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内部告発・豊島区は税金泥棒/第2回 追いつめられて内部告発

■(月刊『記録』97年10月号掲載記事)

          ※          ※           ※

■口からは猛獣のうなり声

 六ヶ月ぶりの出勤。待っていたのは冷たい視線と嘲笑だった。
 半年間も治療を続けていたとはいえ、体は思うように回復していなかった。相変わらず顔の右半分は動かず、緊張感を失った筋肉は不自然に垂れ下がったままだ。私の顔を見た同僚は、まず呆然としたように私を見つめ、それから正視に耐えないとでもいうように視線を外した。「バカなことばかりやっているから、あんな顔になるんだよ」という笑い声とともに、あざけりが背中から聞こえてきたのも一度や二度ではない。
 問題は外見だけではなかった。体は疲れやすく、集中力が持続しない。食事は口に含んだ液体のほとんどが流れ落ち、かみ砕いた食べ物は感触のない右ほおに溜まってしまう有様。そのうえ言葉をハッキリと発音できなくなった。特にパ・ピ・プ・ぺ・ポがひどい。本人はきちんと発音しているつもりでも、口から発せられるのは、まるで猛獣のうなり声だ。
 当たり前のことだが、役所で働く以上は、人々と必要最低限の意志疎通を図る必要がある。しかたなく身振り手振りを使って会話を続けたが、そのまどろっこしさに同僚達は苛立った。私の気持ちも焦った。さらに言葉を失う恐怖にさいなまれはじめた。言葉を話せなくなっても、せめて伝達手段だけは確保したい。手話の勉強を始めたのは、この気持ちからだった。
 もちろん半年ぶりに出勤したからといって、職場での嫌がらせが止むことはない。仕事の始めと終わりに、総務課で行われる出勤簿の受け渡しと事務伝達は、私を虐めることを仕事だと思い込んでいる総務課長の独壇場となった。有給休暇の取り方がおかしい、夏休みの届け出に不備があるなど。他の職員が指摘されることのない事柄を、ほじくり出しては毎日注意された。よくこれだけネタがあるものだと感心したほどである。
 電話の音が問題になったこともある。激しい耳鳴りのある私にとって、ベルの音はかなりの苦痛であった。そこで机上の電話は、音量を小さくしていた。課長はこれに目を付けた。音量を大きくしなければならないという業務命令を下し、私が従わないのを知ると、ベルの音量調節部分をガムテープでぐるぐる巻きにした。大音量で鳴り続けるようにしたのである。
 もちろん敵は上司だけではない。嫌がらせをする機会を多くの同僚が狙っていた。ロッカーに鍵を差し込んだまま、その場を離れたときなど、数分で錠が下ろされ、鍵はなくなっていた。結果は言うまでもない。上司に嫌みを言われながら、鍵の交換となった。
 上司・仲間、そして自分の体にまで不安を抱いていた当時の私にとって、唯一の救いは一人の同僚、A氏だった。発病の2年ほど前に、夜勤として採用された彼は、つねに私の味方となってくれた。彼の入職によって、私は敵視されている同僚と組んで仕事をする苦痛から解放された。復帰後も一時間ごとにかかる夜中の電話への対応を、すべて引き受けてくれたほどだ。
 ところが唯一の味方にも異変が起きてしまう。最初に私が不安を感じたのはその表情だった。いつも活力にあふれていた彼が、次第にうつろな顔で仕事をするようになり、とうとうある日、自律神経を病んでいることを告げられた。「五十嵐さん、オレもきちゃったよ」。原因は夜中の電話である。そして私の復帰から約一ヶ月後、彼は二ヵ月間の入院生活に入るために休職した。

