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阪神大震災現地ルポ 第7回 被災者からの手紙

■(月刊『記録』95年12月号掲載記事)

■ 9月11日 (1995年)

 8月に神戸を訪ねた際、移転先がわからないため会えなかった遠藤義子さんと小橋千津子さんに手紙を出してみた。その後の消息を尋ねてみたいと思ったからである。取材というのは、善かれ悪しかれ「一期一会」の要素が強いものだと思っているから、正直にいうと、そこまで追いかける必要があるのか迷った。あまり追いかけるのも無神経ではないかとも思ったのだ。しかし、震災直後の極限状態だけでなく、その後の困難な状況について追跡取材を試みることが連載の目的である。それに小橋さんには、記事になったら見てもらうと約束していたが、まだ果たせずにいた。 

 手紙には、いまも取材を続けていること、8月も取材に行ったが会えなかったこと、その後どう過ごしているか、よかったら教えてほしいこと、10月にまた神戸を訪ねるので連絡先を教えてほしいこと、などを書いて送った。この連載のコピーも同封した。
 現住所はわからないが、震災以前の旧住所は聞いてあった。そこへ送れば新住所に転送されるだろう。転居先不明で戻ってきたら、そのときは仕方ない。そう思って投函した。

■ 9月18日

 小橋さんから返事が届いた。手紙には「今となれば、あの時の怖い思いをしたのが夢のような気がします」と綴られていた。本人の了解を得たので、この手紙から、差し障りのない範囲で、小橋さん母子の置かれている状況について紹介しよう。 
生田川公園での避難生活は、春頃からテントの中にまで入り込んでくる虫に悩まされたので5月で切り上げ、6月からワンルームマンションに移り住んだ。東灘区の田中さんからも聞いているが、震災後、賃貸住宅の家賃は値上がりしている。だから小橋さんも割高な家賃で住まねばならなかった。小橋さんはこのマンションに8月まで暮らし、今月から仮設住宅に移っていた。場所は生田川公園から南に下った辺りという。 
 詳しいことは10月に会って尋ねようと思うが、彼女ら市営住宅の入居者が優先的に仮設住宅に入れるというのは、あるいは本当だったのだろうか。前回「空手形」と書いたのは、私の「早トチリ」だったかもしれない。それとも小橋さんたちが2人暮しだから入居できたのか。仮設住宅に入れない被災住民の多くは4~5人以上の世帯で、2Kの間取りの1室では狭すぎ、2室以上を求めても絶対数が足りない。それで入居を諦めていた。だが2人なら生活は不可能ではない。小橋さん母子は、もしかするとそれで入居することができたのかもしれない。てっきり仮設住宅には入れなくなったと思っていたので、何にせよ、その点だけはよかった。 

 マンションに3ヶ月間住んで、かかった費用は家賃と敷金からの差引分で55万5千円だった。受け取った義援金は10万円。市と県からの見舞金14万円と合わせて24万円。これに住宅助成義援金30万円を受け取ったとしても、1万5千円の赤字となる。大震災で住宅を失った上に財産まで減っていく。つくづく理不尽だと思う。しかも小橋さんによれば、テント生活からそのまま仮設住宅入りした被災者には、この30万円は出ないという。

■ 9月23日
 
 手紙を出したもう1人の遠藤義子さんから電話をもらった。彼女らは母娘も避難所を出て、市内のアパートに移っていた。結局仮設住宅には当たらなかったのだ。「今まで住んでいたマンションの建て替えは終わったが、家賃が倍以上に高くなってしまったので、住むことは諦めた」とのことだった。短期間の突貫工事で建築したせいか、建物全体も室内も以前より小さくなっているような感じだという。部屋が狭くなった上に家賃が2倍以上にはね上がったのでは、とても住むことはできない。遠藤さんはいまも失業状態だ。震災で倒壊した職場の再建は、まだ見通しがたたない。年配の彼女には、新しい仕事をみつけることもままならない。

■ 9月25日
 
 笹山幸俊神戸市長に取材を申し込んだ。これまでは取材しても意味があるとは思えなかったし、その必要もなかったが、小橋さんと遠藤さんに連絡をもらってから、考えが変わった。今まで取材して聞いてきた被災者の怨嗟の声を、彼に直接ぶつけてやろうと思うようになったのである。 

 既に鎌田慧さんをはじめ何人ものライターが、市長に取材を申し込んでいるが逃げられていると聞く。「新聞・TV以外は取材に応じない」と言っているらしい。だから恐らく応じないだろうと思っていると、案の定、「震災対策で忙しくて時間がとれない」と広報課が回答してきた。だがそう言いながら、市長は、創価学会系総合雑誌『潮』の取材には応じているのだ。記事中の市長の発言は、被災者を愚弄するには十分な内容だった。愚問を繰り返す女性記者を、与し易しとみたのだろう。笹山幸俊という人は、その程度の取材には応じる、その程度の人物らしい。それなら、事前に申し込むような悠長なことをしないで、執務室に直接市長を訪ねるか、自宅に「夜討ち朝駆け」でもしてみようか。

