« 大使館は世界への窓 第3回 ガーナ共和国 | トップページ | 大使館は世界への窓 第5回/アイルランド »

大使館は世界への窓 第4回/スロベニア共和国

■筑波大学外国人教授アンドレイ・ベケシュ氏に聞く

■スキーと「カルスト」

   スロベニアは、日本では大変なアイデンティティー問題を抱えているようだ。初めてあった人に出身地を聞かれるとよく、「え、それどこ?南米?」という反応にあう。不思議でもない。独立以前のユーゴスラビア時代も、知名度はかろうじて高かったぐらい。
   実はスロベニアは、誰にも気づかれず、意外にも日本の表舞台で活躍している。秋吉台で知られる「カルスト」やそこにあるすり鉢状の窪地の「ドリーネ」などの用語は、スロベニアからの外来語だ。また、多くのスキーのファンはスロベニアのエラン社製のスキー用品出湯機とした沁み、スキーをやり過ぎて風邪を引くと、スロベニア製の抗生物質で治すこともあるかもしれない。
   もっとも、人口200万強で、面積は四国と同じくらいの約2万平方キロのわが国が、英物のような形で日本の表舞台に活躍するのはおそらく無理であろうが、逆に日本がスロベニアの表舞台にもっと出ることは、国民の誰もが大いに期待している。
   スロベニアは小さいながら、欧州の中でも非常にバラエティーに富んでいる地域だ。中央ヨーロッパの東に広がるパノニア平原、西のアルプス地帯、南の地中海世界の風土・風俗の異なった世界の接点にあるからだ。いわば中欧の辻路のようなわが国を通路に、東へと、時にして西へと広がったこともあった。しかし今、スロベニアはアドリア海北部からの、中欧・東欧へ最も近い位置にあるだけに、交通の要所としての役割が注目されている。

■カヌーやトレッキングを楽しむ

   観光地としても絶好である。国全体がまだ破壊されていない美しい自然に恵まれ、首都リュブリャーナはウィーンとヴェニスの中間地点にあって、どこからも大変訪れやすい。日本からみれば、観光の穴場である。200年以上の歴史を誇るリゾート、鉱泉や温泉でのんびりとくつろぐこともできれば、観光農家でアルプスの世界とより密接に触れ合うこともできる。
   多様性に富んでいる自然条件は、休暇の個性的な過ごし方を促している。国民も自然と接するのが好きで、自然と触れながらできるスポーツが大人気。国民スポーツはサッカーでもなく、最近人気上昇の野球でもなく、山登りやスキーである。スポーツといっていいかどうかわからないが、キノコ狩りも大人気。アルプスから流れてくる水の豊富な川でカヌーやカヤック、それにラフティングを楽しむファンも急増している。
   また、スロベニアの約半分を占めているカルストの数多くの洞窟は単なる観光で楽しむだけでなく、山歩き気分で地下の世界を2日、3日とトレッキングできるところもある。例えば、クジャナ・ヤーマ洞窟ではトレッキングだけでなく、カヌーも楽しめる。
   自然のバラエティーは、食卓のバラエティーにもつながる。内陸の方では、少ししつこいがおいしい中央ヨーロッパ系の料理が主流で、沿岸地方ではイタリアを思わせる地中海料理が主役。ワインも同様で、沿岸地方では上質の地中海系で、内陸はドイツ系ですぐれたものがある。このように、異なった系統の、しかもどちらも非常にいいワインが同じ国でできる例は欧州ではわが国だけだ。
   もちろん、全てが観光とキノコ狩りだけではない。日本と同様に多いのは山だけで、資源はそこにいる人間以外に何もない。これらの悪条件では逆に知恵や勤勉さが育つ。だからかも知れないが、スロベニア人と日本人はどこか似通ったところがある。例えば、おしゃべりはあまり上手ではなく、照れ屋で表にあまり出たがらない。しかし、日本人よりも個人主義かもしれない。
   そのせいか、スロベニアは作家や芸術家、特に画家が非常に多い。人口30万の首都リュブリャーナには無数の画廊があって、オペラ座、国立劇場のほかにも、大小8つの劇場がある。人口10万とか5万、あるいはそれ以上の地方都市にもオペラ座や劇場があったりする。独自の民族文化が広く一定の機能を果たすためには一定の人数が必要だが、民族規模が小さいだけに、文化的活動に励む人の割合が必然的に大きくなった結果だろう。

■激動の歴史を生きて

   生まれて3年しか立っていない新しい国だけに、突然どこから現れたのかと不思議がる人もいるだろう。国の年齢こそ若いが、スロベニア人はこの土地に民族大移動時代の約1400年前から住み続けてきた。早期に形成したカランタニアという国が短期間で滅びてからは、バヴァリア、ハプスブルグ、ヴェニス、ナポレオン再びハプスブルグと多くの支配者に耐え、第一次世界大戦でハプスブルグ帝国が崩壊してから、同様に帝国の支配から解放されたクロアチアとボスニアとともに、セルビアをパートナーとしたユーゴスラビアを形成した。
   自由と民族平等に基づいた繁栄を夢見たが、第二次世界大戦の苦い経験、戦後の社会主義の実験の挙げ句に、夢は崩れ、夢とともにユーゴスラビアも崩壊した。しかし、独立後のスロベニアは、今度は独立国家としていっそう大きな責任を持って、国際社会において、その夢の実現に励み続けている。
(■つづく)

|

« 大使館は世界への窓 第3回 ガーナ共和国 | トップページ | 大使館は世界への窓 第5回/アイルランド »

大使館は世界への窓」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/389724/6748907

この記事へのトラックバック一覧です: 大使館は世界への窓 第4回/スロベニア共和国:

» 工事中 [盛岡に遊びにおいでよ]
まだ工事中ですが、夏になったら盛岡に遊びにおいでよ [続きを読む]

受信: 2007年6月17日 (日) 02時18分

« 大使館は世界への窓 第3回 ガーナ共和国 | トップページ | 大使館は世界への窓 第5回/アイルランド »