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内部告発・豊島区は税金泥棒/第6回 訴訟の裏側・2

■月刊『記録』98年2月号掲載記事

         ※        ※        ※

■不可解な昇給

「もし日比寛道区長の出馬がハッキリしたら、俺も区長選に出て訴訟中の宿直問題をぶつけるよ」
「区長には俺がねじ込んだんだ。区長に立候補して、あなたの政治生命に傷がついてもいいのかってね」
 勝てると思われた住民訴訟を取り下げる数ヶ月前、江畑騎十郎氏はこんな言葉を何度となく口にした。当時、事態を改善しようとしない日比市長に嫌気がさしていた私にとって、江崎氏の言葉はそれほど気にならなかった。しかし訴訟取り下げ後、事態の改善がまったくない状況の中で、この言葉は訴訟に対する私の疑惑を深めていった。
 どうして区長選投票日のわずか20日ほど前に訴訟を取り下げたのか。住民訴訟の道筋をつけてくれた区議と新市長が親しいのは偶然か。どうして江畑氏は日比市長を脅したのか。答えを求めれば求めるほど、見たくない図式が浮かび上がってきた。
 一九八七年四月二六日に行われた豊島区長選は、前助役の加藤一敏氏が当選を果たした。この加藤氏こそ、八二年から八五年まで総務部長を務めた私の上司である。そんな男が居座る区長室に、私を訴訟に導いた区議が足繁く通っている。この事実は少なからず私を落ち込ませた。職員の噂からも、二人が以前から親しい友人であることは疑いようがなかった。
 前区長の立候補を断念させた江畑氏と、新区長と連絡を取り合う区議。詮索するなというほうが無理な話だ。しかも現実を直視すれば、符丁の合う事柄も出てくる。
 区長選から三年以上も前となる内部告発の後、役所の廊下で私を呼び止めた加藤総務部長が、「区議に感謝しなよ」と私に耳打ちしたことがあった。当時は、訳がわからなかったが、訓告処分を言い渡す直前だったことを考えると、加藤氏と区議で私の処遇を話し合ったと考えるのが妥当だろう。
 まだある。
 江畑氏に続いて訴訟の中心的な役割を果たした警備員の昇給だ。なんと加藤新区長に変わった直後、この男性は連続して特別昇給を受けているのである。毎年、一つずつ給与のランクが上がっていくのが一般的なのに、連続して二つも三つもランクが上がったという。給料のランクが一番影響を及ぼすのは、退職金である。特別昇給によって自分の退職金がどれほど跳ね上がったかを、私はこの男性の口から直接聞いた。話しても時効だと思ったのか、私が何も気づかないと思ったのかはわからない。しかし嬉しそうに自慢する彼の言葉に私は耳を疑った。
 考えてみてほしい。
 公務員としてつつがなく生きてきた彼に、いきなり昇級する理由などあるわけない。営業成績が認められる民間企業ではなく、学校警備員なのだ。どうしても新市長の加藤氏との関係を疑わざるを得ない。
 だが彼が活躍した訴訟と加藤氏をまっとうに結びつけても、昇級の理由はみえてこない。なぜならこの訴訟は、常識的には上司としての監督責任を問われてもおかしくないからである。ここでも勘ぐりたくなる環境がそろっている。
 日比市長の任期が切れる三年前、私の内部告発を契機に、加藤氏・江畑氏・区議のもくろみは始まったのではないか。住民訴訟を起こせば、日比市長への強いプレッシャーになることは間違いない。「日比市長に内容証明付きで告発をしていた」と私が弁護士に語ったとき、弁護士が手放しで喜んだ理由も説明つく。
 しかも加藤氏には、別の追い風も吹いていた。私が内部告発をした八四年二月当時から、助役がガンで長期入院したのである。区長から信任の厚かった助役は、元気なら順当にいけば区長になっていたはずだ。その席次が病気によって狂った。そして助役になるのに好都合な役職・総務部長を手にしている加藤氏に順番がめぐってきた。条件が整ったのだ。
 そして何も知らない私は彼らに手を貸し、他人に迷惑までかけてしまった。そのことに胸が痛む。忘れたくても忘れられぬ光景が、胸の奥によみがえるのだ。

