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だいじょうぶよ・神山眞/第2回  ものすごいものの担当

■月刊「記録」1999年9月号掲載記事

*       *         *

 N学園のそれぞれの部屋には、聖書になにかしら関連した名称がつけられている。シロアム、カナン、ダビデ、シナイ……。築八〇年は経っていると思われる廊下は、ぼくが歩くたびにミシミシ鳴った。通りすがりに各部屋をのぞくと、昼食を終えたばかりの子ども達がどの部屋でものんびりくつろいでいる。
 テレビを見る子、マンガを読む子、ゲームをする子。彼らの姿は、一般家庭のそれとなんら変わらない。ただ、どの部屋からもトイレの臭い、汗の臭い、何のものだかわからない奇妙な臭いなど、独特の臭いが漂ってくる。

■新しいぼくの担当児童

  「シオン」に入ると、すでに四名の子どもがそれぞれ思い思いの格好で待機していた。周囲には、何故か興味津々といった面もちの保母が二名いる。
  「え~っ、紹介しますね? 左から児玉、小島、岡田。この三名は高校生です」
 主任のしゃべり方のトーンが先程とはうって変わって、わざとらしいユーモラスなものに変化した。案の定、高校生三人も「またかよ」といった顔つきで、主任を見上げて含み笑いをしている。冷めているのか、疲れているのか、高校生三人は、それ以外に反応らしい反応もせずに、挨拶を済ますとさっさと部屋を出ていった。
 主任は、残りの一名を指さした。
  「神山センセ、彼が実里と。ほ~ら、頭がよさそうでしょ?  実里は中学生です」
 けれど実里は挨拶をしなかった。いや、挨拶しないどころじゃなかった。口とズボンのチャックを半開きにしたままボーッとぼくの顔を見ている。心なしか異臭も放っているように思える。
 なんだ? 挨拶したくないのか? 挨拶を知らないのか? 知的障害者か? ダウン症児か? 精薄か? ぼくの頭の中をたくさんのクエスチョンマークがよぎった。ふと隣を見ると主任が大げさに困った顔をつくり、その表情をわかりやすく周りにアピールしていた。二名の保母は、実里に「挨拶しろ」という合図を盛んに送っている。だが、この少年にとっては周囲の人間も彼らの気持ちも関係がなさそうだった。間が抜けたように時間だけが流れる。そして、この瞬間こそが、ぼくと正利のファーストコンタクトだったのだ。
  「ほら、正利。挨拶しなさい。新しいパパよ」
 いつまでたっても挨拶しようとしない正利に業を煮やしたのか、主任は隣にいた一二〇キロはありそうな巨大な保母に助けを求めた。保母が冗談交じりに正利に挨拶を促すと、彼は全身をくねくねさせたあとにベコッと頭を下げた。頭を下げる瞬間、厚ぼったい半開きの唇がゆっくりと動き、同時にものすごい速さで右手が右斜め上空に伸びあがった。髪型といい、だぶだぶの服といい、全身の動作といい、体が左右対称ではないのではと思わせるほど、正利の動きはアンバランスなものなのだ。そして、そのアンバランスさをユーモアにつなぎ止めているのが、笑うとカモメみたいな形になる「つながり眉毛」だ。
  「とにかく、ものすごいものの担当になってしまった」
 これがぼくの正利に対する第一印象だった。
  挨拶を終えると、ぼくは主任に執務室という部屋に連れて行かれた。机とテレビ、それに大きなベッドが置かれている六畳ほどの部屋だ。本来は、職員が日誌をつけたり子ども面談をするための場所らしいが、なぜか三人の子どもがベッドの上に寝そべってテレビを観ていた。  「ほら、どきなさい。テレビは居間で見なさい」主任に注意されて、彼らはしぶしぶ立ち上がった。彼らはぼくをみつけるとニッコリ微笑みかけ、よろしくとか あとで部屋に遊びにおいでとか声をかけていく。なんだか先輩みたいだった。ここにもぼくが望んでいた暗く絶望的な子どもはいなかった。そういえばさっきから、まだ不幸な子どもに一人も出会っていなかった。ものすごいのには一人、出会ったけれど……。
  「どの子どもも親の事情でここに来ています。どんな事情だか、神山先生わかりますか?」主任からの簡単なレクチャーが始まった。
  「両親が死んでしまったんですね?」とぼく。
  「違います。昔はそういうパターンが非常に多かったんですけどね。それは、ず~っと昔の話です。ほら、震災孤児とかって聞いたことあるでしょ?」
  「はぁ」
  「今はほとんどの子どもには親がちゃんといるんです。いるのだけれども離婚、失踪、虐待、犯罪などの複雑な事情で親は子どもを手放してしまうんです」
   「はぁ」
 いままで見せられてきた、アットホームで学校の休み時間のようにも見える光景と、主任の話とがなかなか一致してこなかった。ここの子ども達は、学校にまともに行っていなかったので他の児童よりも学力が劣るらしいのだ。だから勉強をみてやってください。虐待に遭っていた子どもは発育が遅いことが多いので一緒に運動をしてください。そんな主任の話が実感のないまま耳に届く。
 レクチャーが終わって、ぼくはやっと解放された。少し気疲れしたぼくは、外の空気を吸いたいと思った。中庭へのドアに近づいたところで、舌足らずなのか舌が長すぎるのかわからないが、とにかく何を言っているのかさっぱり聞き取れない少年の声が聞こえてきた。
 ドアを明けると正利が叫んでいた。低学年の小学生ばかりを周りに集め、バスケットボールを手に何かを訴えているようだった。しかし、他のメンバーには全く理解されていないようで、しばらくすると、業を煮やしてついに正利は叫んだ。
  「よぉーし、おれについてこぉい!」
 その言葉を合図に、唐突にバスケットボールは開始された。小学校一、二年生を相手に、身長一七〇センチを越える中学二年生の正利が、次々とゴールにダンクシュートを決めている。
  「正利くーん、ダンクなしにしてよー」と、哀願する小学生達の声には耳を貸そうともしない。ただ、嬉々として自分のためだけにバスケットをしているのだ。その姿はまるで遅れ咲きのガキ大将がはしゃいでいるようにも見えた。そこには、不幸の形が不気味なユーモアにねじ曲げられて描かれた、ピカソ画のような子どもがいたのだ。
 とにもかくにも、僕の擁護施設における生活が、この日からスタートした。

