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ホームレス自らを語る/おれには孤独の菌が巣くう・遠藤四郎(六八歳)

■月刊「記録」97年11月号掲載記事

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■新婚はたった三日間

「おまえには孤独の菌が巣くっている」と、友人にいわれたことがある。おれの周りには、誰も居着かないんだ。死んだ人もいるし、去っていったやつもいる。たまに幸せになったかと思うと、すぐに孤独がやってくるんだ。
 最初に去っていったのはおやじだった。自殺によって……。
 太平洋戦争の前までのウチは金持ちだったよ。瓦職人だったおやじは常時一〇人以上を雇っていた。おれが小学校に入学したときには、新しい服を上から下まで用意してくれた上に、ランドセルまで買ってくれたんだ。ところが終戦のどさくさで、おやじは事業資金をだまし取られ、首をつった。
 次はおふくろだった。
 小学校を卒業し、東京・亀戸で旋盤工として働いていたおれに、いきなり「病気で死んだ」と知らせが入ったんだ。まだ戦争の爪跡が色濃く残っていたころだよ。しかもおふくろの死は、貧しかったおれからカネも奪っていった。治療費やら葬式代やらで、「必要だから」と一緒に住んでいた親族から催促があったんだ。断れないよ。酒代を減らし、身を切るようにしてためてきた一〇万円がそこで消えた。一九五〇年代初頭だから、ヒラの銀行員のン年分くらいはある大金だったよ。でも「使った分以外は返す」という約束は守られなかった。
 そして最初の女房との別れを、おれは経験する。たった三日間の新婚生活を思い出に、彼女は逝っちまったんだ。
 女房の知子と知り合ったのは、五三年、おれが二四歳のときだった。義理の姉さんが経営していた酒場で出会い、次の日からつきあいが始まった。夜勤の旋盤工として働くおれのために、毎日弁当を作って会社に届けてくれた。おとなしくて、優しい性格だった。なかなかの苦労人だったらしいよ。
 しかも美人なんだ。おれと知り合う前には、ダンサーとして有楽町で働いていたらしい。ハイヒールをはいて踊っていたというから、ラインダンスでも踊っていたんじゃないかな。もちろんスタイルは抜群。おれより一〇センチも身長が高かったからね。
 身持ちの堅い女で、毎晩会っているのにどこに住んでいるのか教えてくれない。一ヶ月ほどたって、ようやく彼女が住んでいる寮を訪ねることができた。真剣に愛していたから、すぐ結婚を約束したよ。数日後には籍を入れ、彼女の部屋で一緒に暮らすことになった。彼女の寮仲間が結婚を盛大に祝ってくれて、やっとおれにも幸福が舞い込んできたと思った。
 ところが暮らし始めて三日後、彼女が倒れた。知り合いの医者が世田谷区の東急二子玉川園駅近くにいたから、あわててタクシーで連れていったが、医者は彼女を診察するなり、「もって一週間でしょう」なんていう。思わず「どうにかしろ」とつめ寄ったけれども、いくら医者をどなっても、こればっかりはどうしようなかった。 実は彼女の肺は、このときにはほとんど動いていなかったんだ。彼女も自分の肺が悪いことは知ってはいたが、かわいそうにおれには言い出せなかったんだな。好きだから一緒になりたい。でも自分の命も長くない。そんな葛藤を抱えていたんだ。
 仕事の合間を縫ってできる限り病院を訪ねたよ。医者から「遠藤さんは本当によく来るね」なんていわれた。少しでも長く会いたかった。彼女も頑張って、入院してから一ヶ月も持ちこたえけれど、結局ダメだったね。会社に危篤の知らせが届き、病院に駆けつけたときにはもう意識がなかった。半狂乱で医者をどなりつけたが、死んじまったものは戻らない。

■新興宗教にのめり込む

 知子が死んで、おれの心にぽっかりと穴が空いた。寂しさを埋めるためにのめり込んだのが新興宗教だった。人の一生なんか、いつどうなるかわからないという思いが、おれを宗教に向かわせたんだと思う。だから一生懸命布教したよ。入信させた人数は、いつも地区でトップだったほどだ。
 人から悩みを相談されたときは、一緒になって悩んであげる。若い女性なんかは、それだけで入信するんだ。笑うかもしれないけれど、おれは命がけで布教していた。だから数千人を束ねる地区の班長にもなれたんじゃないかな。今から考えればうそみたいだけれども、当時は大勢の人の前で話すことも、全然苦痛じゃなかった。説得すれば、かなりの人が入信してくれる自信もあった。 でも、これだけ力を入れていた宗教団体からも、おれは追い出された。原因は布教方法だ。おれは布教のとき、わかりやすい言葉で教義を説くようにしていた。最初に理解するのは教義の一部分だけで十分で、入信してから少しずつ理解を深めてくればいいと思っていたからだ。でも幹部は、その方針に反対だった。
 おれも命をかけてやっている布教だったから、あいまいには引き下がれない。結局、幹部と論争になって、おれは放り出されたというわけさ。まあ、いまだにその教義だけは信じているけれども、この論争以降、教団の宗教行事には出席できなくなった。
 知子も死に、生きがいだった布教もできなくなり、人の多い東京で暮らすのが、おれにはつらくなった。だから信州・上田にわたって、製材工として働くことにしたんだ。
 木はいいよ。一本丸太から角材や板を切り出す作業は、知子やおふくろを忘れさせた。少しずつ「孤独の気」もなくなっていくようだった。
 でもいくつかの後遺症は残ったね。まず貯蓄をしなくなったこと。カネをためるのがばからしくなったんだ。どうせいつ死ぬかわからないという気がしてね。それと職を転々とするようになった。上田の製材所では、五人ほどの若い従業員のかしらだったから、それなりの給料をもらってはいたけれども、一ヶ所ににじっとしてはいられなかった。
 何でかな。丸太の渡し、解体屋、飲み屋の亭主、木こりと、ありとあらゆる仕事を転々としたが、いつでもしばらくすると、何か新しいことをやりたくなる。守りたいものがなくなったからかもしれない。

