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だいじょうぶよ/第一回 殴り倒して気分は真っ暗

■月刊「記録」1999年7月号掲載記事

■神山 眞(かみやま まこと)・・・1967年東京都生まれ。1991年4月障害者プロレス団体「ドッグ・レッグス」に参加。1994年横浜にある養護施設の児童指導員となる。1998年養護施設を退職。同年6月、日焼けサロン「マチズモ」をオープン。

         *          *            *

 あれは九月の中頃、夕方から夜にかけての出来事だった。
  「てめぇ、店の金盗ったろ。ふざけんじゃねえぞ。しかも友達のせいにするとはいい度胸じゃねえか。ぶっ殺すぞ」
 ぼくはわれを忘れてあいつを殴った。薄暗い四畳半の部屋。あいつは壁まで吹っ飛び、床に崩れ落ちるように倒れた。脱ぎっぱなしの洋服。生ゴミが詰まったコンビニの袋。無造作に丸めただけの布団。それらがところどころ小さな山を形成している安普請の小汚い部屋。
 髪の毛、むだ毛、埃、食べかすで覆われたじゅうたんは、もはや元の色を判別することすらできない。そんな部屋の床にへたり込んだあいつの口は、まぬけに半分開かれたままだ。震えているわけでもなく、怯えているわけでもない。ぼくにはあいつの表情から何かを読み取ることはできなかった。
  ……お似合いだ。はじめの勢いを失ったぼくは、壁にもたれたあいつの顔を眺めながら自嘲気味にそう思った。汚く混乱した部屋でうだつのあがらぬ三〇過ぎの男が、IQ72のアホ面した男を殴る。落ちぶれた感じがしてとてもいいじゃないか。この日の夜は二人にとってまさにお似合いの夜だったのだ。

■「だいじょぶよ」が口癖

 あいつの名前は正利。頭ばかりが異様にでかく、極端ななで肩。機嫌がいいと眉毛がカモメような形になり、笑ったような表情になるが、機嫌が悪いと下唇が出っ張って悪人づらになる。IQは72。ちなみに、知的障害者として『愛の手帳』が発行される上限を示す数はIQ80だ。しかし実際の生活能力はもっと低く、他人とのコミュニケーションではいつもズレが起こる。うつろな目で鼻水を垂らして半開きの口でいう独り言が、あいつの数少ない意志表示の方法となる。
  「あっ、そうかぁ。はははは」これは誰かと話したい、いわゆる機嫌のいい時。
  「こまったなぁ。ちょっとむずかしいよなぁ」これは欲しい物があるのにお金が足りない時。お前なぁ、…わかりやす過ぎるよ。
 しかし、そんなあいつの仕草や表情を見て、「かわいい、かわいい」と騒ぐ女の子達もいる。彼女達には半開きの口やつながった眉毛さえも、あどけない無垢なものに映るようだ。
 とんでもない! ぼくにはあいつの表情もしぐさも、すべて計算されたむかつくものとしか思えない。基本的な生活習慣――あいつは一八歳になったというのに、洗濯する、掃除する、風呂に入る、顔を洗う、歯を磨く…等々、どれ一つできずに、ぼくが手取り足取り教えている――さえ欠如しているのだ。なのに、そんな仕草だけ計算できるとはどういうことだ!? おそらくは本能的にやっているのだろうが。
 いずれにせよ、ぼくがあいつと出会ってすでに五年が経とうとしている。そして、いつでもぼくはあいつを怒り過ぎてしまう。なぜ、ぼくはいつも怒りすぎてしまうのか。それはきっとあいつからの反応がないからだ。ぼくがどんなに腹を立てていようと、あいつは何も感じない。何も焦らないのだ。
 いつもそうだ。いつだってあいつはそうだ! いつも自分では何もしないし考えない。誰かが何とかしてくれると思ってる。どんな時も誰かが助けてくれると思ってる。
  「だいじょぶよ」
 あいつの口癖だ。いつでもどこでも誰にでもあいつはそう答える。だが、あいつの人生は、決して大丈夫ではなかったはずだ。あいつの親はあいつに熱湯はかけたけれど、ご飯は食べさせなかったじゃないか。あいつの親はあいつの頭に傷が残るほど暴力をふるったけれど、学校には通わせなかったじゃないか。再三にわたる虐待。 そんなろくでもない親から捨てられたのは、あいつが小学校三年生の時だった。養護施設に入ってなんとか学校に通い始めたのに、まもなくあいつには新たな問題が発生した。名前も満足に書けない状態だったのだ。まともな教育を受けていなかったせいもあるが、実は知的能力がいちじるしく劣っていた。

