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障害者ドラマを徹底批判する!(上)

■月刊『記録』97年3月号掲載記事

■■■「障害者ドラマ」徹底批判!(上)

■■■センセーショナリズムに突き動かされるドラマ

     *    *    *

(■稲増龍夫……1952年4月、東京生まれ。73年に東京大学大学院社会研究科・修士課程修了。著書に『アイドル工学』『フリッパーズ・テレビ-TV文化の近未来』などがある。)
 
■ドラマのタブーを破り続けた

 90年代前半からドラマブームが起こり、バブル期に合わせた恋愛ドラマが数多く作られた。しかしありきたりの男女によって描かれたドラマでは、視聴者が満足せず、視聴率も取れなくなってきたため、レイプやレズなどドラマのタブーを破り続けてきた。その延長線上に、現在の障害者ドラマブームがある。
 障害者ドラマブームの起源について、一般的には『星の金貨』と言われているようだが、私は『ひとつ屋根の下』だと思っている。いくつものタブーを破ってきた野島伸司は、このドラマで障害者を主人公として登場させた。その後、『星の金貨』『愛してると言ってくれ』と続いた聴覚障害者を主人公にしたドラマが手話ブームを巻き起こしたことは有名だ。この障害者ブームに拍車をかけたのが、ハリウッド映画『フォレスト・ガンプ』だった。現在、放送されている『ピュア』『オンリー・ユー 愛されて』が同じように知的障害者を主人公に据えたのも、『フォレスト・ガンプ』がヒットしたからだろう。
 ドラマは本質的にセンセーショナリズムを合わせ持っている。売らんがために、作り手は今までにない設定を考える。もちろん、現実に即したドラマ作りとはいえないが、そうしなければ視聴率は稼げないだろう。作り手に差別意識はないのだろうが、ある種の見せ物的要素がないとはいえないだろう。

■ポジティブなレトリック

 ドラマにおける障害者の扱いを、日本とアメリカで比べた時、作り手の姿勢の違いは更にはっきりする。88年のアカデミー主演男優賞を受賞した『レインマン』のダスティン・ホフマン、昨年のアカデミー主演男優賞を受賞した『フォレスト・ガンプ』のトム・ハンクスは、精神障害者の役をリアリティーを失わずに演じ切った。2人とも個性派俳優だからこそだろう。一方で、日本のテレビドラマの主人公は、『未成年』の香取慎吾、『ピュア』の和久井映見、『オンリー・ユー 愛されて』の大沢たかおなど、カッコイイから、そしてカワイイから許されるポジティブなレトリックが働いている。そのため、ますます現実から離れていってしまう。
 障害者がステレオタイプに描かれているのも、日本のドラマの特徴だ。一方がポジティブな面だけを持つ人格、一方はネガティブな面だけを持つ猟奇的な人格だ。この両極端の人格は、表裏一体だ。実情を知らない作り手と視聴者は、プラスイメージとマイナスイメージに障害者を拡大していった。今後も両極のイメージが強まっていくと危険だろう。障害者に対するイメージが1人歩きしかねない。
 さらに視聴者の立場から障害者の立場から障害者ドラマを分析すると、ある種の優越感とある種の負い目を視聴者が持っていると推測される。障害者に対する無意識の優越感を全く否定することはできない。しかし視聴者の心をより多く捕らえるのは、日常生活で障害者に差別的な態度をとってしまう現実に対する負い目だろう。そのため障害者と対等に接するドラマの登場人物に、視聴者は共感を持つ。しかし、障害者ブームにはプラス面も多い。手話ブームにより、手話を交わすことが以前ほど特別視されなくなったこともあるだろう。障害者がステレオタイプに描かれているとはいえ、視聴者に障害者の存在を知らせることには成功していることを考えると、ドラマは一定の役割を果たしてきたといえる。現在は、送り手も視聴者も障害者のドラマをどう扱っていいのかがわかっていない。その意味で、障害者ドラマは始まったばかりだ。今後は日常生活に密着した部分も、ドラマとして取り上げていくべきだろう。

■■■知的障害者の立場から/障害者への無関心を助長させるドラマ

(■北島行徳……1965年6月東京生まれ。91年4月に障害者プロレス団体「ドッグレッグス」を旗揚げ、代表をつとめる)

■ドラマは後退している

 たとえ障害者が題材でなくても、いま流行っているドラマにリアリティなんかない。だから、「あんなかわいい(カッコイイ)障害者がいるわけない」とか「障害者の置かれている現実はあんなもんじゃない」というのは限りなく不毛に近い。テレビの世界は視聴率が全て。どんな内容であれ1人でも多くの人に見てもらえれば勝ちなのだ。視聴者だってテレビドラマに期待なんかしていない。面白くなければ、すぐにチャンネルを変えればいい。結局、テレビドラマなんてその程度のものなのだ。
 そんなことは百も承知だが、それでも我慢ならないことがある。それは、障害者を題材にするなら、もっと他に作りようがあるだろうという不満だ。昨年から障害者が主人公のドラマがたて続けに放送されている。しかし、障害者は皆、健常者社会の中で普通に生きているように描かれ、主人公以外には障害者がまったく登場しない。そこに障害者を主人公にする必要が感じられない。ハンディを克服し、一生懸命に生きる障害者と周囲の温かい支えを描いた一昔前のテレビドラマも問題だったが、今の描き方その頃より進歩どころか後退しているように思える。