■ついに事件が起こった…

 思春期の子どもが八〇人。しかも共同生活だ。寝坊、ケンカ、盗み、タバコ……なにかしらの問題が当然のように毎日起こっていく。しかし不思議とそれらのどれにも僕はびっくりしなかった。子ども達に対して情がわいてないせいもあったし、問題を起こしている子どもが僕の担当外だったせいもあった。
 そのことよりもついていけなかったのは、子ども達が問題を起こした時の保母の怒り方だった。あっちで「き~っ」、こっちで「き~っ」。あっちこっちで過剰反応を起こしている。まるで他人より大げさに怒ることが、本気で自分が子どもと向かい合ってる証明でもあるかのように。このヒステリックな勘違いには、いささかうんざりした。
 それでも「他人の不幸は密の味」とはよくいったもので、直接自分の身に降りかからない問題や事件に関しては、まだ、それらの光景も楽しめていたのである。しかし平和なんてものはいつの時代も長くは続かない。特にぼくの場合には……
 とうとうあいつが問題を起こしたのだ。ぼくはこの道二十年のベテラン保母である和枝先生に呼び出しをくらってしまった。
 「神山先生、正利はねぇ、動物と一緒なの。わかる?」と、和枝先生は、ぼくをにらみつけて言うのである。 (■つづく)

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