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ホームレス自らを語る/半身不随の体になって・三浦俊二(五六歳)

■月刊「記録」1998年11月号掲載記事

*       *        *

■四歳で養護施設に預けられた

 生まれたのは、一九四二年二月だから、太平洋戦争が始まって三ヶ月後ってことになる。生まれたところは、岡山だった。
  おやじは造船工場を経営していた。大阪に本店と工場があって、工場は岡山と沖縄にもあった。従業員も一〇〇〇人くらいはいたらしい。海軍におさめる焼き玉エンジンの船を造っていたそうだが、おれには戦争のことも、造船工場のことも、小さかったから記憶にはないよ。  戦争が終わって、工場は米軍に接収された。おやじは四つあった家屋敷を売り払って、従業員の解雇手当にあてたようだ。今なら、会社が倒産したからって、そんなことする社長なんかいないよね。おかげで、それからは悲惨のドン底さ。三人兄弟の末っ子だったが、上の兄と姉は養子になって、どこかにもらわれていった。おれは大阪の養護施設に預けられた。四つのときだったよ。(※このとき、三浦さんの両眼から大粒の涙がみるみるあふれ出し、おえつに変わって、一分間ほど続いた)
  いや、大丈夫。続けられるよ。
  施設にはすぐに慣れたと思う。まだ四つだったから、わけもわからないしね。待遇も悪くなかった。そのころは、社会福祉の施設が少なかったからじゃないかな。施設の人が「君たちの食費には、一日に一人六一円六八銭もかけている」って、よく自慢していたのを覚えているよ。
  その後、おやじは仕事を転々としたらしい。事業を起こしたり、流し台の販売をしたり。だけど、どれもうまくいかなかったようだな。おやじやおふくろが施設まで会いにくるということもなかった。そんな余裕もなかったろうし、いろいろ事情もあったんだと思う。(またしばらくおえつする)
  その施設から、小学校、中学校に通ったが、「施設の子」だからって、いじめられたりすることもなかった。あのころは、全体に貧しかったし、戦災孤児もいっぱいいたからね。中学校を出て、二年制の職業訓練校にやってもらって、鋳物のことを習った。
  それで訓練校を出て、大阪の鋳物工場に就職したんだ。だけど、熱とススとホコリのひどい工場で、若者にあんな職場は勤まらんよ。すぐに辞めたね。それから東京に出てきた。
 東京に来てからは、いろんなことをやってきたよ。まず、航空自衛隊に入った。勤務先は隣の埼玉県にあるジョンソン基地、今の入間基地だ。そこでは戦闘機の部品の整備や取り扱いをした。四年で除隊になって、三曹までいった。昔の上等兵だよ。
  自衛隊にいたとき、ボイラー取り扱いの資格を取った。資格を取るのが好きでね。その後も、冷凍機、危険物、転圧ローラーなんかの資格を取ったよ。そういう資格を生かしながら働いたんだけど、やっぱりボイラーとか空調関係の仕事が多かったね。
 ただ、四五歳をすぎると、普通の会社に就職するのは難しくなる。相手が信用しなくなるからね。おれの場合は独身だったから、余計にそうだった。それからは建設現場で働いてきた。まあ、日雇いに毛の生えたようなもんだよ。数え切れないくらい転職したけど、そのたびに環境が合わない。めぐり合わせが悪い。おれの人生そのものが、悪いめぐり合わせなんだ。
  ずっと独身だった。結婚しようなんて、思ったこともないよ。女にカネをかけるくらいなら酒を飲んでいたほうがましだった。女にもギャンブルにも興味はなかった。ただ、ただ、酒。毎晩のように飲み屋に行って、焼酎をボトルで飲んでいたからね。給料はほとんど飲んじゃったよ。

