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阪神大震災現地ルポ 第6回/仮設住宅は余っている?とんでもない!

■(月刊『記録』95年10月号掲載記事)

 阪神大震災から7ヶ月後の8月20日、神戸市は被災救助法適用を打ち切った。被災住民は避難所から「待機所」に移るように促されている。「震災騒ぎもそろそろ終わり」という雰囲気が、日に日に強くなっている。 だが、4ヶ月ぶりに訪れた神戸では「震災」はまだ続いていた。地震後の困難な状況だけが震災ではない。復興のありようもまた「震災」だ。それは今も続いている。終わったというには、まだ早すぎる。

■8月13日
■行政に「空手形を」 

 早朝の三宮。地震の起きた頃は真冬だったのに、季節だけは否応なしに変化して、真夏の暑い陽射しが容赦なく照りつける。 
 神戸市役所の正面玄関前で、「兵庫県被災者連絡会」の人々が座り込んでいた〈写真〉。市が避難所閉鎖を通告した日からここに陣取り、「たすけてー」と書いた横断幕を立て、署名とカンパ活動を続けている。夜はここに布団を敷いて寝る。河村宗治朗会長(58)は「市は今日まで何もしてこなかった。挙げ句の果てに避難所を閉鎖するというのだから」と、静かな口調で憤りを語る。 
 連絡会は避難所閉鎖の撤回、都市部に仮設住宅など10項目の要求を掲げている。会の一員で、地域住民団体「ネットワーク須磨・長田」の中村年一代表が「これは座り込みと違う。ここで市の回答を待っているのだ」と語り、河村会長が「戦争と同じや、いつも弱い者がいじめられる」と話す。戦争や災害のような極限状態の時、その国や社会の体質が、むき出しになって現れてくる。 
 市庁舎の避難所は2ヶ月ほど前に閉鎖されていた。自分達の足下から先に避難住民を追い立てるのも市の体質だ。住民の一部は中央区役所隣の勤労会館に移っていたが、そこに遠藤義子・美和さん母娘の姿はなかった。抽選に当たらない仮設住宅を諦め、民間アパートに移ったのだろう。その後の行先はわからない。 
 勤労会館の近くに新生田川公演がある。このテント村では小橋千津子さんが暮らしていたが、既に引き払った後だった。公園いっぱいに張られた無数のテントも、いまでは隅の方に数えるほど。小橋さんは新神戸駅近くのマンションに移ったと聞かされた。倒壊した市営新生田川住宅の住民だった彼女らは、公園に立てられる仮設住宅に優先的に入れると話していたが、仮設住宅など見当たらなかった。そもそも市営住宅の入居者が優先的に仮設住宅に入れたのかどうかさえ疑わしい。小橋さん達は、行政に「空手形」をつかまされたのだ。

■カネを出し渋る神戸市 

 この日は私鉄各線が相互の乗り入れる神戸高速鉄道が復旧した。須磨区の西村栄泰さんに会うのも、最寄り駅の山陽電鉄月見山駅から歩いて行けるようになった。ちょうど車庫を改造した「家」から、再建した家に家具を運び終わったばかりのところだった。「7月始めから建て始めた。まだ建具は全部入っていなくて、入り終わるのは盆明けになりそうだ。それでも車庫の中よりはまし。暑い時は室温が50度くらいにはなっていたから」と言う。 
 新しい家は平屋で、まだ気の匂いがする。クーラーも付けたから、やっと過ごしやすくなった。それにしても、半年あまりで住宅を再建したのは、被災地でも早い方だろう。隣家はまだ崩壊したままになっているし、近隣一帯も倒壊家屋が撤去され「荒野」が広がっていた。彼のタフさにはいつも感嘆させられる。 
 むろん西村さんも何の困難もなく自宅を再建できたわけではない。建築費用1100万円プラス証明などの電気機器購入費用が借金として残った。震災対策として神戸市災害復興住宅特別融資制度などがあるが、彼の場合、「神戸市から借りたのは350万円だけ。金利は年3%。元金は5年間据え置きで、後の5年で10回払い」という。彼のように木造住宅を再建する場合の融資限度額は1500万円で、それならば十分な自宅再建資金になるのだが、市は簡単に限度額まで貸さない。神戸市震災復興緊急整備条例定められた重点復興地域内には最大3%の利子補給があるが、須磨区はその対象外だから、利子補給率はわずか0.5%。震災融資の金利は3.7%だから、利子補給を受けて、まあ3%となる。震災対策といっても、実質はこの程度にすぎないのだ。

■大阪が遠く 

 その後、「長田の良さを生かしたまちづくり懇談会」の三谷真さんに会った。懇談会は夏井休み中だった。「毎週の会合は14回続けた前回は区画整理と商業がテーマだった。区画整理に対する皆の理解も進んでいる」と言う。三谷さんは本業が関西大学商学部助教授なので、商業については彼が報告した。長田区の商店街は、住民が街を離れているため、軒並み停滞している。唯一、仮店舗と仮設住宅を1区画に集積させた「復興元気村パラール」が活況を呈している。三谷さんは「これからの長田の商店街は、パラールのようにある程度の集積化を図らなければ、存続は厳しいだろう」と展望している。 
 震災以来、「大阪が遠くに感じるようになった」と三谷さん。「買い物をするのも酒を飲みに行くのも、長田だけで十分足りるとわかった。長田では手に入らないものがある時だけ、三宮に行けばいいので、日常的には長田から出ないでも生活していける」と語った。

