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阪神大震災現地ルポ 第8回/不公平が罷り通る

■月刊『記録』96年1月号掲載記事

■ 10月29日

 前夜10時30分に横浜を出た高速バスは朝6時に三宮に着く。時間が早いので、付近を歩き回ってみた。無惨な姿をさらしていた神戸市庁2号館も解体作業が始まっていた。繁華街の小さな飲食店は28日で閉店し、ビルごと取り壊さざるを得なくなったと貼り紙がしてあった。いまだ解体を余儀なくされる建物がある。

 市役所1階のロビーで遠藤義子さんと再会した。現在は市役所に近いマンションで暮らしている。家賃は月10万7千円。旧宅の7万7千円より少し高くなった。再建後に家賃が15万円に倍増した旧宅は、以前の骨格を再利用で実質は修復に近い。前より部屋が小さくなったのはコンクリートを厚くしたためらしい。
 新居を探し不動産を訪ねても「私達のような母子家庭は嫌われて貸してもらえない。保証人が2人必要で、神戸在住に限るなど無理を言われた」という。結局馴染みの旧宅の家主の持つ別のマンションにした。既に還暦を超えている遠藤さんは新しい仕事も見つからず、住居を探すうえでも差別的な扱いを受けていた。
 住む家があるだけでもましと思う人もいるだろう。だが、住む家はあって当たり前、仮設住宅すら入れず、いまなおテント生活を続けている人がいる方が異常なのだ。神戸では当たり前でないことが罷り通っている。「これからどうなっていくのだろうか」との遠藤さんの不安も、容易には消えない。

 三宮の外れの仮設住宅に小橋千津子さんが住んでいる。十数棟立ち並んでいるうちの8号棟、2階の奥の部屋だった。トイレはあるが風呂はない。倒壊した市営住宅の住民専用の仮設住宅で、再建までの間住むことになっている。小橋さんは体調を崩していた。「仮設住宅に落ち着いてから、原因不明の高熱が続いた。今は指先の皮がボロボロで、医者に診せたら神経症と言われた」と話す。傷口保護のためビニール製指サックを買いに行ったところ、同じような症状で指サックを購入していく人が多い、と薬局で聞かされたそうだ。震災後も、こうして人々の心がストレスに蝕まれていくのだろうか。

■ 10月30日

 長田区で三谷真さんを訪ね、「長田の良さを生かしたまちづくり懇談会」の近況を聞いた。精力的に議論を続けているが、夏以降、住民に疲れが見え始めた。「市が建てる公営住宅の多くは西・北区で家賃10万円前後。これでは長田に戻って来れないという雰囲気が強まっている」と語る。県と市は災害復興住宅8万2千戸を3年計画で供給するのだが、全部を災害地に建設するわけではない。被災地分も被災者ならだれでも入れるわけでなく、再開発地区内の住民が優先という。まち懇は災害復興住宅があてにならないなら、区画整理による民間住宅の共同化も考えているが、これがまた難しい。

 僅かな土地でも自分だけの家を建てたい地主の説得は容易ではない。地主が売却を希望すれば、区画整理事業の自治体の用地買い上げ制度を活用できるのだが、市は何人かが一括して売却しなければ取得しようとしない。結局、住民の復興への足並みも乱れ、秋頃から違法建築もみられるようになったという。「市は自分では手を汚さないで、住民にまとめさせようとするばかり。住民の不満も募っている」と、三谷さんも行政への不信感を口にしていた。
 町を歩いていると、地主と借地・借家人が互いに住宅を建設する旨を宣言した看板を別々にたてかけていた。復興ムードの高まりにつれ、土地を巡る両者のせめぎあいも始まっている。

■ 10月31日

 兵庫県被災者連絡会は市役所前に「前線基地」を設けて活動していた。事務局長の田中健吾さんが「住民のよろず相談にものっています」と語る。自宅再建で悩みを抱える女性が相談に訪れ、ときに涙ぐみながら切々と思いを語っていた。

 河村宗治郎会長には、2日前に兵庫県の本町公園テント村で会った。「冬が来る前に越冬対策を考える」と語った。一体誰が避難生活で再び冬を迎えると考えたろう。連絡会は避難所でのアンケート調査をもとに、27日付で「避難者実態調査報告」をまとめた。B4判26ページの本格的な内容だ。報告書の被災住民の声は既に仮設住宅さえ諦め、テント村で恒久住宅(必ず入れるとは限らない)を待ち望んでいる。これを不法占拠と片づけていいのか。

 夜、須磨区の西村栄泰さんを訪ねた。夕食を御馳走になった。土産の1つも持って行かねばと思うのだが「そんな気をつかうなら来るな」と、その都度言われるので、好意に甘えてしまっている。
 西村さんは義援金を24万円しか受け取っていない。理解し難いことに住宅助成義援金30万円の受給資格がない。この義援金は自宅が全・半壊した後、民間の賃貸住宅に入居するか、家を修理した被災者が対象だが、震災後半年余りで全壊した住宅を建て替えた西村さんには、「自力再建の原則」とやらで交付されない。東灘区の田中尚次さんのように再建までどこかで仮住まいすれば受けとれたが、西村さんは車庫を改造した「自家製」仮設住宅に住んでいたため、ここでも資格を得られない。理不尽だ。何度も伝えてきた見事なまでの生活力が正当に報われていない。西村さんが在日韓国人だから交付されないわけではないが、「わしらは子どもの頃から『オイコラ朝鮮人』と差別されてきた」と語る体験がその根源にあることを思うと、二重の意味で理不尽だ。 (■つづく)

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