■そして助役は死んだ

 八四年三月二七日、私は訓告処分を受けた。その時、助役室で私を待っていたのが、当時の助役だった。入院していた病院から、処分の文章を読むためだけに出勤したという。「五十嵐君が処分を受けるのは、私の責任だ」という言葉を残したという噂を聞いたが、真偽のほどは定かではない。
 しかし彼が命を賭して、私に対面したことは事実だった。
 顔は土色、額には脂汗、手はぶるぶると震え、脚が定まらないのか体は前後に揺れ続ける。そんな助役が、私の訓告処分を絞りだすような声で読み上げるのだ。にもかかわらず同席した総務部長・職員課長・総務課長・職員係長などは、誰も助役に手を貸そうとはしなかった。ただ冷ややかな目つきで、眺めているだけなのである。
 助役の苦行は、それだけにとどまらなかった。病院に帰る地下の駐車場までの道のりが、また彼を痛めつけたのだ。助ける者もなく、エレベーターを降りてから公用車までのわずか数十メートルを、一人壁を伝うように歩いていたという。
 この助役は男気があり、一般職員からも人気が高かったが、このとき助役室に集まった人々は、彼の死によって昇格する人達ばかりだった。だからこそ冷え冷えとした眼差しが助役に注ぎ続けられ、彼を世話しようという人も現れなかったのだろう。
 結局、このセレモニーから二日後、彼は危篤状態に陥り、四月九日に永眠した。
 悲しいことに助役の最後の生命力を奪ったのは私だ。そして、その死が加藤氏や江畑氏を喜ばせることになった。死期を早めたという悔恨が、今でも心のどこかでうずき続けている。
 もし助役が生きていれば、私を取り巻く状況も大幅に改善されていたかもしれないという思いも、心の痛みに拍車をかける。日比市長に近い筋によれば、私からの告発文を受け取った後、「よく調べて善処しろ」と彼は職員に命じたという。しかし調査命令は、加藤氏子飼いの職員によって放っておかれ、手を着けられねままになったと聞く。もしこの助役が市長になれば、放っておかれた調査も再開したかもしれない。

■監視されていた

 そのうえ私の行動は、常に江畑氏に伝わり、誘導されてしまっていたのだ。訴訟への影響を計りたいからと言われ、私は江畑氏に毎日連絡を入れるようにしていたのだ。役所でどんなことがあったのか、どのような人と接触したのか、私は馬鹿正直にこと細かく報告した。私と役所の状況が一挙にわかるこの電話は、江畑氏にとって非常に好都合だったはずだ。
 不当な訓告処分を認めたと思わせる手紙を、全区議に送ってしまったこともある。私の問題を区議会で取り上げてくれたことに対するお礼状が、問題の品だった。下書きを江畑氏が書き終え、「時間がないから、あとは五十嵐さんが書いておいてください」と頼まれたのである。八四年の訓告処分から幾月も経ていない時期、つまり私が最も江畑さんを信頼していた時だっただけに疑いもしなかった。だがそんな無防備さをついて、「私が処分をうけるのは仕方ありませんが」という一文が手紙に入っていたのである。へりくだった表現のようだが、読みようによっては不当な訓告処分を認めたことになる。
 もしかしたら、すべては私の思い込みなのかもしれない。しかし筋を追っていくと、意図的なものを何か感じざるを得ないのだ。あれだけ私の裁判に協力してくれた仲間は、学校警備員の仕事存続が決まり、新市長が誕生すると、蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。何も変わらない状況を残して、また私は独りになっていたのだから……。   (■つづく)

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