■8月14日
■日記を再開
 
 三宮駅北側の商店街「サンキタ通り」。播谷慶和さんは、震災以前はずっとここで働いていた。だから「三宮の生き字引」と言われていた、職場のビルの解体作業はほぼ終わっている。「こうして見ていると、40年前のことを思い出す」と語る様子は少し寂しげだ。勤務先は来年の春頃に再建される予定だが、復職するかどうか決めかねている。やはりこのまま引退しようかとも思っている。 
 播谷さんは日記をつけていた。「仕事のことは決して書かず、何十年と1日も欠かさずにつけていた。ノート何十冊分もあったのだが、倒壊した職場に置いていたために取り出せなかった。それだけが心残り」と言う。いわば自分史だ。かけがえのない記録を失ったが、「また日記をつけることにした。老い先短いからいつまで続くかわからないが、震災1周年ごろから始める」と語った。

■市職員が公安警察のマネを

   夕方から県民会館で、被災者連絡会と神戸市との最後の協議会の場がもたれた。出席した住民はおよそ100人。市は、仮設住宅も十分建てた、災害救助法打ち切りの予定は変えない、待機所の場所はまだ明らかにできない、と説明した。避難所閉鎖期限の20日まで1週間しかないのに、場所は言えないがとにかく移れとは無茶苦茶だ。これでは待機所と言うよりも収容所ではないか。
 河村会長が「20日以降は我々を難民・浮浪者として扱うということ。震災以来、人間扱いされてこなかったが、改めて再認識させられた」と抗議する。住民の間から「人殺し」という怒号が飛び交った。 
 市の説明を聞いていて驚いたのは、被災者が希望すれば誰でも仮設住宅に入れるわけではない、ということだった。仮設住宅の残戸数は1964個。もう新築はない。こに日の時点で避難住民は市内に約1万人。市外に避難した被災者と合わせて5333世帯が応募しても入れないでいるから、実に3369世帯分の仮設住宅が足りない。これに遠藤さんや小林さんのように抽選で外れ続けるあまり応募自体諦めてしまった被災者が加わるから、誰がどう見ても絶対数不足している。都市部はともかく郊外の仮設住宅は余っているといわれていたが、事実は全く違った。 
 この3369以上の世帯を自力で住宅を確保できる。仮設住宅の不要な人たちとして、市が一方的に切り捨ててしまっていることにも驚いた。当たらないから「自力で住宅を確保」したいのであって、必要がなくなったわけではない。遠藤さん、西村さん皆さんそうだ。発想が逆転している。 
 震災直後、貝原俊民県知事は「希望者全員に仮設住宅を提供する」と発言していたのではなかったか。 
 市側が一歩的に協議を打ち切った後も、納得できない住民達が担当者を取り囲んだ。市職員の1人が「痛い、痛い」といいながら自分で勝手に転ぼうとした。公安警察の常套手段だ。それを役人がするというのは、行政が住民達を「ならず者」扱いしていることに他ならない。神戸市はここまで頽廃している。住民達が「手を出したらアカンで!」と互いに抑え合っていることとの落差は大きい。

■8月15日 

 東灘区の田中尚次さんを訪ねてみると、夫人が大阪から戻ってきていた。彼女に会うのは震災直後の1月以来だ。「神戸市は『ええかっこしぃ』だから、国道沿いとか三宮とか、目立つところから優先して直している」と、戻ってみての感想を語る。「神戸は開発ばかりで住みにくい。若い人達もどんどん阪神間(西宮・芦屋など)に移っていく。私達も今回は決心して家を建て直すことにしたが、もし次に住むときは神戸を出ようと思っている」と話す。震災以来、どれほど多くの市民が行政に愛想を尽かしたことだろう。 
 再建までとはいえ、自宅前の仮住まいは単身者用なので、親子4人では狭い。家賃は月13万円。震災後値上がりしたという。それでも「来年の1月ごろには新しい家ができる。そのときはまた見に来てください」と、夫人は元気な様子で話した。 
   この日、被災地では精霊送りが行われていた。

■8月24日

 20日以降も待機所への移転を拒否し、避難所で暮らし続ける人々がまだ数千人いる。その後の状況を尋ねるため、被災者連絡会に電話をかけてみた。河村会長は「私らに何か策があるわけでなし、先の展望があるわけでもない。八方破れの心境や」と語る。絶望の色は濃い。21日付で全国に支援を求めるアピールを出した。「食糧の配給を独自で行っていこうと考えている。市庁舎前の泊まり込みも続けている」と中村さんが語った。 
 市民それぞれが困難を抱えながら、復興は進んでいる。取り残されていく人もいる。今必要なのは、復興ムードを盛り立てることよりも、ここの復興の障害は何で、現況は何なのか、もっと明らかにすることだと思う。(■つづく)

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