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鎌田慧の現代を斬る/官主主義日本とお先棒ジャーナリズム

■月刊「記録」1998年4月号掲載記事(表記は掲載当時のままです)

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■官に杭打つものなし

 日本は「民主主義国家」といわれているが、実態は「官主主義国家」というしかない。
 民主の主は、「王の頭に杭を打つ」という意味だったとも伝えられるが、いまは官の上に杭を打つものはいない。完全なる官僚独裁政治の時代である。
 デタラメ天下りとハレンチ遊興の限りを尽くしている実態がようやく明らかになった大蔵官僚だが、三月七日現在、逮捕されたのはノンキャリア官僚三人、キャリア官僚に至ってはたったの一人である。最初ノンキャリア二人を捕らえ、あとからキャリアとノンキャリアを一人ずつ逮捕したのには、キャリア官僚への検察の「気配り」が感じられてならない。その捕まったキャリアでさえ、大蔵省のヒエラルヒーのなかでは、まだ下っ端なのだ。世論を沈めるための人身御供的存在にもみえる。
 逮捕された榊原センセイは、東大法学部卒業後、二〇後半で岐阜県多治見で税務署長を務めて、らせん状に出世してきた典型的なキャリア官僚である。そんな彼が検察庁の手に掛かったのは、大蔵官僚の乱行があまりにもデタラメだったためにほかなならない。彼の逮捕は、大蔵官僚八万のなかのわずか一%しかいないキャリアの一滴でしかない。
 「(接待にかんして)自分は関係ない、ということのできる大蔵省の人間はいないと思う。だれもがある程度は見に覚えのあることだと思っている。自分もそう。その意味でも、全員がざんげするしかない」(朝日新聞・三月六日朝刊)という大蔵官僚の声が報道されれているほどだ。
 これまでキャリアは「官僚のなかの官僚」と祭り上げられ、自分が日本を支配をしているといった傲慢さを、大蔵官僚は身につけてしまった。企業からカネを貰ったり、接待を受けても当然だという意識を形成したのである。「官主主義」たるユエンである。
 しかしこのような退廃は、彼らだけで作れるはずもない。官僚汚職の構造で強力な力を発揮したのは、大企業であった。企業と官僚の相互協力によって、日本の腐敗を進めてきたのである。すでに多くの社会主義国家は、官僚の腐敗によって解体された。「官主主義」である日本もまた「国家解体」」前夜にある。

■東京三菱は我が世の春

 先述したキャリア組の逮捕と同時に行われたのは、東京三菱銀行など大銀行二一行にたいする二兆一〇〇〇億円もの公的資金援助である。これぞ大判振る舞い。

・日本勧業銀行  一〇〇〇億円
・日本長期信用金庫 二〇〇〇億円
・日本債券信用金庫 三〇〇〇億円弱
・第一勧業銀行  一〇〇〇億円
・さくら銀行  一〇〇〇億円
・富士銀行  一〇〇〇億円
・東京三菱銀行  一〇〇〇億円
・あさひ銀行  一〇〇〇億円
・三和銀行  一〇〇〇億円
・住友銀行  一〇〇〇億円
・大和銀行  一〇〇〇億円
・東海銀行  一〇〇〇億円
・三井信託銀行  一〇〇〇億円
・三菱信託銀行  五〇〇~一〇〇〇億円
・住友信託銀行  一〇〇〇億円
・安田信託銀行  一五〇〇億円
・東洋信託銀行  五〇〇億円
・中央信託銀行  六〇〇億円
・横浜銀行  二五〇億円
・足利銀行  一五〇億円
・北陸銀行  一〇〇億円

