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靖国を歩く/第8回 忠義を押しつけられた犬たち(『記録』編集部)

■月刊『記録』02年10月号掲載記事  

      *        *        *

  それは体長1メートルほどのシェパードだった。耳を立て、少し後ろ足を曲げ、しっかりと前方に目を据えたブロンズ像は、どこか緊張感が漂っている。飼い主に見せる甘えた表情ではない。その姿に、軍犬としての悲劇が映り込んでいるように感じた。
  「昭和6年(1931)9月満州事変勃発以降、同20年8月大東亜戦争終結までの間、シェパード犬を主とする軍犬はわが将兵の忠実な戦友として第一線で活躍し、その大半はあるいは敵弾に斃れ、あるいは傷病に死し、終戦時生存していたものも遂に一頭すら故国に還ることがなかった。この軍犬の偉勲を永久に伝え、その忠魂を慰めるため有志相はかり広く浄財を募りこの像を建立した」 
   靖国神社・遊就館そばにある「軍犬慰霊像」には、このような建立の由来が書かれている。
  「軍犬」と聞いても、多くの人には馴染みが薄いだろう。旧日本陸軍が採用した犬を、「軍犬」と呼んだのである。その用途は意外と広い。首に付けられた通信用の筒に文章を入れて手紙を運ぶ。ゲリラや敵兵、仕掛けられた爆弾、負傷兵などの捜索に出動する。歩哨の補助として基地周辺などを警戒する、などなど。 
   実際、軍犬はよく働いたようである。当時、編纂されたいくつかの資料が、その活躍を伝えている。 
   闇に潜伏するゲリラを発見した。敵が待ち受ける前線と後方基地の間を連絡要員として走り抜けた。銃を持つ敵兵に死を恐れず飛びかかった。彼らの英雄伝には事欠かない。もちろん日本陸軍に正式に所属している犬だから勲章制度もあり、彼らが嬉しかったのかはともかく表彰された軍犬も少なくなかったようだ。

■満州事変の活躍で 

   日本の軍犬には、シェパード、ドーベルマン、エアデール・テリアの3種類が使われたが、ほとんどはシェパードだったという。そして日本におけるシェパードの歴史は、日本での軍用犬の発展にピタリと当てはまってくる。 
   もともと牧羊犬としてドイツで飼われていたシェパードが、どうやって日本に渡ってきたのか、正確なことはわかっていない。ただ第一次大戦中、青島を攻略した日本兵がドイツ人捕虜とともに連れ帰り、軍関係者が飼い始めた可能性が高いようだ。その後、ドイツにおける軍用犬の活躍を日本政府が知り、陸軍も試験的な採用に踏み切った。そう、日本におけるシェパードの歴史は、最初から軍と密接に関係していたのである。 
   それでも1920年代後半には、日本シェパード犬倶楽部という趣味の愛犬団体が発足。つかの間、日本のシェパードが戦争の道具としてだけではなく、愛玩動物としてかわいがられる時期を迎えた。しかし、その幸福も長くは続かなかなかった。満州事変の勃発がシェパードの運命を大きく変えていくからだ。 
   満州事変当時、陸軍はおよそ250頭の軍犬を陸軍に配属していた。とはいえ多くの日本人にとって、馴染み深い存在ではなかった。ところが満州事変で、軍犬は一気にスターダムを駆け上がる。金剛と那智、2匹の軍犬のおかげだった。 
   1931年9月18日、関東軍は奉天郊外の柳条湖で満鉄線路をみずから爆破する。いわゆる柳条湖事件である。これを中国軍のしわざだとして、関東軍は、奉天における張学良軍の本拠を攻撃、満鉄沿線の主要都市を一斉に占領した。このときに陸軍の先頭をきって敵陣に飛び込んでいったのが、先述の2頭だった。 
   激戦の爪痕を残した戦場が朝日に照らされると、噛みきった敵兵の服をくわえたまま息絶えた金剛と、何発もの銃弾を浴び、無数の刀傷を負って冷たくなていた那智が横たわっていたという。 
   金剛と那智の2頭の実績により、犬の軍事利用は拡大していった。軍用に適した犬をペットで飼うなどもってのほか、といった意見も国内で強まっていき、満州事変の翌年には陸軍省に認可された社団法人帝国軍用犬協会への発足につながっていく。 
   その当時、シェパードの繁殖団体として、ようやく力を付けてきた日本シェパード犬倶楽部は陸軍からの圧力に抵抗し続けるわけにもいかず、軍犬の資源供給に協力する道を選ぶ。愛玩動物としてのシェパードの歴史は、わずか数年で先細ったといえるだろう。 
   1934年にはシェパードの犬籍登録や血統書の発行を行う社団法人日本シエパード犬協会が発足し、軍事目的以外のシェパードも飼育していたようだが、帝国軍用犬協会とは所有していた数が違った。終戦時、軍用犬協会が約6万匹、日本シエパード犬協会の犬は1万頭そこそこだったというから、その違いは明らかだろう。 
   ちなみに軍犬の生産と教育に力を注いだ社団法人帝国軍用犬協会は、終戦とともに自然解散となった。しかし組織は社団法人日本警察犬協会に引き継がれ、現在、警察犬の訓練に担当している。「さもありなん」と考えるのは、私だけではあるまい。 

