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内部告発・豊島区は税金泥棒/第3回 役所逆襲

■月刊『記録』97年11月号掲載記事

          ※        ※        ※

■死期を早めたセレモニー
 役所の逆襲が始まった。
「五十嵐さん。助役室に行ってくれ」
 一九八四年三月二七日、仕事が終わり事務引継のために総務課を訪れた私を、高良総務課長が呼び止めた。思い切って内部告発に踏み切ったことで架空勤務もなくなり、それなりに平穏な日々を過ごしていた私が、この後に起こる重大な事態を予測できるはずもなかった。ただ私の履いていたゴム草履に目をとめ、「靴に履き替えてくれないか」と言葉を継がれたときには嫌な予感がした。
 三階の総務課から仕事場である地下に戻り、靴に履き替え助役室に急いだ。ノックをし、扉を開けると、緊張した面もちで円卓を囲んでいた頭が一斉に振り向いた。助役・総務部長・職員課長・人事係長・総務係長。ネクタイをきつく締め、隙のない姿勢で構えた彼らからは尋常ならざる気配が漂っていた。
「今から、五十嵐稔さんの処分を行います」
 口火を切ったのは、この日進行役を勤めていた職員課長だった。
  -処分-
 予想もしていなかった言葉だった。就業規則を守り、架空勤務さえしていない私がどうして処分されるのか。処分の対象になるような行為をいつしたというのか。怒りよりも先に疑問がわいた。

■解決していた職場離脱

 手渡された訓告処分の発令通知書は、読めば読むほど理解できないものだった。「上記の者は、昭和五九年二月一三日までの間、度々、勤務場所を離れ職場を放棄した」と、発令通知書には書いてあるのだが、いったいいつ自分が職場放棄をしたことがあるというのだろう。
 そこで発令から一週間後、職場を離れたのが日時を高良総務課長に確かめに行った。すると 「具体的に言う必要はない。わかっているからいいんだ」という答えが返ってきた。部下に罪人という判決を下し、処分まで言い渡しておいて、その理由も明らかにしないというのはいったいどういうことだろう。人権も何もあったものではない。
 仕方なく私は一人で理由に思いを巡らせた。すると一つだけ、思い当たる事柄に行き着いた。ただしその件は、すでに五年も前に解決済みのはずであった。しかし私には、それしか思い当たる節がないのだ。
 七九年のことである。私は役所から二度の職場離脱を注意された。一つは早朝に三階の総務課に移動していたこと。もう一つは隣室のエレベーター乗務員室で仮眠を取っていたことである。
 もちろんこの二つの移動にも理由はあった。総務室に上がっていたのは、仮眠時間中の同僚を起こしたくはなかったからだ。私は当時、唯一自分を庇ってくれたA氏とペアを組んでいた。顔面麻痺にまで追い込まれた頻繁の無言電話。早朝は、このベルが鳴らないわずかな静寂の時だった。だから、私はせめてA氏をゆっくり眠らせてあげたかった。総務室にいればA氏を起こすことなく電話を取ることができる。もともと早朝は私にとっても仮眠時間なのだ。電話を取ることに支障さえなければ問題ないだろう・・・。
 だが、総務課長は私に言った。
 「勤務時間中は、トイレ利用以外では宿直室を一切出るな」。そこで翌日から私は、トイレ以外に部屋を出るのをやめた。七九年八月四日のことである。
 エレベーター乗務員室で仮眠を取ったのも、やはり無言電話が原因だった。たまにはきちんとした仮眠を取らなければ、心身ともにダメになってしまう。そんな危機感から週末一回だけ、A氏と交代で仮眠場所として使用した。薄壁一枚に仕切られた隣室だ。声をあげさえすれば、いつでも宿直室に飛んで来られる場所だった。無言電話のために何らの措置も取られることのない状況で、守ってくれるのは薄い壁一枚だけ。情けないが苦肉の策だった。しかし数週間後、この行為さえも総務係長から日誌で注意を受ける。もちろん私達はその日から隣室の使用を中止した。