■口頭注意はセレモニー

 このままでは潰されてしまう。誰かを頼れば迷惑をかける。使える武器は何もない。頼れるのは自分だけ。窮鼠猫を噛むとでもいおうか、私はついに必死の反撃を開始した。職場の上司が代わるたびに面会を申し込み、架空勤務の実態を訴えかけた。上司が判を押さなければならない日報には、詳しく状況を書き込んだ。しかし返ってくるのは、依然として執拗な私へのイジメだけだった。
 部課長クラスに訴えても事態が改善しないと悟った私は、次の作戦へ打って出た。当時の豊島区長・日比寛道氏にターゲットを変えたのである。ただし秘書課を通して区長へのアポイントを取れば、断られることは目にみえている。幸い区長室は役所内にあった。そこで私は直訴を決意した。
 ところが運が悪かった。たまたま区長室の近くに居た総務課長に、区長室に入ろうとする姿を目撃されたのだ。総務課長は慌てて私を捕まえ、別室に引きずり込んだ。実力行使に出ることも考えたが、やはり直属の上司である課長を振りきって部屋を飛び出すわけにはいかない。結局この日は、課長と数十分、不毛な話し合いをしただけに終わった。
 結果的に、この突発的な行動は大きな事態の進展に結びつかなかっが、一つだけハッキリしたことがあった。架空勤務の実態を区長が知ることに、課長は強い恐れを感じていることだ。区長に事実を突きつけることができれば、何かが変わるかもしれない! 私は一縷の望みを託して、架空勤務の実態を書き記した手紙を記した。そして内容証明付きで区長の自宅に送りつけた。
 効果はあった。投函した数日後には上司から同僚に対して、口頭で注意が行われたのである。ところが一ヵ月が過ぎ、半年が経ち、一年を経過しても架空勤務は変わりなく続いた。口頭注意など形式的なセレモニーに過ぎないことに気づいたときの私の落胆は、期待していた分だけに大きかった。
 こんなことは役所の常套手段だと今ならば考えられる。しかし、当時の私は人間を信じていたのだ。訴えが正しいものならば、必ずどこかで取り上げられると確信していたのである。事態が改善しないときのために、内部告発に備えての文章を、実はこの頃から少しずつ書き進めてもいた。だが、できれば役所の自浄能力によって事態を改善したかった。私もできれば穏便に済ませたかったのだ。しかし何も変わらないままに、一年半の月日が経過してしまった。

■頭を下げた部長

 内部告発へのためらいを最後に消したのは、結局「オマエの言うことなんか、聞く耳はもたいないよ」という同僚の一言である。架空勤務を続けるくらいなら、役所を辞めてほしいという私の訴えに対する答えがこれだった。その言葉を聞いたとき、何かが私のなかで崩れた。胸の奥底でまだ、なお信じていた人間への信頼感、区長への依頼心、そしてどこかに残っていた同僚に対する友情・・・・・。
 ためらいが無くなれば、ことは簡単だった。架空勤務について内情を詳しく書き込んだ書面を五〇枚ほどコピーし、豊島区議員すべてに送りつけた。就職してから一二年、顔面マヒの入院から六年を経た一九八四年二月。ついに私は内部告発に踏み切ったのである。
 私の行動に対する反応は素早かった。ポストに投函してから二日後には、上司から次々と呼び出しがかりはじめた。まずは総務課長、さらに総務部長までが登場した。当時の総務部長で、現在の豊島区長でもある加藤一敏氏からは、「私達は何とか君の要望に沿うように努力してきたつもりだが、それを踏みにじるような行動は非常に心外だ。こんなに騒がせて君は責任が取れるのか。もし架空勤務がなかったら、役所を辞めろ」と、辞職まで迫られた。
 また、組合からは呼び出しがかかり「波及効果を考えたのか」と詰問された。区議会からの圧力によって、組合員が既得権を失うことを彼らは何よりも恐れたのである。彼らにとって、職員の不祥事を議員に流すことなど、もはや背徳行為以外の何ものでもなかった。そしてまさしく度々議題に上がっていた夏期休暇の縮小が、この内部告発から時を経ずして区議会で可決されている。
 議員からの食いつきも悪くはなかった。上司からの呼び出しとほぼ同時に、一人は電話で、もう一人は直接私を訪ね詳細を確認していった。そして二~三日後、驚くべきことが起こった。「確かに架空勤務の実態はありました。先日は、失礼なことを言って申し訳ありませんでした」と、あの総務部長が私に頭を下げたのだ。
 部長の声を聞いた瞬間、私は驚き、そして心から安堵した。これまでの長く苦しい闘争も、区民をばかにしきった不正行為もやっと解消される。そう確信したからだ。しかし、希望と喜びに胸をなでおろしている私の足元で、大激震の準備が静かに進められているとは思いもしなかったのである。 (■つづく)

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