■軍国主義のスターとして 

   不平すら言えない犬が命を賭けて戦場に飛び出していく軍犬の姿は、軍国教育の材料としても脚光を浴びた。金剛と那智の話は国定教科書にも掲載された。神戸の軍犬学校は、軍犬の活躍を描いた戦意高揚の紙芝居を、いくつも作製している。『戦線に吠えろ軍犬』、『菊水号と兵隊』など、軍犬の忠誠心を愛国心として描いたものが中心だ。 
   ちなみに『菊水号と兵隊』のラスト近くには、「もの言わぬ犬でも、よく教えられた事を忘れず御国の為に立派な手柄をたてました」と書かれている。飼い主の命令に背かないように訓練された犬を、「御国の為」に闘ったと言い切る。これもまた、戦争の一面といえよう。 
   じつは軍犬を使った宣伝と時を同じくして、もう1匹のスターが渋谷で誕生している。そう、忠犬ハチ公だ。 
   ハチの飼い主だった上野英三郎博士(東京帝大教授)の死去は、1925年。ここからハチの渋谷駅通いが始まる。31年には、金剛と那智をスターにした満州事変が勃発。そして33年、東京上野で開催された犬の展覧会において、ハチの人気に火がついたという。翌年始めには、忠犬ハチ公の銅像を造るため、全国各地から募金が集められ始め、同年4月には渋谷駅に銅像が完成している。35年、ハチはフィラリアで死亡したものの人気は衰えることなく、翌年には尋常小学校の教科書に「恩ヲ忘レルナ」という題名でハチ公の話が掲載された。 
   ただ、ご存じかもしれないが、ハチが上野博士の帰りを待つために、渋谷へと通っていたのかどうかは怪しい。駅前にあった焼鳥屋の主人がハチをかわいがり、焼き鳥に目のなかったハチが通い続けたという説もあるからだ。 
   しかしハチ公を利用したかった軍部にとって、そんな事実などどうでもよかったのだ。飼い主が死んでも「恩ヲ忘レル」ことのない忠誠心こそ、軍部が国民に訴えたいことだったのだから。 
   もちろん軍部が国民に強要した忠誠心は、決して報われることはない。戦時中、軍犬の多くは民間人が育て、軍部が徴用することが多かった。出征することが決まっていたとしても、家族同然になってしまうのが犬である。『朝日新聞』などの投書によれば、戦地に赴く犬とともに、出征祈願祭などを行い、犬と一緒に家族で写真を撮った人などもいたという。 
   しかし戦争の道具としてしか犬を見ていなかった軍部は、彼らがどうなったのかを飼育者に知らせることなど、ほとんどなかったようだ。そして「軍犬慰霊像」に書かれていた通り、たとえ生き残ったとしても、軍の撤退の際には現地に取り残されたのである。あれほど軍部が宣伝した軍犬の忠誠心も、こうなれば哀れなものである。

■犬が人の内蔵を……  

   さて、ここまでは軍犬のいわば表の歴史である。ところが軍隊に所属する犬には、敵に見せる顔を持つ。それが軍犬の裏の顔だ。
  「生存者は次々と虐屠殺(殺の意味)された。男性を木に縛りつけ、軍犬が内臓も食いちぎっていた。妊婦を裸にして銃剣で腹を刺し、胎児をねじり出した。赤子を火に投げ入れた――。この目で見たことだ」(『毎日新聞』1998年5月17日) 
   この証言をした李徳祥さんは、中国の河北省のある村で抗日軍の民兵をしていたという。1942年5月に彼の村は包囲され、このような惨劇を目撃することになったのだった。忠実な軍犬は、ここでも大活躍したようだ。犬を戦争に使う現実とは、こういうことなのである。 
   ただし軍犬の忠誠心が、日本兵以上に強かったことだけは確かなようだ。『日本兵捕虜は何をしゃべったか』(文春新書)よれば、アメリカ軍に捕まった日本兵は、捕虜としての待遇の良さに驚き、捕まって1~2日たつと厚遇に報いるため実に従順に話したという。 
   ところが敗戦によって国民党軍の「捕虜」になった8頭の軍犬は、捕虜となった日本軍兵士の捕虜より良い食事を与えたりしたが、反抗的で日本語の命令以外聞こうともしなかったという。それどころか中国人の訓練員が銃を手放した途端飛びかかってきたのである。結局、中国側は軍犬の再訓練をあきらて彼らを食べてしまったそうだ(『毎日新聞』1993年1月17日) 
   軍犬もまた犠牲者だった。(逆らう意志を奪われてたい犬を加害者とはいえまい)敵を殺すために教育された人生は、楽しいものだはなかろう。 
   このような悲惨な事実を語り継ぐためであり、軍犬を慰霊するためなら、シェパードの銅像もよかろう。それならせめて軍犬らしい姿ではなく、飼い主に甘えている顔にしてあげたかった。せっかく動物愛護の日に建てたのだし……。  (■つづく)

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