■訓告処分で信用失墜

 訓告処分といっても減俸されるわけでもなければ、停職期間があるわけでもない。ただ文章で、注意を受けるだけである。しかし、訓告にまったく意味がないかといえばそうでもない。停職処分などの重い処分が出されるのは、少なくとも過去に一回はこの処分を受た者に対して、という慣例が役所にはあるからだ。つまり文書訓告は、その後に始まる重い処分の予告編なのであった。
 また訓告は、私に対する信用を失墜させるのにも効果的だった。考えてみてほしい。職場では、上司・同僚からの評判が悪く、訓告処分まで受けている人物が、職場の不正を追及し続けている。この状況で私の話をまじめに聞いてくれる議員やマスコミ関係者がどれほどいるだろうか。これだけ大がかりな不正が、現在までほとんど騒がれなかった理由の一端もそこにある。
 このように影響力をもつ処分が、ろくな理由も示されずに決定されたことは、私に心理的な圧迫を与えた。しかし攻撃にうろたえている場合ではなかった。訓告処分を出されたのと同じ日に、さらに職務命令が下されたのである。そして私はとんでもない勤務体制を受け入れぜるを得なくなったのであった。

■従事不可能なら転職しろ

 まず、仮眠時間が五時間から二時間半に短縮された。寝てから二時間半後というのは、睡眠がかなり深い時期にあるため起きるのもつらい。ましてや午前二時半から五時までという常軌を逸した仮眠時間を指定された。こんな時間に体のリズムを合わせられるはずもない。だが私が規則を守れなければ、待っているのは首切りだ。他の職員が午前〇時から七時くらいまで、たっぷりと寝ている間、一二時から二時半など、逆立ちしても仕事のない時間ではあったが、私は睡魔と格闘し続けなければならなかった。
 さらに週に一から二回、事実上の四八時間勤務がまわってきた。このような長期労働と帳尻を合わせるためにつくられたのか、夕方一六時半から二〇時半までという奇妙に短い勤務時間もシフトには並べられていた。たった四時間のために、往復六時間をかけて木更津から通勤することになった。この変則勤務は私の体に打撃を与えた。
  勤務体制を変えられた表向きの理由は、鍼灸師に転職したA氏の退職に伴い、職員三人でローテーションを組むことになったからだという。しかし彼が辞めたのは内部告発をする少し前であり、以後、職務命令が施行される四月一日までの1年4ヶ月あまりは、アルバイトの人を含めた四人で仕事をしていたのである。慌てて三人体制にする必要もないはずだ。
  それだけではない。
-右制度に従事不可能と思ったら転勤等を昭和五九年三月二八日、午後五時までに総務課長事務取扱いまで報告すること-
 職務命令には、右のような文言まで付いていたのである。この冷たい言葉からは、勤務態勢の変更が、どういった意味をもつものであるかが透けて見える。もちろん多くの職員が、口頭でも変則勤務の意義を説明してくれた。当時の私の手帳にその言葉がメモされている。
「この勤務内容が無理と思うならば、学校警備など、似たような職場に移動すればいい。それが嫌なら退職するしかないだろう」(高良総務課長)
「あなたは追いつめられた。助かる道は一つしかない。変則勤務の作成責任者である船場職員課長か高良総務課長に哀れみを乞うことだな」(事務担当・佐々主査)
「あなたは内部告発をした。変則勤務は当然の報いだ」(組合幹部)
「変則勤務は宿直関係者の意見を参考にし、組合とも相談した上での決定であり特に他意はない」(日比区長)
 彼らが言いたいのは、「辞めろ」という一言なのだ。そして、彼らの感情が役所のシステムを動かしたことは、役所をあげての総攻撃が始まったことを意味していた。この後、牙をむきだした組織がどれほど怖いものなのかを、私は身をもって知ることになる。 (■つづく)

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