■淫乱の虫を飼った女

 結局は再び東京に出てきて、何度か結婚した。そのうちの一人が君子。だが、これがひどい女だった。とにかく尻が軽い。仕事から帰って九時くらいには一緒に布団に入るんだが、夜中になるとこっそり家を出ていってしまう。結婚当初からそうだった。でもおれは何もいわなかった。他人の事情を聞くのが嫌いなんだ。いや、単に真実を知るのがこわかったのかもしれない。結婚してすぐに息子も生まれたが、君子の生活は変わらなかった。 そのうち彼女の仕事仲間から、とんでもないうわさを耳にした。結婚後も彼女は新聞の配達員として働いていたが、仲間のほとんどが彼女と関係していたというんだ。解体の仕事が休みのときに、彼女の仕事を手伝いに行って聞かされたから驚いたよ。
 毎日毎日、男をとっかえひっかえするのは尋常じゃない。だから病院にも連れていったが、「この病気は治らない」と医者にいわれた。この女は、「淫乱の虫」を股に飼っているんだと、心底思ったよ。
 そのうちに入園したばかりの息子を残して、彼女は家を出ていってしまった。新聞屋の金持ちをたらし込んだらしい。それからはおれが、毎朝息子に弁当を作り、幼稚園まで送っていった。仕事が終われば真っ先に幼稚園に飛んでいき、息子の手を引いてアパートに帰る生活が二年は続いたかな。でも小学校入学を前に、出ていった君子に預けることにした。やっぱり息子には母親が必要だからな。
「お母さんをしっかり守ってやんなさい」と息子にいったら、うなずいていたよ。五歳じゃわからなかっただろうけれども……。それ以来、息子には会っていない。 八三年のことだ。高田馬場で昔の友人にばったり会ってしまったことがある。友人は二七歳になった息子におれに会ったことを連絡したらしい。息子はおれに会うために飛んできたようだが、おれは逃げたよ。息子は君子の下で働いていたと聞いていたから、おれに会えば無用な争いが起きる。「会ってはいけない」と思ったら逃げるしかなかった。

■新宿で得た平穏

 君子と正式に別れてから一年後くらいに三歳下の好恵と結婚した。新聞屋の売店で働いていたおれに、彼女はなぜか自分から寄ってきた。「おじちゃん、おじちゃん」なんていってね。
 おれも三四歳にもなっていたし、結婚なんかするものか、と思っていたが、なついてくる好恵はかわいい。仕事が終わってからラーメンを食べたり、映画をみたりしているうちに彼女のアパートで暮らすようになった。籍を入れてしばらくすると娘もできた。
 でも、娘の七五三を見ることはなかった。結婚して三年後には、妻が娘を連れて家を出ていったんだ。暮らしていたアパートに男を引きずり込んだ形跡があったから、その男のところかもしれない。女房からは何も聞かされていなかったけれどな。その後は、一切音信不通。娘の顔もそれ以来見ていないから、横を通ってもわからないだろう。
 それからも転職を繰り返し、五年ほど前に解体の仕事をクビになった。理由は年を取りすぎて危ないから。すぐにアパートを追い出され、放浪が始まったよ。池之端では「カネを盗んでこい」と、ホームレスの仲間からいわれたのが嫌で逃げ出した。江戸川では賽銭泥棒を強要されて離れた。悪さをしてまで生きていたくないんだ。おやじが生きているまでは金回りもよかったし、その後は自分で稼いできたから、人様のカネを盗むなんてしたことがない。仕事も好きだったし、今でも働きたいと思っているくらいだからな。
 新宿に来て、やっと平穏に暮らせるようになったよ。これだけのことがあっても、女房を殴りつけたことも、くわしく事情を問いただしたこともなかった。知子と死に別れて以来、深く人と関われずに孤独と隣り合わせで生きてきた。でも、この新宿では信頼できる仲間もできた。ときおり襲う寂しさには、「南無妙法蓮華経」を唱え、毛布をかぶるようにしている。 (■了)

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