 東京三菱銀行など金融不安によって、預金者が逃げだした中小銀行の資金を集めまくり、我が世の春を楽しんでいる。それでも国の資金を受け取るという。銀行のなかで、資金を受け取らない銀行と受け取る銀行に分かれると、受け取った銀行の信用不安が発生する。それで横並びにカネを受け取る。相変わらずの護送船団方式である。はたして、これらのムダガネが貸し渋りの解消につながるのだろうか。
 この少し前に、東京郊外の国立のホテルで、三人の社長が同時に自殺するという事件が発生していたことを覚えているだろうか。不況のなかで社長が自殺をするほど追い詰められている企業は少なくない。しかも不況に追い打ちをかけているのが、銀行の「貸し渋り」である。 銀行が自分の身の安全を守るため顧客を締め上げている。バブル期、放漫経営によって土地や株を大量に買い込み、それが焦げついたのは銀行の自業自得である。にもかかわらず、一方では国の資金を使って経営の安定を図り、一方では貸し渋りによって中小・零細企業をいじめているのが、現在の銀行の姿だ。片手でカネを受け取り、片手で中小企業のクビを締めているのだから、まるで泥棒と人ごろしのセットである。
 官僚と銀行のこれだけの腐敗を前にして、国民がなんら運動を起こさないという状況もまた無惨といえる。社会主義の崩壊は「市民革命」ともいわれている。それはフハイした政府に国家にたいする市民の抵抗があってのことだった。ところがこの日本では、権力を批判する運動の先頭に立ってきた労働組合は労働貴族の連合化となり、野党は国会から姿を消した。
 大臣のポストをエサにし、政党助成金で買収することによって、どこにも反対派はいなくなったのだから、日本は自民党と財界にとって、世界でもっとも安泰な国だということになる。
 検察幹部は、「大蔵省自身が、きちんと調査すれば、局長級も含めて少なくとも一七、一八人のキャリアが辞職せざるを得ないのではないか」(朝日新聞・三月六日朝刊)と語っているという。だが大蔵省自身が内部変革をとげる可能性は、極めて低い。彼らに権力を与えすぎていたからである。
 たとえば、自主廃業した山一證券の八〇億円の債務隠しが、英国のペーパー会社を使って行われており、五年前の九三年に大蔵省はその事実を把握されていたことが判明している。
 また大蔵省の証券取引取引等監視委員会上席証券取引検査官が、今回逮捕されたが、山一證券の簿外債務について調べていた検査官幹部のワイロ・接待漬け生活も、今まで見過ごさせてきたのである。この二つ事例からも、大蔵省が簿外処理を指導していた可能性は極めて高い。
 このような行為は、多かれ少なかれ日本中の金融機関に蔓延していたはずだ。つまり日本の官主主義が解体されない限り、なんの解決にもみないことになる。
 これからの課題は、官僚機構を監視する野党がどういった形で形成されるかであり、さらには情報公開がどれだけ国民に広がるかにかかわっている。さらに東大法学部が官僚機構を全面的に支配している東大絶対体制を解体することだ。「泥棒」もそれを取り締まる検察も、どちらも東大法学部出身。これは日本社会のマンガ性をよくあらわしている。

■調書を鵜呑み?

 いまや検事が正義の味方のようになり、検事がんばれといった風潮が強まっている。しかし今度の文藝春秋の検事調書の流失という事態から、検事たちの秘密防衛も大したことがないとわかった。
  検事調書を誰が流したかについては、まだ明らかになっていないが、文春に掲載される前に各マスコミの送られていたこと判明している。新聞社はそれらの情報を使いながら、送られてきた検事調書をまた警察に手渡すという行為をしていたという。マスコミが情報操作にきわめて弱いという体質を、これらの事実は明らかにしている。
 また文春が「真実」だとしても、大々的に売り出した記事が、自分が取材した情報で作ったものでもなく、スクープでもなく、各社に流されていたものだというのも笑わせる。
 検事調書は警察調書とおなじように、「自供」によって作られたものである。その「自供」は警察官や検察官の誘導によって行われ、潤色されているというのは裁判に関心があるものの常識だ。そんな調書を鵜呑みにして発表するというのは、えん罪を増やすことにつながるだけで、なんら真実の解明につながらない。調書が誘導尋問によって作られ、のちの裁判で全面的に否認されるケースはこれまで無数にあった。自供を真実だと考えるジャーナリズムは、権力のお先棒ジャーナリズムというしかない。マスコミはそんなチェック機能さえ無くしていることが、神戸少年事件の調書に群がったマスコミの姿勢によって明らかになった。
 一方では、この事件をチャンスとして、少年法を無茶苦茶攻撃するマスコミが現れ、検事がマスコミの自主規制を主張するというとんでもない事態も起きている。いまマスコミの報道はバーゲンセールのような売らんかな主義に陥り、社会にたいしてどういう影響あたえ、社会をどう変えていくかという視点が欠如しているのである。
 さほど報道されている問題ではないが、権力と出版の関係について見過ごすことができない事件が発生しているので紹介しよう。

■警察が取引銀行に圧力

 最近、三一書房で発行された『警察が狙撃された日』という本を巡って、警察が動いていたという問題が発生している。これは警視庁本富士警察署長・石川末四郎の名前で、三一書房の複数の取引銀行にたいして、「捜査関係事項照会書」なる文書が届いた事件である。
 その内容は、「一、口座番号(当座・定期・普通)、設定年月日  二、名義人住所、氏名  三、取引状況写し  四、印鑑の写し 五、その他の参考事項」と、取引状況全般にわたっている。出版社の取引状況を明らかにすることが、なんのための捜査に必要なのか。これは捜査のためというのは口実だろう。貸し渋りが吹き荒れる状況で、銀行の融資を止めようという権力の行動が透けて見える。出版・報道・ジャーナリズムにたいするこれほど露骨な攻撃を見逃すことはできない。
 現在、日本政府は消費税の引き上げなどによって、庶民の消費を不活発にして不況を招き、その一方で中小企業にたいする銀行の貸し渋りを誘発し、そのうえ犯罪的な銀行にカネを与えている。これはかつて、アメリカの湾岸戦争を支持して、アメリカに1兆五千億円ものバカげたカネを無駄に使った時とおなじような愚政の繰り返しだ。2兆円ものカネを大銀行に渡すなら、銀行の貸し渋りで困っている企業の救済を考えるべきである。放漫経営で苦しんでいる一部の銀行の救済のために、大手銀行すべてにカネをばらまくべきではない。なにに使われるか、わかったものではない。
 これ以上、橋本内閣にバカを繰り返させないためにも、権力依存のマスコミ体質を改善する必要がある。 (■談)

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