■お前のための店なのに

 IQ72。これは、あいつがはじめて知能テストを受けた時の数値である。小学校、中学校と普通学級で過ごしたが、授業内容はほとんど理解できなかった。オール一の成績では高校進学も叶わず、中学卒業と同時にあいつは社会の荒波に放り出された。それでまともに勤められるはずがない。現場仕事を転々とする毎日だ。結局あいつは逃げ出し、僕の経営する日焼けサロンにたどり着いたのだった。
 ぼくとあいつは日焼けサロンで共に働き、四畳半の倉庫で共に暮らした。今度こそ何もかもがうまくいきそうに思えた。まさに二人とも「だいじょぶよ状態」だったのである。そう、最初のうちは……。
  「おい、そこのゴミ捨てといて」「あとでやっとくよ」「買い物しといてくれた?」「あー、明日やっとくよ」「大丈夫なの?」「だいじょぶよ」「おい、店では敬語使えっていったろ?」「だいじょぶよ」「だからそれが敬語じゃねぇんだよ!」 住むところと職場、そして友達をゲットしたあいつは、次第に調子に乗り始め、僕の言うことを聞かなくなっていった。
 だいじょぶよ、だいじょぶよ。きっと今日もだいじょぶよ。寝坊したけどだいじょぶよ。店の金少し盗んじゃったけどだいじょぶよ。友達のせいにしとけばだいじょぶよ。だいじょぶ、だいじょぶ。いままでだってだいじょぶ。これからもきっとだいじょぶ。だいじょぶ、だいじょぶ、だいじょぶよ。
 そもそも日焼けサロンだって、あいつのために作ったようなものだった。どこの現場に入っても同僚にいいように騙され、金を巻き上げられ、ついには罪を被せられて追い出されてしまう。そんなあいつがずっと働き続けられる場所をこしらえるために、さんざん借金して作った店だった。なのにあいつは無反応。そしていつもマイペースだ。
  「正利、客来ねえなぁ」「だいじょぶよ」「正利、電話も鳴んねえぞ」「だいじょぶよ。ははははは」

■限界を越える日がやってきた

 慣れぬ仕事を終え、くたくたになって倉庫に戻る。そこからがまた大変だ。倉庫には店で使うタオルが何十枚と干してあり、乾かすための乾燥機が常にゴーゴーと音を立てていた。倉庫の湿度と温度は著しく上昇し蒸し風呂のようだ。この悪条件の中で大の大人が二人、じめっとした布団の上で大汗をかいて、明日に備えて眠らなければならない。
  「もうダメだ……」
 あいつを殴った夜、ぼくは心身ともに疲れがピークに達していた。こんなに疲れて頑張ってるのに、それなのに奴は店の金を盗みやがった。人の心配をよそにイビキかいて居眠りしてんじゃねえよ。ぼくは決めた。今日はあいつにとってはじめての「だいじょぶ」じゃない夜にしてやろう。だいじょぶなんかにするものか。ぼくがあいつにとって、はじめてのだいじょぶじゃない人間になってやる。
 やることはただ一つだ。壁に力なくもたれかかっているあいつを再び引きずり起こし、さらに殴り続けることだ。「正利、てめぇでていけ! 顔も見たくないんだよ。お姉ちゃんのところに電話しろ!」そう言うやいなやぼくはあいつに近づき、胸ぐらを力一杯つかんだ。
  「やだ」。いつも通り短く簡潔な返事だったが、心なしか声が震えているような気がした。驚いて顔を上げると、伸びきったダブダブのシャツに埋もれたあいつの顔に、少しだけ変化が表れていた。おびえているのか? そう思うとぼくの体中に喜びがあふれた。良くも悪くもあいつが反応を示している。怖いのか!? このぼくを! 怒りと嬉しさの渦が湧きあがってきた。倒錯の喜びのただなかで、ぼくはひたすらに殴り続けた……。

