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ホームレス自らを語る/怠け続けた人生だった・遠藤良一(五九歳)

■月刊「記録」99年2月号掲載記事

           *         *          *

■兄弟全員父違い

 うちは男だけの三人兄弟でしたが、ちょっと複雑でしてね。三人とも父親が違うんですよ。
 私が長男で、一九四〇年に生まれました。生まれてすぐに、父親は陸軍に招集されて中国大陸へ送られたようです。どうせ下っ端の兵隊でしょうがね。それで牡丹江というところで、戦死したらしいです。父親については、それしか知りません。母親が教えてくれませんでしたからね。どんな父親で、どんな仕事をしていた人なのかも全然わからないんですよ。
 母親が再婚して、すぐ下の弟が生まれました。ただ、その再婚した相手の人は、韓国籍の人だったようなんです。戦争中だったこともあって、その人の名は戸籍には載っていません。だから、その弟は母親の私生児ってことになっています。
 そして母親は、その二番目の夫とも別れて、三人目の男と結婚するんです。どういう事情でそうなったのか、私は小さかったし、わかりません。結局、その男が、私の育ての親ってことになります。

■親にだまされて少年院送り

 これが、ひどい親でしてね。定職もなくて、職場を転々と変えてばかりでした。そのうちに、母親とその男の間に子どもができたんです。私にとっては、父親の違う二番目の弟になります。それからは、私達、上の二人の兄弟への、継子いじめが始まりました。いじめに、いじめられましたね。
 そんな義理の父親のいじめと、男を次々に変えるだらしない母親に育てられて、うまく子どもが育つはずありませんよね。小さいころから、親や教師の目を盗んで、怠けることばかり考えている子でした。
 中学を終えて、いったんは就職しましたが、すぐに辞めて、また就職して、すぐに辞める。そんなのを繰り返しているうちに、家でブラブラしていることが多くなって……。今でいう家庭内暴力が始まったんです。自分でも頭がおかしくなったんじゃないかというくらい、ひどい暴れ方でした。母親に殴りかかってけがを負わせる。ナイフで畳をズタズタに切り裂く。障子をメチャクチャにたたき壊す。とにかく、母親への憎悪がすごかったです。
 たまりかねた母親が、警察にでも相談した結果だと思うんですが、国分寺市(東京都)にあった関東医療少年院に入れられました。母親につき添われて入院したんですが、「てんかんを治療する」という口実でした。確かに私には小さいころからてんかんの持病があって、それを直すために、てっきり普通の病院に入院するんだと思っていました。ところが、行った先は少年院だったわけです。二年入ってました。
 少年院を出てからは、もう家には寄りつきません。山谷のドヤ(簡易宿泊所)に泊まって、日雇いで働いたり、ブラブラ遊んで暮らす生活になっていました。二三歳のときには、ドヤで知り合った仲間に誘われて、松戸市(千葉県)にある民家に押し入りました。要するに強盗を働いたのです。仲間四人で、手に手に出刃包丁を持って、深夜の寝込みを襲いました。こわかったです。何しろ初めてのことなんで、すごくこわかった。どうやって逃げ出すのか、そればかりを考えていましたね。
 家人が差し出したカネを仲間の一人がふんだくり、あとは夢中で逃げました。何とか逃げきって、盗み取ったカネを四人で分け合ったのですが、結局、一人当たりの取り分はいくらにもなりませんでした。
 それからは、身を隠すようにして、川崎市(神奈川県)や町田市(東京都)あたりにあった飯場を転々としました。でも、この逃亡生活のほうが、強盗したときよりもずっと苦しくてこわかったですね。飯場を変わるたびに、「自分の手配書が回っているんじゃないか。いつか突然、警察官が踏み込んで来るんじゃないか」と考えてしまうからです。それを心配し始めると夜もオチオチ寝てられないんです。
 とうとう耐えられなくなって、三ヶ月後には警察に自首して出ました。そのときの気持ちは「助かった」というか、「ホッとした」いうか、すごく気持ちが楽になったことを覚えています。裁判で懲役三年の実刑判決が下り、甲府市にある刑務所に入りました。

■弟への無心も手が尽きて

 刑務所を出てからは、ずっと日雇いの土工で働いてきましたが、子どものころからの悪い癖で、仕事は怠けるし、嫌になると黙って辞めちゃう。それの繰り返しでした。ただ、つい最近まではそんないいかげんな仕事ぶりでも、働き口はいくらでもあったんですね。高度経済成長とか、バブル景気とかがあって、私のようなものでも収入を得てやってこられたわけです。
 大阪に一〇年ほど行っていたこともあります。大阪で万博(日本万国博覧会)が開催されていたころで、当時は関西のほうが景気がよくて、日当も高かったんです。よく飛田新地に行って、女を買って遊んだりしました。 女は好きですよ。でも、結婚はしませんでした。手に職があるわけじゃないし、ドヤと飯場をわたり歩いている生活で、結婚なんてできませんよ。アパートだって、これまで一度も借りたことがないんですからね。
 しかし、バブル景気が崩壊するまではいくらでもあった仕事が、最近ではだんだんに減り始めてきました。それでも、九八年の五月までは細々ながらも何とかあったんですがね。例の悪い癖で、その月に黙って飯場を飛び出しちゃったんです。
 ところが、ここからがいつもと様子が違っていました。飛び出してからは仕事はサッパリ、まったくありません。すぐ下の弟に無心して、何とかかんとか食いつないでいましたが、それも尽きましてね。野宿をして暮らすようになりました。
 まだホームレスになりたてで、どうしたらいいのか、よくわからないんですよ。夜は地下広場に行って、みんなが寝ているところに割り込ませてもらっています。飯は、朝にボランティアの人が配ってくれるニギリ飯一個という日が多いです。仕事はないし、これからは寒くなるし、途方に暮れるばかりです。 (■了)

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