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ホームレス自らを語る/離婚がすべてを狂わせた・井上宏(五一歳)

■月刊「記録」97年11月号掲載記事

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■頑固な妻に嫌気がさして

 結婚したのは二六歳のとき。そのころ、私は医療写真専門の現像所で働いていて、嫁さんもそこで一緒に働いていた。ただ、同僚たちには「あの女はサゲマンだから」と結婚を反対された。うちの家族にも反対された。嫁さんは小柄で体も弱かったからね。でも、ほれた弱みっていうか、私には魅力的な女だった。
 東京・赤羽にアパート借りて、最初は強引に同棲しちゃったんだよ。結局、二年後に子どもが生まれた。男の子だった。ところが、嫁さんの産後の肥立ちがよくなくて、「田舎に帰りたい」と言い出した。それで、写真の仕事は休職して、一家三人で嫁さんの田舎である徳島に帰った。もちろん、また東京に戻る約束でね。

 ところが、田舎で暮らすうちに嫁さんの体調はすっかりよくなったのに、「もう東京には戻りたくない」と言い出した。それからゴタゴタが始まった。もう毎日「戻る」「戻らない」の繰り返しだった。
 私としては戻るつもりで休職したわけだから譲れなかった。それに、徳島では郵便局の非常勤職員で働いていたが、日当は三〇〇〇円と、小遣いにも足りない額しか稼げず、一家三人なんてとても養っていけない。嫁さんの実家に入って、生活費の面倒はみてもらっていたが、初めのうちは歓迎してくれていた嫁さんの家族も、長くなるに連れていづらい雰囲気を漂わすようになってきた。
 もっとも、嫁さんの気持ちもわからなくもないんだ。生まれたところに帰って親兄弟に囲まれていれば、もう東京にUターンするのは嫌になる。誰だってそうだろう。徳島もいいところだよ。でも、それをいうならば、私には東京こそがふるさとだからね。
 私は、東京に戻るという約束がホゴにされるし、思うように稼げないから当然面白くない。嫁さんは嫁さんで「戻らない」と頑固一徹だから、夫婦ゲンカが日常茶飯事になってくる。いがみ合ってばかりいるうちに愛情なんてものもなくなっていった。もう、嫌気がさして、我慢も限界だった。ついに三二歳のときに別れることになった。

■区役所に住民票がなかった

 私は群馬県に生まれて、二つか三つのとき一家で東京に出てきた。小さいころのことだからよくわからないんだが、どうもおやじの重婚がバレて逃げるようにして出てきたようだ。
 上京してからのおやじは何度か事業を起こしては、そのたびに失敗をして、生計を立てられない生活力のない男だった。その分、母親が男勝りな人で池袋で飲み屋を始めて、それで家計をまかなっていた。ただ、そんなおやじでも子どもの私にはいい父親だった。一緒に遊んだり、スポーツの相手をしてくれた。今でも植木いじりが好きなのも、おやじに教えられた影響なんだよ。

 高校へ入学するとき、住民票を取りに区役所へ行ったら「ない」といわれた。群馬を逃げるようにして出てきたので、住所を移すことができなかったらしい。住民票が取れなくてはどうしようもないので、家庭裁判所で書類を作ってもらって、やっと入学できた。
 高校は都立の普通高校だったが、ちょっと変わっていて、午前部、午後部、それに交替部(夜間)の三部制の学校だった。生徒はその日の都合で、三部のうちのどれかに出席すればいい。定時制高校とは違って、自衛隊員とか、看護婦のような、不規則な仕事をしている人のための四年制高校といったところだね。
 その高校を卒業して、先に話した医療関係の写真を専門に現像する会社に入ったわけだ。もともと写真が好きで、高校生のころもよく夜行列車に乗って、信州に写真を撮りに行ったりしていた。仕事は現像をしたり、引きのばしたり、デュープ(複製)を作ったり、毎日が面白かった。

■子どもは一度も会いに来ない

 嫁さんと別れて、一人で東京に戻ってきたが、もう前の会社には戻れなかった。一応は休職ってことで徳島に行ったけれども、何しろ三年間も放っておいたし、徳島での生活費に困って退職金までもらってしまっていたからね。
 それからは、いろいろやったよ。一〇本の指ではおさまらないんじゃないかな。スーパーや一部上場の工場で働いたこともある。でも、一人だけだとどうしても気力も続かなくて、すぐに我慢できなくなっちゃうんだ。最後は、アスファルトの検査をする仕事だった。辞めたのは九四年かな。

 退職にともなって社員寮からも立ちのかねばならなかったので、母親のアパートの部屋に居候させてもらって、また住み込みで働ける仕事を探した。しかし、この不況でこの年だから、なかなかそんな仕事はない。たまに土木の仕事なんかがあるのだが、今まで経験したことがないのでしり込みしてしまうしね。
 そのうち、母親の部屋代とか面倒をみてくれていたのが腹違いの兄だったこともあって居候もしづらくなってきて、サウナや映画館のオールナイトで過ごすことが多くなった。そのうちに、中に衣類とか保険証なんかが全部入っていたバッグをコインロッカーに入れたまま、何日も放っておいたら処分されてしまった。それで、この新宿西口地下広場に寝泊まりするしかなくなったんだ。
 私は、今でもね、自分が生きていくためのカネは自分で稼ぐのが当然だと思っている。だから、炊き出しとか、ボランティアが配るおにぎりとか、一度ももらったことはない。仕事っていうのは、新聞ででも何でも自分で探すものだと思っている。
 今はね、主に使用済みのテレホンカードを集めて回っている。これが、一枚七円から八円で引き取ってもらえるんだ。ついでに雑誌があれば拾うし、信販カード、電車の定期券なんかでもカネにかえられるから拾っている。そうやって、五、六万円は月に稼いでいる。
 今では「こんな生活も、カネがないんだからしょうがない」というあきらめの境地にある。小屋の住み心地はよくない。ちゃんとした布団の上で生活するのが本当だろう。自分だって好き好んで、こういう暮らしをしているわけじゃない。
 こうなったきっかけは、結局は離婚だったかな。その挫折感のようなものが、何だか、続いているのかなって思うね。自分ではそうは思わないんだけど、みんなにサゲマンとかいわれたところをみると、やはりそうだったのかとも考えるよね。
 ただ、子どもがね。離婚したときには四歳のかわいい盛りで、私にもなついていて、別れるのは本当につらかったよ。考えてみれば私の親も重婚とか離婚をしているんで、これも血なのかなって思う。

 子どもは大切に思っているから、いつか修学旅行などで、子どもが東京に出てきたときには会いにくるかもしれないと思って、再婚はしなかった。子どもが二〇歳になるまでは、結婚しないって自分で決めたんだ。でも、一度も会いには来なかった。今、どうしているのか。うわさも聞かないね。
(九七年九月取材)

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