■倉庫に戻るとあいつは

 いったい何発殴ったろう。自分の拳に違和感を感じて、ぼくはわれに返った。血がついていた。ぼくは手を洗って表に出た。すっかり陽は暮れている。もうあいつが金を盗んだことも、友達のせいにしたこともどうでもよくなっていた。それよりも人を殴る快感のほうがはるかに強かったのだ。
 なんて気持ちがいいんだろう。抵抗しない人間を殴りたいだけ殴る。罪悪感も うしろめたさも哀れみも忘れて殴る。そして何より、いつもぼくにつきまとっていた不安が、たとえひとときでも一切消えたのだ。
 しかし、そんな異常な精神状態がいつまでも長く続くはずがなかった。ぼくはふとあいつのことを思った。「いったいどれだけ殴ってしまったのだろうか?」いずれにしても、あいつが何かを決心するのには、十分だったのに違いない。

――せんせい いろいろとありがと 
  おれ、いえとしごと をさがしにいくよ
  ここにいるとまたうそをついちゃいそうだから
  さよなら
                  まさとし――

 深夜二時。仕事を終え、倉庫に戻るとあいつの姿はなかった。あいつは出ていったのだ。一枚の書き置きを残して……。
 探さなければ。そうは思うものの、全身の力が抜けてしまってどうにもならない。もうあとの祭りだったが、「バカなことをした」とぼくは、ぼくのしたすべての行為を後悔した。
 つい殴り過ぎてしまったこと。いつも叱りつけてたこと。朝、いつまでたっても起きないあいつの頭に目覚まし時計を投げつけたこと。そういえばあいつは倉庫に扇風機が欲しいと言ってたっけ……。でも金がなくて買ってやれなかった。予想以上にかかる店の設備投資を優先するしかなかった。だから毎日汗をびっしょりかきながら二人で寝ていたんだ。食費も切りつめるだけ切りつめてきた。米だけ山ほど炊き、おかずは一日一品だけ。それでお腹をいっぱいにしたんだ。二人で今さえ切り抜ければ何とかなる。ぼくはそう思っていた。それなのにあいつは……。

■このたまらない喪失感

 ぼくは部屋中を這って、何か手がかりになりそうなものを探した。ぼくの菓子パンが二つとも消えていた。ぼくのシャンプーがなくなっていた。店の自転車もない。炊飯器の中はすっかり空になっている。トイレには流し忘れの大きなウンコ……。ぼくは仲直りのつもりで買ってきた二人分のコンビニの弁当が入った袋をぶら下げたままだった。コンビニの弁当は食生活を切りつめていたぼくらにとっては贅沢品だった。
 昼から何も食べていないことを思い出し、弁当に少し口をつけてみた。だが、どうしても喉を通らない。これからどうすればいいのか。とりあえず外に出て、自転車に乗った。
 公園、空き地、駅のホーム。手当たり次第に探し回った。出がけに降っていた霧雨が、新聞配達のバイクとすれ違うころには激しい雨に変わっていた。台風が近づいていた。
 あいつは三日経っても帰ってこなかった。一週間、一〇日、二週間……。それでもあいつは帰ってこなかった。その気持ちをなんと表現したらいいのだろう? 喪失感? 強いてあげれば父が亡くなった時の気持ちに似ているような気がする。とにかく寂しかった。四畳半の二人でいるとあんなに狭く感じた部屋が。
 ぼくらには布団を畳み、押し入れにしまうという習慣がなかった。朝起きたら、掛け布団も敷き布団も一緒くたに丸めて部屋の端に押しやっていた。それだって日焼けサロンで使うタオルを畳むためのスペースをつくるために無理矢理やっていたぐらいだ。いつもグルグル巻きの布団が二巻き並んでいた。それなのに今は一巻きしかない。たまらなくあいつに会いたかった。
            *
 今から五年前の春。ぼくは横浜にある養護施設、N学園で児童指導員として働きはじめた。仕事の内容は簡単にいうと、親の事情で入所した小学校一年から高校三年生までの子ども達の生活指導をすることだ。
 N学園の職員は指導員、保母合わせて一五名。それぞれが四から六名の子どもを担当している。どの子どもを担当するかは、年度末に行われる職員会議で職員同士のディスカッションによって決められることが多く、子どもが職員を選ぶことはできない。初年度であるぼくには、主任によって選ばれた四人の子どもが決められていたが、勤務初日の四月一日までは会うことはできなかった。

