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保健室の片隅で/第一回 イジメって?

■月刊「記録」98年1月号掲載記事

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■理由なんてない
 私は中学生のとき保健室登校生だった。
 べつに学力が人より劣ってるわけでなく、体に障害があるわけでもない。だけど教室には入っていけず、保健室に登校していたのだ。
 イジメと保健室登校、そして不登校にはつながりがあると思っている人が多いようだが、私が見ている限りではまったくなかった。事実、私も中学生のときにイジメられていないし、その気配すらなかった。といっても、イジメられるほど仲がいい友達もいなかったから、気にならなかったのかもしれない。
 じゃあ、何でそんな私が保健室登校をするようになったかと聞かれると、私自身「わからない」というのが正直なところだ。きっと、学校に行けない不登校の子どもたちも、自分がどうして教室に行けないのか、何で学校に行けないのか、はっきり理由がわかっている人はそう多くないと思う。
 中学を卒業し、通信制高校に通っていた頃にもらった手紙のなかに、「自分の子どもが不登校なのだが、どうして学校に行けないのか、本当の理由を聞き出してほしい」というのがあった。しかし、理由もなく教室に行けない人がいるのだということも知っておいてほしい。
 理由もなく教室に行けない人も、親や学校の先生、また社会の大人に、どうして学校に行けないのか、教室に行けないのかと聞かれると、「何か答えなければ」という衝動にかられてしまう。
 理由もないのに教室を拒否し続けると、サボリと思われるんじゃないか、逆に精神異常とみられて、病院に閉じ込められてしまうのではないかと不安になるのだ。そうしてこわくなって何かを答えてしまう。そして自分の答え自体に対して、また不安を抱くという悪循環をくり返す。
 たしかにこういった悪循環は、精神的に何らかの異常があるからかもしれないが、ものの考え方を一つ変えれば、病院に行くほどの異常とはいえないだろう。

■イジメとは一体何?

 人間、誰しも欠陥を持っている。
 人にできることができない人、できないことができてしまう人、それぞれにいいところと悪いところを持ち合わせていて、その出方が人と少しズレているのだと思えば、そんなに悩むほどではないのではないかと思う。私が教室に行けないことも、欠陥の一つ。人見知りするのも、慣れていない人の前で食事を取ることができないのも、病気ではなくて欠陥の一つでしかないのだ。
 では、イジメとは一体何なのか? 大きくわけて二つのパターンがあって、自分がイジメられていると思ったときに初めて成立するイジメと、「イジメてやろう!」と思って故意に行われるイジメがある。
 私が経験したのは今まで仲のよかった友達がだんだん遠ざかっていくという、精神面での孤立だった。
 名前を呼んでもらえなくなり、クラスの一員として認められているのかいないのかさえわからなくなり、自然と孤独になってしまった。どこのグループにも属さない人間は、いつしか誰にも相手にされなくなる。その子に近づく者も同様で、いずれクラス中から白い目を向けられるようになるのだ。
 こういった精神的なイジメは、そのうち消えるときが来る。いいかえれば時間が解決してくれるのだ。なぜかというと授業でグループを作る時などに、どうしても孤立が目につきやすいイジメだから、誰かが何らかの対処をすることができる。
 ただし、その時まで待つことができればの話だが。
 私には時が解決してくれるのを待つだけの力はなかった。子どものころから慣れていない人の前で食事を取るのが苦手で、教室が苦手で、協調性なんかなかったから、今さらどうやって人とつき合っていけばいいのか、どうやって接していけばいいのか、さっぱり見当もつかなかったのだ。
 教室のなかに一人ぼっちで、冷たい視線を気にしながら食べるお弁当がノドを通らなくなり、着ている制服も重たくて、何も入っていないカバンが重たくなった。学校が遠く感じられて、しかしそんな私に気づく人は誰もいなくて、受け止めてくれる人も逃げ場も何もなかった。
 今こうしている自分に「気づいてほしい」と思う反面、「親には心配をかけたくない」という思いもあった。 口にはもちろん態度にも表さないよう、初めのころは気をつけていた。親に心配をかけないように気をつけるのは、故意に行われているイジメでも同じだろう。

■またイジメちゃおうか

 故意に行われるイジメはどうしようもなく悪質だ。
 まわりの人間が気づいたときにはもう手遅れで、何か手を打とうとすればするほど裏目に出てしまうものだ。イジメられている本人はそのウズに翻弄されて、精神的にも肉体的にもいたぶられていく。
 私がこれまで一番ショックを受けたのは、この故意にイジメを行ったことのある人の話を聞いたときだった。「あいつのこと、またイジメちゃおうかなぁ」
 そんな何げない言葉から、過去にその人がイジメっ子だったと知った。どういうイジメを行っていたのかと聞くと、イタズラ電話や、「デブ」「チビ」など、その人がコンプレックスを抱いていることをあえて強調する言葉の暴力、トイレに連れ込んでは集団で殴るけるといった肉体的な暴力もあったという。
 何でそんなことをするのかと聞くと、特別にこれといった理由はない。ストレス発散だとか、ただ単にムカツクから、ということなのだ。
 イジメられている方にはまったく何も悪いところはない。どうしてその人をイジメの対象に選んだのかと質問すると、「顔が気にいらないから」と答えた。私からみれば、みんなと同じふつうの顔立ちなのに、誰か一人が気に入らないというと、皆の標的になってしまうらしい。
 そのくせ、イジメられている子が学校を休むとみんなで心配するんだから、不思議でならない。イジメが発覚するのがこわいのだろう。結局、イジメている方は臆病者なわけだ。そんなにビクビクしながらイジメるくらいならイジメなんてしなければいいのに、なくならないというのは、やっぱり社会現象だからだろうか?
 イジメられている方の気持ちをいえば、「人には気づかれたくないから、誰にも心配かけたくないから、今日一日だけは休むけど、明日からはがんばるよ」といった感じが多い。そこからすぐに不登校に発展したり、保健室登校をするようになるのは実際には珍しいことなのだ。
 基本的に、保健室登校や不登校をする人は、教室や学校を自分自身が気づかないところで徐々に拒絶し、知らない間に足がそちらに向かなくなってしまう。

