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鎌田慧の現代を斬る/いじめを支える学校と地域社会

■月刊「記録」1997年4月号掲載記事
 (表記は掲載当時のままです)

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■愚劣な学校

 続発するいじめ事件への学校側や教育委員会の対応は、ハンで押したように同じで、まったく変わっていない。これは驚くべきことである。それどころか、いじめ自殺が増えることにより、最近では学校側がさほどショックを感じていないようにもみえる。慣れが始まり、いじめ自殺についての対応がパターン化する異常が、日常となっているようだ。何ら解決に至っていないのである。このことに私は大きな危惧を感じている。
 最近では、長野県須坂市に住む中学1年生の前島優作君が自殺した。事件は、今年1月7日に起こり、当初は本人の名前が伏せられていた。しかし学校側の対応が悪いために、家族が息子の実名と遺書のメモを公開するにいたった。
 この事件も、過去の事件とまったく同じパターンである。中学校や小学校でいじめ自殺が明らかになると、学校側はたちどころに「いじめはなかった」と発表する。それに対し家族側は調査を依頼するのだが、学校側は常にいじめはなかったと発表し、自己防衛のみに奔走する。結局、このような学校側の対応に不満を抱いた遺族は、いじめられたことを示す遺書を公開することになる。こうなると学校側もいじめの事実そのものは認めざるを得なくなるが、今度はいじめには気づかなかったと、ひたすら責任を回避しようとするのである。
 私は『せめてあのとき一言でも』(草思社)で、いじめ自殺で子どもを亡くした遺族の聞き取りを行ったが、学校側と遺族の間で、嫌になるほど同じような対応が繰り返されている。
 この長野県須坂市の場合も、事故調査報告書を作ったのは事件後の10日も経ってからであり、対応は著しく遅れていた。この点だけ取り上げてみても、学校側が誠意ある対応をしたとは、とても思えない。
 遺族が学校側に、いじめの問題を調査してほしいと要請するのは、たんに学校側と争いたいためではない。わが子が死に至るまで、学校でどのような生活をしていたのか知りたい一心である。自分の子どもがどうして自殺しなければならなかったのか、親自身が知らなければ気持ちが落ち着かないからだ。
 そもそも、親にとって、子どもに先立たれるほど不幸なことはない。どんな親でも、子どもよりは先に死にたいと思っているはずである。その順番が逆になるだけでも不幸なのに、死が自殺ともなれば、親は自分の力が及ばなかった無力感を抱くことになる。それだけに親が子どもの最後の姿を知りたいと思うのは当然である。そういった親の願いに対し、学校や教育委員会がまったく人間的に対応していない事実は、学校や教育委員会が愚劣な行政機関となって、人間の心を失っていることをあらわしている。
 いまや学校および教育委員会は、完全なる行政機関になったというほかはない。学校はすでに「学ぶ場」というよりも「教えられる場」という形態になり、さまざまな強制力が子どもに向けられている。強制力を強めることによって、教師と生徒の関係も変わった。子どもたちが学びながら自分を高め、教師は子どもとのふれあいを通して人間としての仕事をまっとうするという両者の関係が剥奪されてしまったのだ。その一方で、国は教育のすべてを取り仕切るという強い意志をあらわしている。文部省や自民党などが強要する日の丸・君が代の実行は、そのサイたるものだ。

■いじめの地域的拡大

 問題はそれだけではない。『せめてあのとき一言でも』でもふれたことだが、いじめ自殺など学校内で事件が発生すると、奇妙なことに被害者の立場にある遺族が地域から孤立させられ、いじめられることが多い。最近では、都会の東久留米市(東京)という都会でも発生していた。
 この事件は、教師から体罰を受けた東京女子中学生が、東京都や市を訴えた事件である。昨年9月、被害者の家族は勝訴したが、一部の父母達が全校保護者会をひらき、なんと体罰で訴えられた教師を養護する署名運動を始めたものである。そればかりか、この遺族のもとには「バカ家族」「市民をなめるな」「おまえの娘は不良だ」などの匿名のいやがらせ電話が殺到したり、注文もしないのにすしや肉が届けられたという。
 また、96年1月23日にいじめを苦に自殺した福岡県の大沢秀猛君の場合も、初七日にPTA総会が開かれ、家族がまったく孤立化させられた。このときは、公然と教師の体罰をもとめる父母の声があった、という。
 このような地域ぐるみの嫌がらせは、いじめ自殺したほうが悪いと主張する価値観と、まったく同じである。学校を批判する者に対して攻撃なのだ。これらのことは、学校がいじめ自殺の加害者であることの証拠でもある。いじめ自殺の遺族が地域から孤立させられ、批判されるのは、弱い者や異端者を排除していくいじめの構造の地域的な拡大といえる。
 地域住民は、いじめ事件にかかわると受験勉強が遅れるというような、きわめて狭いエゴイズムに貫かれている。これは、いじめられて死んだ子どもなんかにかまっていられないという、どう猛な強者の論理が働いているのであり、弱い者は踏みつけ、強い者だけがのし上がっていこうとする現在の日本を象徴的にあらわしている。
■一人歩きするスローガン