■ぼくの「家族」を作るのだ

 どんな子ども達だろう? 想像するだけで、月並みな表現ではあるが、期待と不安で胸が一杯になった。できれば思いっきり暗い顔をした不幸な奴がいい。そういう奴らとぼくが思うところの、理想の疑似家庭を育むのだ。人を信じない奴。家族とさえ打ち解けられなかった奴。友達を作れない奴。恋すらしたことがない奴。きっと養護施設はそんな奴らの宝庫に違いない。胸が震える。 ぼくは、養護施設に入る前には、叔父のタクシー会社に勤めていた。右を見ても左を見ても親戚だらけのいわゆる血族会社だ。業績は市内で二、三位を争う優良企業であった。
 社長である叔父は売上ばかりを気にする真面目一辺倒な性格。さらに血のつながりをやたらと大事にする人だった。実際、仕事上のつきあい以外に友達と呼べる人間が誰一人としていない彼にとって、家族、兄弟、親類、そしてそれらみんなで寄り添うように作った会社は何より大切なものだったろう。
 けれど叔父にとって大切なものは、ぼくにとっては何一つ大切ではなかった。むしろ疎ましいものであった。私生活はおろか先祖代々までわかり合った者同士が顔をつき合わせて働く職場。血と利害が絡み合うがんじがらめの毎日は、ぼくにとって窮屈以外の何ものでもなかった。そんなものに価値を見出して、しがみついている叔父の姿がたまらなかった。目にしたくもなかった。
 ぼくは、ここではない違うどこかで、血のつながっていない者だけで「家族」を作ってやろうと考えた。血など介さなくても、人間は信じ合うことはできるのだ。そして叔父の会社を辞め、養護施設を選んだのだった……。

■不幸な子ども達よ! ここへ来い

  「来るんじゃなかった」
 勤務初日だというのに、ぼくの頭の中はすでに消極的になっていた。桜の花が満開に咲き乱れる中庭。バレーボールに興じる男の子と女の子。彼らの姿は兄弟にも見えるし、友達同士にも見える。皆、暖かい陽射しを受けて、きゃーきゃーはしゃいでいる。彼らの姿から悩みや不幸を感じ取ることはほとんどできない。
 その楽しそうな顔を見ていると、ぼくは疎外感を感じた。そして「来るんじゃなかった」という思いばかりがますますふくれあがった。
 だが、もう手遅れだ。状況はすべて整ってしまった。造りはしっかりしているが、かなり古びた建物。その建物の入口から四十代の男がぼくに手招きしている。もう逃げることも隠れることもできないのだ。だってもうすぐ、ぼくのためのオリエンテーションが始まるのだから。
  「神山先生は初年度ですから、あんまり問題のある子どもを担当することはないですよ」と、全く抑揚のないしゃべり方で主任は言った。どこか事務的な感じがする。それでも話すことは好きなようで、ぼくが「問題のある子もいるのですか?」と話を向けると、やくざになった男の子や妊娠してしまった女の子の話を得意げに始めた。
 ぼくは改めて主任のいでたちを眺めた。すると全身が、いかにも養護施設で働いている人間っぽい。アディダスでもナイキでもない、どこにも属さないメーカーのジャージのパンツに古びたセーターの四十男。その着こなしに、ぼくは少し好感と親近感を抱いた。
 やはり養護施設なんだな…。先程までの「来るんじゃなかった」という気持ちが少し薄らいだ。
  「ちょっと、待ってくださいね」
 主任はおもむろに立ち上がると、マイクを手にして館内放送をかけた。四名の名前を呼んでいる。ぼくの担当児童である。さあ、いよいよだ。来い、来るんだ、不幸のどん底みたいな奴よ、ここに集まれ!
 そしてぼくは、主任に促されるままに「シオン」という部屋へ向かった。 (■つづく)

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