■通行人に発見されて運ばれた

 九三年の冬の寒い晩だった。街の食堂で夕飯を食ったんだ。当然、酒も飲んだ。食い終わって外に出ると、ふと目の前が暗くなって、意識が遠のいて倒れた。普段から血圧が高かったのに、酒を飲んで、いきなり寒い戸外に出たのがいけなかったようだ。
 気がついたときは、大学病院の集中治療室に寝かされていた。通行人に発見されて、救急車で運ばれたらしい。病名は脳軟化症(=脳梗塞)。命は助かったけど、右半身はまったくきかない体になっちまった。今でも歩くのは、杖にすがってやっとの状態だよ。
  病院には半年間入院していた。ホントはもっといて、リハビリとかしないといけなかったんだが、カネがないだろう。仕方なかったんだ。
 入院治療費は兄が払ってくれた。実は、子どものころに生き別れになっていた兄と姉の住所が、その後わかって、二人とも東京で暮らしていたんだ。退院してからは、姉のところに引き取られた。兄には家族があって同居できないんで、独身の姉が引き取ってくれたんだ。姉は学習塾をやって、生計を立てていた。
  けれど、姉だって女一人でやっと食べているわけだろう。そんなところへ、半身不随のおれのようなものが転がり込んで……(言葉が途切れて、おえつする)。そんな姉に面倒をかけられないと思って、そこをこっそり出たんだ。出たからって、行くあてなんてないし、新宿に来てホームレスになるしかなかった。

■四畳半のアパートも追い出され

 おれの場合は、こんな体だろう。福祉に行けば何とかしてもらえるかと思って、新宿区役所に相談に行ってみたんだ。そうしたら区が借り上げている四畳半のアパートに入れてくれた。だけど、そのせまい部屋に六人も暮らすんだ。食事はついていたけど、酒はダメ。小遣い銭もくれないから、タバコも買えない。まあ、みんな隠れて、こっそりやってはいたけどね。そこで三年暮らしたよ。
 九八年五月には、この体を引きずって横浜まで行ったんだ。横浜のほうが、福祉の待遇がいいって聞いたからね。だけど、「今、新宿区から保護されている人を、横浜に引き取ることはできない。そういう決まりになってる」って断られた。仕方なく新宿のアパートに戻ってみると、すぐに区の役人が来て 「もう、福祉は打ち切る」っていうんだ。
 それでアパートを追い出された。表向きの理由は、「禁止されている酒を飲んだ」ことになってるが、そんなことはみんなやってるからね。たぶん、横浜の役所から新宿に(照会の)連絡があって、役人がメンツをつぶされたとでも思ったんだろう。腹いせに決まっているよ。  だいたい役人なんて、態度も偉そうにして、もうあんな連中の世話になんかなりたくないね。おれはこんな体だから、堂々と福祉の世話になってもいいと思ってるんだが、「そんな気でいてもらっちゃあ困る」っていわれたし、「おまえらのために使う税金はねえ」って、はっきりいったやつもいた。
 前に福祉のことで都庁に相談に行ったら、「そういう話なら、区役所へ行け」っていわれ、区役所に行って話すと、「それは都の管轄だ」っていう。どうなっているんだ。ホームレスにも、身障者にも、それぞれ事情があるんだから、「ちゃんと話を聞け」っていいたい。
 みんな事務的に書類を処理するだけで、おれたちが明日から飯を食えなくなっても、関係ないと思ってるんだ。ホントに偉そうにしてさ。
 まあ、そういうわけで、またホームレスに逆戻りしたんだ。でも、この体でホームレスをしていくのは、つらいものがあるよ。スーパーとか、コンビニの対応も千差万別でね。親切な店もあれば、店が捨てた弁当をあさっていて、水をぶっかけられたこともある。
  夜は地下鉄のK駅で寝かせてもらってるよ。あそこの駅は親切でね。終電が出た後、ホームレスを中に入れてくれるんだ。それも朝六時までいさせてくれる。構内を汚さないっていう条件はあるけど、助かるよね。毎晩、一〇人くらいの仲間とやっかいになっている。そんなことをしてくれる駅は、ほかにはないだろう。ありがたいよ。
  今日は天気もいいから、久しぶりに友達と飲もうと思ってね。K駅から、ここ(東京都庁前の路上)までやって来たんだ。友達?酔いつぶれて、そこに寝てるやつがそうだよ。こんな体になっても、好きな酒はやめられないよね。カネ?障害者手当っていうのがあって、それで何とかやってる。でも月に二万円しか出ないんだよ。二万円で生きていくのは厳しいね。
  まあ、これも天罰なんだろうね。今まで、いいかげんに生きてきたバチが当たったんだよ。そう考えるより仕方ない。めぐり合わせの悪い人生さ。
  兄や姉に連絡?できないよ。電話で声を聞かせたりしたら、かえって心配させるだけだろう。そんなことできないよ。(またおえつを始めた) (■了)

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