 学校が決してホンネを語らないタテマエ社会であると、私はかねてから強く指摘してきた。たとえば福岡県筑紫郡珂川町の小学校で発生した事件などは、その典型だ。
 この事件は、普通学級に通う知的障害児が、同級生からトイレ掃除用のブラシなどをなめさせられていた、というものだ。いじめていた子ども達は、「先生は人間平等というが、障害児だけ特別扱いして自分だけしかる。同じにしてほしい」という不満を持っていたという。
 障害者を普通学級に入れる行為は現在の教育状況ではきわめて進んだ方法である。がしかし、教師の指導がまったくタテマエ的であったことがうかがえる。小学生たちに、ごく自然に障害者をささえるような教育がいきわたらず、教師が障害者をただ保護する姿勢に不満が表れたのだと思う。障害者の障害をきちんと説明し、それでなおかつ健常者と障害者がともに学んでいくことの意味を、教師や学校がどれだけ子ども達と話し合っていたかが問われている。ところが実際には、部落差別をなくそうと教える教師が、子どもと向かい合っている現場では、学歴社会に応じた差別的な教育をしていたりする。
 差別やいじめは、学校やクラスそのものの体質を変えていかなくては解決していかないのに、スローガンだけが先行している。
 たとえば、親や教師は子どもに対して「みんなと仲良くしろ」というのであるが、これはきわめて空疎なスローガンである。人間がみんなと仲良くできることなどありえない。みんなと仲良くしろという教えは、みんなと仲良くできないものにもストレスをあたえる。
 大人自身も、仲良くしている友人はごく少数でしかないのだ。しかし、子どもには「みんなと仲良くしろ」と強制する。やはり「ちがう人の意見を聞きなさい」とか、「友達は少数でもよいが仲間をいじめるな」というように、ごく自然の人間関係を教えるべきであろう。
 いじめにかんしても同じことがいえる。学校でいじめはあってはならないというスローガンがまかり通っているために、いじめの発生を見たがらない傾向を生み出している。いじめがあってはならないということは、いじめがあっても、いじめとして認めないという行為につながる。しかし、現実にいじめはどこにでもあるのだから、それを認めて、少しでも早く発見し、解決するように発想を転換すべきである。
 本来、人間の心とかかわりあうはずの教育は、ドグマ化した「教育的スローガン」によって崩壊してしまった。教育が人間社会とかけ離れた怪物となって一人歩きしている。このような事態をつくりだしてきた責任は文部省に大きいが、それに迎合してきた現場の責任者(教育長、校長など)にもある。

■いじめをつくる教育方針

 学校は「みんな」というのが多すぎる社会である。みんなとおなじ、という教えが強いために、少しでもそこから外れたものがいじめられる。
 たとえば、「一致団結」や「みんなと仲良く」というスローガン、さらに同じ制服・頭髪・登校用のヘルメットなど、子どもたちの世界を一色に塗りつぶしてきたのは、学校や教育委員会の責任である。ちがいを排除し、管理や権力に迎合することを強制してきた。
 いじめとは強い者が弱い者に向ける排除であり、弱い者が強い者にみせる迎合である。それは価値観を同じにするという教育方針が、土俵となっている。
 いじめられた家族が、地域でいかに孤立していたについては、先にもふれた福岡県に住む大沢秀猛君の父親・大沢秀明さんが、裁判所の意見陳述でこう述べている。 「私のところは、秀猛の3人の兄も含めて従業員25人の自営業でした。原因究明をしない学校の態度が悔しくて、私が学校にかかりきりになり、ほとんど工場に行かないので、早く工場に来てくれと悲鳴をあげていました。秀猛のことを思うと仕事が手につかない日が何ヶ月も続きました。そのため、秀猛が自殺して6ヶ月後に会社は倒産しました。
 地域では、事件直後から『生徒を警察に売るな』との声が教育関係者を中心に根強くありました。その背景には、発覚ずみの加害生徒は速やかに警察に渡し、他の生徒を無関係とすることで、本件『いじめ』を加審生徒と私共との家庭問題にすり替えて、学校の立場を保つというという考えがあります。その結果、今、城島中学校の地区では、家庭の問題で死んだのに、学校の責任にすり替えているという噂がまかり通っています。
 私は、秀猛がどんな学校生活を送っていたのか、何が死へと追いつめたのか、真実を知りたくてこの裁判を起こしました。学校に、臭いモノにフタ式の秘密主義を改め、秀猛がどんないじめを受けていたのか、すべてを明らかにして欲しいと思います。そして、そうすることが、学校からいじめをなくす第一歩だと思うのです」。
 大沢さんが言うように、学校は「臭いものにはフタ式の秘密主義」におちいっている、かねてから「教室の密室化」は指摘されていたが、状況はさらに悪化している。「学校は神聖なものである」というイメージに縛られ、一般社会とのちがいが極度に強調されてきた。それでいながら、企業社会の価値観に合わせられてきたのは大きな矛盾である。
 いま必要なのは「学校はなんでもない」という価値観だ。価値観の転換により、学校でのできごとがすべてあきらかにされ、学校側が保護者とともに率直に語り合い、学校は子どもたちのためにある、ということを確認してこそ、学校本来の道が開けてくる。
 そのためには、学校教育のどん底でうめいている大沢さんのような人たちの悲痛な訴えに耳を傾け、それに寄り添うかたちで学校を再生するしかない。
 いじめの暴力にたいして、学校の壁はますます厚くなり、むしろ父母にむかって敵対するようなかたちとなっている。本当に子どものための教育を目指すのなら、その壁をどう開いていくのかが、いま問われている。 (■談)

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