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ホームレス自らを語る/おれは巡回探職労働者・高橋茂(五〇歳)

■月刊「記録」1998年8月号掲載記事

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■結婚費用稼ぎにマグロ船に

 一八歳のときに、ある娘と家が近所同士で、子どものころから行き来があって、何となく結婚する雰囲気だった。親同士が相談したとか、田舎(青森県八戸市)の風習とか、そういうんじゃなくて、自然の成りゆきでそうなってたんだね。まあ、丈夫だけが取りえのような子だったよ。
  だから、その子とは結婚しなくちゃならないと思ってさ。結婚式の費用を稼ぐために、東京に出てきたんだ。二〇歳のときだよ。それで船員手帳を作って漁船員になって、三崎(神奈川県)のトロール船に乗り込んだ。それまでにも漁船に乗ったことはあったし、戸惑うこともなかった。仕事にもすぐに慣れた。
  おれが乗った船は近海漁が主で、マグロや、サケ、マスなんかをとっていた。漁場には四、五隻の船団で行って、競争でとり合うんだ。 「向こうは何万トンとったらしい」「こっちは何ケースとった」って具合。まあ、船主がもうけるために、そうやって競い合わせているんだけど。
  それだから、漁場では魚のいる限りとり続けるんだ。それこそ、根こそぎって感じで、これじゃあ魚がいなくなっちゃうって心配なくらいとりまくったよ。二四時間フル操業なんて当たり前。網を引いているときに仮眠して、網を巻き上げたら戦場のような忙しさだった。おれの仕事は冷凍係。とった魚を箱に氷づめにして、船倉に積み上げる仕事だよ。
 一回の航海で海の上にいるのは、だいたい三ヶ月。ただ、ずっと海の上にいるわけじゃない。船倉が一杯になると、魚の値動きを見ながら、船主と相談して、その近くで一番高い値をつけている魚市場に水揚げするんだ。終われば、また沖に戻って漁をする。その繰り返し。
  漁船員にとっては、この水揚げのときが一番の楽しみだったね。一晩、陸に上がって、みんなで飲み屋に繰り出し、思い切り酒を飲んで、女を買う。漁船員の給料は歩合制で、それに慰労金もついていたから、普通のサラリーマンなんか問題にならないくらいよかったよ。だから遊び方も豪快で派手だった。
  ただ、水揚げのために魚市場に向かっても、船がいっぱいだと岸に着けられないこともある。そんなときは、朝まで沖待ちになる。そうすると、船から海に飛び込んで、陸まで泳いで遊びに行くようなやつもいた。おれはそこまでして遊んだことはないけど、男が女とやりたいときのエネルギーだよね。「すごいなあ」と思ったよ。  それが二二歳のときにけがをしちゃってね。酔っ払って転んだ拍子に、左膝の皿を割っちゃったんだ。治療のために漁を一回休んだ。その次の航海にも誘われたけど、それも断った。揺れる船の中で、足を引きずりながら働いても、仲間に迷惑をかけるだけだろう。ハンデを負いながら働くのは、嫌だったんだ。
  漁船っていうのはチームで働いていて、一人一人の役割が、キッチリ決まっている。だから、一回ならともかく、二回も続けて休むと、代わりのメンバーが入っちゃう。チームから外されてたよ。今にして思えば、けがの治療中に遊びぐせがついちゃったのかもしれないよな。
■日雇いがうらやましくてね

 それからは、久里浜にあった水産物の冷凍倉庫の社員になって働くようになった。ああいうところは、社員のおれたちは監督をするだけで、実際の作業は日雇いの人がやるんだ。
  日雇いには毎日、日払いの賃金が支払われる。わたすのがおれの役目さ。連中を見ていると、もらったその場所で、日雇いの親方に、「競馬だ」「競輪だ」って賭け金をわたしている。親方がノミ屋をやってるんだよ。日銭が毎日もらえて、楽しそうで、うらやましかったよ。そうかと思うと、気が向かないと休んじゃう人もいるだろう。「気ままでいいな」とも思ったね。
  それでおれも社員を辞めて、その倉庫で日雇いで働くようになった。なってわかったんだけど、そのノミ屋の親方に毎日賭けていないと仕事を回してもらえないんだ。そういう仕組みだった。まあ、おれもギャンブルはきらいじゃないし、それでもよかったんだけどね。
  それより頭にきたのは、それまで同僚だった倉庫の社員たちさ。おれが日雇いになった途端に、掌を返したようにするんだからね。仕事がひまなときにタバコを吸っているだけで、どなられたりするんだから。それもおれの後輩の社員だったりしてさ。そんなところには、いつまでもいられないよね。
  倉庫の日雇いを辞めて、横浜に移った。寿町っていうドヤ(簡易宿泊所)街に住んで、港湾荷役の日雇いになったんだ。そのころは、仕事はいくらでもあった。だから、賃金を聞いて、安いと行かなかった。「三部通し」「四部通し」っていって、二四時間、三二時間を、ぶっ通しで働くようなこともさせられた。その分、賃金が倍づけ、三倍づけだったからね。
「タンククリーニング」なんて仕事もあった。原油タンカーのタンクの底に残ったスラッジ(汚泥)を片付ける仕事だよ。真っ暗な底を、はいずり回って、ペール缶にスコップでかき入れる。クソ暑い上に、油まみれになる仕事さ。
 作業は、タンクのガス抜きをして、残留ガスの検査をしてから始める。だけど、この「ガス検」がいいかげんというか、あんな大きなタンクだから全部は測りきれないんだ。どうかすると、ガスがよどんでたまっているところがある。運が悪いと、それを吸い込んでぶっ倒れる。暗いなかでの仕事だから、ペール缶をつり上げるウインチに巻き込まれて、片手吊りで持っていかれるやつとかもいた。「汚くて、危険で、きつい」3Kの代表みたいな職場だった。まあ、それだけに賃金はよかったんだけどね。
 こう話すと、まじめに一生懸命働いたように思うかもしれないけど、ホントは違うんだよ。働いてカネがたまると、それがなくなるまで遊んで暮らすんだ。それから白手帳(日雇い労働者の保険制度)を二冊も、三冊もつくって。そのころは、ドヤの判が居住証明になって、簡単に手帳がつくれたんだ。それであぶれ手当の二重取り、三重取り。そんな悪いこともしたよ。カネは、酒とギャンブルと女に消えちゃったね。