■教室に近づけない

 人に劣るところはないのに、直接イジメられているわけではないのに、人と同じことができなくて、気づいたときにはもう私は教室に近づけなくなっていた。逃げ場を探して学校中をさまよい歩き、途方に暮れやっと見つけた保健室。もしその保健室にさえ拒否されてしまったら、もう行き場はなかった。
 私の場合は、保健の先生がそこを「逃げ場として使ってかまわない」といってくれたから、どうにかして学校にも行けた。もし、「もう来ないでほしい」といわれていたら、きっと学校に行くこともできなくなっていただろう。そして心の底から学校という社会を嫌いになっていたはずだ。
 保健室登校生が保健室に行き、いったい何をしているのかはあまり明らかにされていない。私がそこで何をしていたのかというと、みんなと変わらないふつうの学校生活を送っていた。
 休み時間は休み、授業時間は勉強をしてきちんと出席扱いになっていたし、テストだって受けていた。みんなと違うところといえば、クラスメートがいないことと教科担任がいないこと、ほとんどが道徳の授業だったということだけだ。
 どうして教室に行けないのかということには一切ふれずに、保健の先生はいろいろな話をしてくれた。
「心の言葉を文章に表しなさい。たくさん作文を書いて、先生に読ませて。詩でもいい。絵でもいい。自分の好きな表現で、心の中を表すの」
「別に、ずっとここにいてもいいのよ。逃げ場がなくなったら、つぶれてしまうのは誰だって同じなんだから。いつか自然にここから出ていけるようになるときまで、無理に追い出したりはしないから」
 後になって知ったことだが、私のような教室に行けない生徒を保健室でかばっていると、職員室のなかで冷たい目を向けられることもあるらしい。それでも先生は一生懸命、私の居場所を作ってくれた。私だけじゃなく、教室に行けないみんなに。

■カラーに染まる

 保健室にくる生徒には、どこか似たようなところがあった。友達がいないというわけではないけれど、人を信用できない。電話で話すのは好きだけど、自分からは絶対にかけない。お祭り騒ぎは好きだけど、心のどこかで、「何でこんなバカなことをしているんだろう?」って疑問を抱く。いったん疑問を持ったら止まらなくなり、すべてがバカらしく思えてしまう。
 どうしてみんなでトイレに行かなきゃいけないのか? 何でみんな同じような格好をしなきゃいけないのか? ルーズソックスに、ミニスカート、茶パツにカラオケ。持っているおカネさえも、みんな似たりよったり。財布の中身なんて、人それぞれ違っていて当たり前じゃない。それなのに統一したがるのは、みんなと同じじゃないと不安になるからなのか?
 みんなと同じじゃなかったら、少しずつみんなが遠ざかっていってしまうからなのか……?
 同じカラーを持っていない人間は、同じ形をしていない人間は、みんなに不思議そうな目で見られる。一緒にトイレに行かないだけで、夜遊びができないだけで、友達の家に泊まりにいったときに親があいさつの電話をするだけで、みんなと違うカラーだといわれてしまう。
 教室にあるグループとは、同じカラーを持つ者たちの集まりで、そのグループに「入りたい」と思えばその色に染まり、その形に自分を整えればいいだけだ。カンタンなことだと思う。
 でも、私があえてそのカンタンなことをしなかったのは、無理をしてまでみんなのなかにいようとは思わなかったからだ。
 一人に慣れてしまえば、一人でいることを苦に思わなくなり、誰にも何もわかってもらえなくても構わなくなる。わかってくれる人がいれば、それはそれでうれしいけれど、もう、そんなことはどうでもよくなっていた。 いつかきっと、自分と同じ考えを持っている人に出会える。そう信じて何もいわずにいたら、結果的に一人になっただけなのだ。
 これに関しては、私にも非があったろう。自分の気持ちを口に出さなかったら、誰も何も気づいてはくれないのだから。
 自分の周りに自分と同じ思いをしている人がいなければ、世の中の人間はみんな同じバカにしか見えなかっただろう。つい最近まで、ずっとそう思ってきた。くだらないことに笑い、くだらない遊びを本気で楽しんで、愛だの恋だのと騒いでいる生徒・学生たちがクソガキにしか見えなかったのだ。
 それは世の中の大人たちだって同じだった。外に出れば、バカの塊が動き回っているようにしか見えなかったのだ。 (■つづく)

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