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もう一度バブルに踊ろう/第5回 マハラジャで見る盆踊りの夢

■月刊「記録」04年6月号掲載記事

         *        *         *

 どうやら巷では、80年代&ディスコがブームのようだ。
 昨年夏にはオリコンのアルバムヒットチャートのトップ50に、ディスコの名曲を集めたアルバムが3作品も入ったという。1979~80年の1年余り開業していた伝説のディスコ・キサナドゥが02年4月から青山で再オープンし、84~97年まで営業していたマハラジャ東京も昨年8月から再び店を開けた。ついでに、この連載が始まったのも今年1月である(いつも通りのこじつけですね、はい)。
 『記録』にしては珍しく流行を捕まえたか!?
 せっかくである。偶然とはいえブームに乗ったのだから降りるわけにもいくまい。で、見てきましたともマハラジャ東京。
 80年代後半、一世を風靡したマハラジャは入場が難しいことで知られていた。ジーンズなどの軽装はもちろん、入り口に立つ店員の「黒服」にダサイと判断されたら入れてもらえず、男だけのグループもダメ。女性グループを入り口付近でナンパして入場しようとする輩まで現れたのだ。当時もダサかった私は、入り口を眺めただけで満足したものである。
 そのうえ私は、15年たってもマハラジャ向きではない。毎日ジーンズで出勤しているため、スーツなんぞほとんど持っておらず、ダサイのも相変わらず。少し変わったのは、腹に脂肪が付いたことぐらいだ。それでもスーツは、取材用があるからよい。困ったのは同伴の女性だ。編集部の若いアルバイトに命令して付いてきてもらっても、客層が30~40代だから連れが店内で浮いてしまう。仕方ない。大学時代からの旧友にお願いしました。ご飯をご馳走する約束まで付けて……。
 と、ここまで気合い入れて六本木へとでかけたのに、マハラジャの敷居の低いこと、低いこと。店のあるビルには居酒屋やカラオケボックスが営業しており、肝心の入り口もほとんどフリーパス。しかも客がほとんどいない。私たちを含めて、わずか7人である。
「いやー、月曜日、火曜日は特にお客様が少ないんです。週末は2回転ぐらいするほど混むんですが」と黒服は言った。たしかに週の頭から遊ぶ元気など、30~40代にはありません!
 黒と金を基調にした内装は全盛期の面影を残し、お約束のマハラジャの象徴「金色の象」も置かれ、ミラーボールも回っている。しかし人のいない金ぴかディスコは、空いている遊園地と同じ。寂しさが漂ってしまう。フロアでは20代中盤とおぼしき2人の女性がパラパラを踊っていたが、とても一緒に踊る気にはなれない。
 仕方なく、私たちの隣の席でどんよりとした眼でフロアを眺めていた3人組女性の1人に声を掛けてみた。
  「私たちは7時半から来ているんですよ。入ったのは、一番で。しばらく踊っていたんですけど疲れちゃって」
 なるほど30代中盤、ほぼ同年代と思われる女性の顔には、色濃い疲労が見て取れる。
  「店が復活してから来たのは初めてです。若いときも、そんなに頻繁に来ていたわけじゃありませんよ。でも、昔はカッコイイ男の人もいたし、入り口で一緒に入っていただけませんか? なんて声を掛けられたりして楽しかったですよね。黒服の人も素敵だったし。まさか女の子5人しかいないなんて……」
 そりゃ、暗くもなるってもんです。このときすでに午後9時半。2時間いて入ってきた男は、私1人なのだから。
 ――失礼ですがおいくつですか?――とたずねると、彼女はブンブン手を振り、笑いながら「マハラジャの全盛期を知っている世代ですよ」とだけ答えてくれた。
 しかし改めて店内を見回すと、どうしてバブル当時、あそこまでマハラジャが流行ったのかと不思議に思えてくる。金ぴかで悪趣味な内装。オスカルの衣装かと見まがうような、赤の生地に金ボタンのたくさんついた「黒服」の制服。話もできないほどうるさい音楽。
 キャンペーン中だったため無料で入場したという3人組の1人も、「もう来ないかも」と呟いていた。3500円も支払った私などは、「もう絶対に足を踏み入れまい」と誓ってしまった。

