室にしたんですが、それも僕らの仕事でした。それから逝去のときに執り行われた大喪の礼の新宿御苑の会場も作りましたよ。
 皇室の仕事をするのは、手続きが大変でね。でも、普通の人では入れない皇居に入れたし、あれが町トビの仕事の一番の思い出です。
 町トビを辞めた後は、また土工の仕事に戻って、千葉県にある新日本製鉄の君津工場とか、富津の火力発電所の工事、さらにはゴルフ場の造成工事なんかで働きました。おおむね千葉方面での仕事が多かったですね。
 ところが九七年のことでした。やっぱり千葉県の木更津にある港の工事で働いていたとき、急に寒気がして立ってられないくらいになりましてね。その日は飯場で休ませてもらったんですけど、次の日になって右足が腫れてすごいことになってしまった。すぐに病院に担ぎ込まれたんですが、医者から「治療が後少し遅れていたら、右足切断だった」といわれましたよ。
 働いていた飯場は田んぼの上に建てられていて、ジクジクと湿っぽいところでした。風呂も田んぼの地下水をくみ上げた汚い水を使っていました。その水にバイ菌が含まれていたんですね。それが右足の擦り傷あたりから入ってきたんだろうと思います。結局、病院には四ヶ月も入っていました。
 九八年二月に病院を退院してからは、東京に戻ってきました。でも、仕事が見つからない。アパートを借りるカネもなくなってしまっては、ホームレスになるしかなかったんです。右足のほうは治って、完全によくなりました。ただ、一方で九四・九五年ころから、左脚に破傷風の発作が、毎年一回は出るようになっていたんです。秋から冬の季節の変わり目によく出ますね。突然、高熱に襲われて、けいれんを起こすんです。そのたびに救急車で運ばれて入院するんですが、どうしても治らないですね。
 仕事さえあれば、まだまだ働く意欲はあります。土木の仕事は誰にも負けないつもりですし、ガードマンの仕事だってあればやろうと思ってます。でも、仕事はないし、あっても長い期間続くのはありませんからね。

■北海道には帰りたいけど

 やっぱり、若いころに嫁さんに逃げられて、それから人生が狂ったような気がしますね。美人というだけで、家のことは何もしない嫁さんでした。それでも、いなくなってみると恋しいもんですね。
 ただ、結婚はそれで懲りました。その後、再婚を勧めてくれる人もあったけれども、結婚はしませんでした。子どもを預けていた親に、またまた迷惑がかかるようなことになってもいけないと思ったしね。
 北海道に残してきた娘は、九九年で二五歳になります。僕のおやじは今、寝たきりの状態で入院しているんですが、「その面倒をよくみてくれるんで助かる」って、おふくろがいっていました。時々ですが、電話を入れて話をするんです。もちろんホームレスをしていることは、内緒にしてありますがね。
 娘とも電話で話しますよ。「お父さんが北海道に帰ってくるのは、死んでお骨になってからよね」などと娘からはいわれてます。本当は娘にだけは会って、顔を見てみたいと思っているんですがね。
 しかし、北海道に帰ったところで、こっちよりも景気は悪いんでしょう。農業をするのもままならないっていうしね。帰りたい気持ちはあるけれども、帰ったところでどうなるというわけでもないのでね。まあ、景気がよくなることだけが願いです。景気がよくなって、仕事さえあれば、何とかなると思うんですよね。 (■了)

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