■ 9月29日
 
 手紙をもらってから日が経ってしまったが、小橋さんに電話をかけてみた。「ワンルームマンションは金がかかってしゃあないわ」と、電話口で語る小橋さんの様子は元気そうだった。住宅助成義援金も受け取ったという。小橋さんは市街地の仮設住宅に入ったのだが、同じ仮設住宅でも、市街地と郊外では、待遇に差があるようだ。「山の方の仮設住宅にはコンロと食器がついていて、コタツと米10キロがもらえた。私ら町の仮設住宅の者は米とコタツだけ」と話す。郊外の方が生活に不便だからという理屈なのだろうが、ここまであからさまに差をつける必要があるのかと思う。 
 しかも「山の方の仮設にはエアコンがついているのに、町の方にはついていなくて、神戸市はエアコンが欲しければ山の方へ行けという態度だった。つけてもらうまでずいぶんかけあった」と言う。なぜそんなに郊外の仮設住宅へと被災住民を誘導したがるのか理解に苦しむ。誰もが住み慣れた土地を離れたくはない。愛着があるし、復興の進み具合を見届けたいと思って当然だ。市当局は、その程度の住民感情すらわからない。 
 小橋さんには子どもが3人いて、現在はいちばん上の息子さんと住んでいる。「息子がまだ独身なので、地震の後も面倒みてもらえてよかったなあ、なんて言うてる」と笑う。彼女は戦前の大水害、大戦中の空襲、そして今度の大震災と、3度の災害を生きてきた。その間に夫を亡くし、3人の子を育てた。今度会う時には、そうした人生経験も聞いてみたいと思っている。

■ 10月14日
 
 東京で、「阪神大震災報告会-被災者が語るあの時(1・17)と現在(いま)」が開催されたので行ってみた。被災者団体と神戸市との紛糾の様子(前回報告した)などを撮影したビデオ上映の後、自身も被災した地元ボランティア活動家の報告、参加者の発言と続いた。久しく現地で取材していないから、報告の内容は参考になった。けれども参加者はわずか40人ほどで、ほとんどがボランティア活動家ばかり。それ以外の参加者は数人程度というのが気になった。浴衣姿の力士が1人、少し遅れて参加して、途中で帰って行った。兵庫県出身者だったのだろうか。

 日々関心が薄れていくことを痛感した。やはり日本人は冷たい。それにもこの日の集会は事前の告知や内容の点で、もっと運動の「外側」にいる人たちへも働きかけてもよかったと思う。残念ながら内輪の集まり、「体験談発表会」のようになってしまっていた。 
  『記録』の読者には市民運動に関わっている人々が多いから言わずもがなではあろうが、ボランティアとは無縁の人たち、義援金を送っただけとか、義援金もボランティアも全くしなかった人たちにこそ、難しいが伝える努力をすべきだと思う。これは取材を続ける自分にとっての課題でもある。そんな感想を抱いた。

■ 10月25日

 この日、長田では、映画『男はつらいよ』のロケが行われた。「長田の良さを生かしたまちづくり懇談会」(まち懇)の三谷真さんに聞いたところでは、「まち懇」の議論から「寅さんを呼ぼう」という話が生まれた。山田洋次監督が明石へ講演に訪れたところを、「まち懇」有志で会い、撮影に来てほしいと要請した。その時は既に脚本も決まっていて実現は難しいと断られたのだが、その後、山田監督が脚本を手直しして、ごく僅かだが長田が登場することになった。寅さんが神戸滞在中に大地震が来て避難所生活を送り、1年後に再訪するという設定で、来年1月に公開される。 

「まち懇」でも「寅さんを迎える会」を作って準備を進めてきた。これを機会に、「寅さん祭り」を催したり、災害遺児のための「寅さん基金」を設けようという提案もある。基金の方は松竹との関係で、寅さんの名称を使えるかどうかはまだ流動的なのだが、「地元はけっこう『寅さん』で盛り上がっている」と三谷さんは語った。 「まち懇」本来の活動も順調に進んでいる。4月の発足以来、9月までに毎週の会合を17回(準備会も含めると18回)重ね、10月からは隔週で開催している。これまでの経過をまとめた資料を送ってもらったが、統一テーマとして精力的に議論されているのは、やはり区画整理と再開発の問題だ。神戸市は長田の復興に際し、19年前の酒田大火(山形県酒田市)の例を参考にすべく、同市から資料を取り寄せている。だが酒田の復興は失敗だったのだ。酒田の被災者は、いまなお困難な現実を抱えている。長田がその轍を踏むかどうかはまだわからないが、その前に、酒田の商店街が区画整理の後どうなったかを検証することも、決して無駄ではないと思う。この問題は、いずれ機会を改めて、報告することにしたい。 (■つづく)

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