■黒服が「特別意識」をくすぐる

 人が少なかったのを差し引いても、当時の熱狂はまさにバブルマジックである。ただし男がディスコに夢中になった理由は説明の必要さえない。女だ。
 89~90年にかけてディスコで遊んでいた川久保良幸さん(37)は、「ディスコの目的は出逢いでしょう」と単刀直入に語ってくれた。
  「うまく(女性を)つかまえられるときもあれば、ダメなときもあったよ。でも、女の子も期待してたんじゃない。今よりガードは堅いかもしれないけれど、とりあえず話は聞いてくれたからね」
 ところが女性に当時の話を聞くと、様相は若干変わってくる。やはりバブル期にディスコでよく遊んでいたという山口美由紀さん(39)は、「男は風景の一部だった」と、当時を思い出してくれた。
  「かわいい女の子とつるむために、ディスコに行ってたような気がする。ナンパもされたけれど、ついて行くこともなかったし。でも、ディスコの男の子って、キラキラしてみえたのよね。よく見るとブサイクだったりするんだけど(笑) ディズニーランドと似ているかな。ドレスアップして、別世界にいるのが楽しかったんだ」
 84年頃、高校3年のとき友達に誘われて六本木のディスコに通ったという好川あずささん(38)の思いも、山口さんと近い。
  「どうして、こんなところに誘うんだろうと思っていたけれど、行くこと自体が『あー大人じゃん』って感じてた。大人への通過点ですかね」
 2人の女性のディスコに来る目的は、踊りでも、男でもない。ドレスアップしないと来られない、あるいは大人じゃないと楽しめない、少し背伸びできる空間だった。
 じつはディスコ経営者の狙いも、こうしたところにある。マハラジャをつくった会社の社長である菅野諒氏は、『ザ・ビッグマン』という雑誌で次のように語っている。
  「日本人はみんな新貴族階級になりたいと思っているんです。その特別意識をくすぐるのがマハラジャ・コンセプトです」
 日常生活で遭遇することのない豪華な内装デザインも、入り口での服装チェックも、「特別意識」を育てるための仕掛けらしい。また、この戦略はバブル経済によって自分を中心に世界が回っていると感じている人々に共感を持って迎えられた。一方で、そうしたコンセプトは、しだいに客を遠のかせる要因ともなっていく。
  『ジュリアナのお約束』(パラス出版)という本では、マハラジャやエリア、シパンゴなどバブル期に栄えたディスコの末期症状を、次のように書いている。
「バブル時代の絶頂期、アブク銭をつかんだバブルオヤジが金で買えないものはないって感じで黒服とつるみ始めた。金のない黒服にチップをはずみまくって、VIPを取っては、黒服に女の子を連れて来てもらっていた」
  「特別意識をくすぐるため」に使われた黒服は、入り口でのチェックやVIPの認定などの仕事によって、自らが特権階級となり、その構造をバブル成金が利用しちゃったというわけだ。
 こうした状況だったから、バブルの終焉が近づくととともにディスコは減少した。85年に59店あったディスコは、88年には69店、さらに90年には88店舗と年々増え続けた。しかし91年81店と一気に減少に転じている。92年には、カラオケボックスやレストランにくら替えする店も多くなり、元気なディスコはお立ち台で有名になったジュリアナ東京だけという状況にまで落ち込んだ。
 では、どうして同じディスコのジュリアナ東京が、それだけ人気を誇っていたのだろうか? その理由の先述の『ジュリアナのお約束』では、「ゴールド(※筆者注:90年芝浦にできたディスコ)では日常の中の非日常を演習しようとしているが、ジュリアナはあくまで日常の遊び場を追及」と説明している。
 黒服が特権を持つことも、客に特別意識を持たせることもなくなった。その結果、客層は若くなり、露出もナンパもよりオープンになっていったのである。
 では、この「特別意識」くすぐりだけが、バブル期のディスコを盛り上げたのだろうか? いやいや、それはちょっと違うようだ。
 じつはバブル期とその前後のディスコと比べると、面白いことがわかってくる。
 現在39歳で高校1年から六本木のキサナドゥなど、いわゆるサーファー系と呼ばれるディスコに週2~3回通っていた柏原知恵さんは言う。
「憧れのすべてがディスコにあったんですよ。ファッションも音楽も人も。ディスコには、慶應や聖心女子大の学生、広告代理店や商社のサラリーマンが来ていましたね。当時のスーツが格好よくなかったので、サラリーマンは私服でした。みんな素敵な人たちでした。常連同士がみんな知り合いで、今でも連絡を取っている友達もいます。ディスコを出て、朝までキャンティーで飲んでたりするのも楽しかったな。
 バブルになってからのディスコは、ドレスコード(服装チェック基準)がどんどん高くなっていったんですよ。私の好きなファッションでもなくなって、付き合いで行くことはあっても、なんか違うと思ってました」
 一方、現在35歳でバブル期に、ディスコではなくクラブのはしりに通っていた飯田久子さんは、ディスコとクラブの違いを次のように説明してくれた。
  「クラブの方が服装も自由だし、何より音楽の種類が違うの。踊ることより、音楽にこだわっているというか。ディスコは、『みんなで同じ格好して、同じ振りで踊りましょう』って感じでしょ。あー、国民的な盛り上がりだなと思ったもん。もちろんイベントとかでディスコに行くときは、私もボディコン着たけどね」
 バブル前の六本木のディスコは、たしかに服装チェックはなかったかもしれない。しかし逆にファッションや会話も含めて、ある種の基準に達しなければ遊べない場でもあった。イタリア料理の名店として名高いキャンティーで朝まで飲むなど、それなりに遊んでない人には居心地が悪いに違いない。
 つまり服装チェックを設けることによって、マハラジャは「特権」を庶民に開放したのである。服さえ着れば仲間になれるなら、同じ服を買えばいいのだから。
 そうした雰囲気を、飯田さんは「国民的」と感じたのだろう。ディスコ崩壊後、音楽の趣向によって細分化されたクラブが全盛となり、ファッションや振り付けが決まっていたディスコは衰退していく。一方で、経済も横並びの年功序列が崩壊した。つまりバブル期は、集団が一緒に同じ夢を見られた最後の時期だったといえる。企業を村社会に、ディスコを盆踊りに例えると、当時の雰囲気がよく伝わるかもしれない。そして上京した元ディスコキングやクィーンは、村の盆踊りのために里帰りするのである。  (■つづく)

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