■おれはホームレスじゃない

 故郷に残してきた娘が、「ほかの男と結婚したらしい」ってうわさを耳にしたのは、二三歳のころだったかな。東京に出てきたばかりのころは、頻繁に電話で話もしたさ。けれども、だんだん連絡を取らなくなった。結婚のうわさを聞いたときには、「そうか、それもしょうがないな」と思ったよ。だって、日雇いでフラフラしているおれを、いつまでも待ってなんかくれないよね。それも仕方ないさ。
 それからは、ずっと日雇いでやってきたんだが、九〇年代前半ころから仕事がパタっとなくなった。一泊二五〇〇円のドヤ代さえ払えないんだからひどいね。不況だとか、コンテナ貿易が主流になったからだとか、外国人労働者が入ってきたからだとか、いろいろいわれるけど、おれにはよくわからないね。船が入らなくなって、仕事がなくなったことだけが事実なんだよ。
  新宿に移ってきたのは九五年のことだ。でも、新宿にきても、仕事がないのは同じだったね。あっても、港湾荷役のときより、全然日当が安いしさ。段ボールの上に寝るしかなかったわけよ。だけど、おれは今でも自分のことを、ホームレスだとは思っていないんだ。仕事さえあれば、働く意欲はあるからね。だから、自分のことを 「巡回探職労働者」って呼んでるよ。カッコいいだろう?
■クズでもクズなりに

九八年二月の火事のときも新宿にいたよ。南口に通じる地下通路を歩いていると、すごい煙のにおいをかいだ。急いで西口地下広場に行ってみると、煙がモウモウで、とても近づけなかった。助けようにも、助けられなかったね。噴水の水をくんで、バケツリレーをしたけど、消せるような状態じゃなかった。
  死んだ人には悪いんだけどさ。火事が出たのは、朝の五時すぎだろ?あの時間というは、ボランティアがおにぎりを配給した時間の、ちょっと後なんだよ。そんなころまで、腹も減らさないで、ぬくぬくと段ボールハウスに寝ていられるなんて、ホームレスでも恵まれたほうだったと思うよ。普通だったら、腹が減って四時すぎには目が覚めちゃうんだからさ。
  故郷に帰りたいとは思わないよ。八戸といえば、子どものころから災害の多い街だった。まず小学生のときに白銀大火(白銀は八戸の地区名)があった。放火だったらしいけど、家がボンボン燃えてね。米軍基地に燃え移って、ドラム缶が噴き上がるのが見えたよ。
  中学生のときが、チリ沖地震の津波。東京へ出てきた年には、十勝沖地震があった。このとき、おれはパチンコをしていたんだ。台がはじけ飛んで、パチンコ玉が飛び出してきたよ。表に飛び出すと、看板は降ってくる、薬局が火事で燃え上がるで、大混乱だった。そんな混乱のなかで、酒屋に人だかりがしているんだ。のぞいてみると、割れた酒びんの底に残っている酒を、みんなで争うようにして飲んでいた。群集心理ってやつだろうね。つい何年か前にも大きな地震があった。
  子どものころ、米軍基地でクリスマスの集まりがあって行ったことがあるよ。大きくて広いスケート場があった。生まれて初めて、ヘリコプターに乗せてもらった。ハンバーガーを食べたのも、そのときが初めてだった。本物のビーフがはさんであって、でかくて、「こんなにうまいものがあるのか」と思ったよ。今のおれの主食も、売れ残りのハンバーガーなんだよ。よほどハンバーガーがついて回る人生かと思っちゃうよね。
 こんな生活になったのも、覇気がない。逃げる人生。やる気がない。だらしない。ヤケクソの人生。自殺する勇気もない。ゴミだ。クズだ。大衆のじゃまだ・・・・。自分が弱くて、いじけていて、しっかりできないからなんだよ。
  でも、このままでは終わりたくないよ。「クズでも、クズなりに」って思うよね。 (■了)

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