■取材をしない脚本作り

 いまだに多くの健常者は、できれば障害者と関係をもたずに生活したいと思っている。そんな中、自立した障害者が健常者と恋愛をするストーリーは、どんな効果を生み出すのか。私には障害者に対する無関心をさらに増長させるとしか思えない。テレビが視聴率を重視するように、私達ドッグレッグスも基本的には観客動員を重視している。興行に観客が集まらなければ、赤字という実害が出るからだ。しかし、それ以上に、私達はメッセージを観客に伝えたいという強い気持ちを持っている。それこそが、障害者を題材とする意味ではないか。メッセージもないまま、障害者を題材にする作り手は意識が低いと言わざるを得ない。
 聴覚障害者を主人公にしたテレビドラマ『愛していると言ってくれ』を書いた脚本家のインタビュー記事を読んだ。なんでも、この脚本家は自分の感覚を大事にするために、取材をしないで脚本を書くらしい。さらに、聴覚障害者のネタは、テレビで手話のニュースを見て、手の動きの美しさに閃いたのだという。あまりにも安直な発想とお手軽な創作姿勢に驚いてしまった。しかし、こんなミーハー感覚が若い女性層にウケて、結果的には高視聴率を記録。このドラマをきっかけに、ちょっとした手話ブームが起きた。手話の本がベストセラーのランキングに突如として顔を出し、手話講習会には定員の何倍もの参加者が押しかけた。私の周りにもそんな人達がいたが、なぜ手話を習うのかと聞くと大抵「手の動きがきれいだから」という答えが返ってきた。
 だが、発音がきれいだからと言う理由だけで、外国語を習う人はいないだろう。外国人と話すための外国語であるように、手話は聴覚障害者と話すための手段だというのに……。

■プラスだけを積み重ねるドラマ
 知的障害者を主人公にした『ピュア』も同様な制作姿勢だ。トンチンカンな受け答えで知的な遅れを演出しているが、これが『愛していると言ってくれ』の手話にあてはまる。障害者のイメージをある点にだけ集約し、後は外見も内面も健常者と同じ設定で、健常者同士の付き合いのように人間関係を描く。そのため、ドラマ中の困難や波乱は大抵が恋愛のトラブルだ。障害者と付き合うこと自体はマイナスではなくプラスだけを積み重ねていくことのようにドラマは進んでいく。
 しかし、ドッグレッグスの障害者レスラーであるサンボ慎太郎や欲獣マグナム浪貝との付き合いは私にとってマイナスの連続だった。どうでもいい用件で毎日かかってくる電話、悩みごとがあれば人の職場に愚痴をこぼしに現れ、酒を飲んでは暴れ、借金をつくっては貸した相手に私が謝らなければならない。自分の生活を滅茶苦茶にされて、何度、関係を断ち切ろうと思ったことか。しかし、あまりにもマイナスが積み重なってくると、突然これがプラスに変わってしまう。まさに、マイナスとマイナスをかけたらプラスになるように。私は彼等に日常を破壊されたお陰で、新しい価値観や生き方を教わった。障害者プロレスもそんな付き合いの中から生まれたものだし。今では彼らがいなくなったら、なんてつまらない人生になってしまうんだろうとさえ思っている。
 恋愛1つとっても、現実の方がドラマに及ばないほどドラマチックだ。浪貝は、伝言ダイヤルで知り合った心の病を持った
女の子を、その日のうちに母親に紹介し、結婚を迫った。浪貝は純愛を育もうとしたが、彼女は浪貝の体が目当てで、二人は肉欲に溺れていった。デビューしたばかりの障害者レスラー「愛人(ラ・マン)」は、自立ホームで生活していたときに職員だった健常者の女性を口説き、付き合うようになった。それがばれてしまい2人で施設を出て、同棲した。その女性が「愛人」と暮らすことを家族に告げると、父親は「どんな会社でも、どんな学校でもチビでもデブでもいいから健常者にしてくれ」と語った。現在、重度の障害者ある「愛人」の介助は彼女が行い、2人で生活している。
 こんな現実の中にいる私だから、今の障害者が主人公のドラマなんか少しも面白いと思えないのである。

■■■ろうあ者の立場から/TVドラマ発「手話ブーム」は現実を変えなかった

(■大槻芳子……1942年、新潟生まれ。60年に新潟県立新潟ろう学校を卒業。79年財団法人全日本ろうあ連盟評議員を経て、80年より10年間ろうあ者相談員として横浜市役所に勤務する。)

■ロケ地確認の電話殺到

 『星の金貨』(日本テレビ)と『愛してると言ってくれ』(フジテレビ)の2つのドラマで、手話ブームが到来したかのように新聞・雑誌で報じられましたが、実際に手話の本が売れたのは番組が放映された昨年の7~9月の3ヶ月間位で、市販ものは10月に入るとガクンと売り上げが落ちました。また今年に入って手話サークルに加入した人数を確かめてみても、昨年と大きな変化はありません。若干増えている程度ではないでしょうか。一過性の現象だったように思います。この事務所にドラマのロケ地に関する問い合わせが多数かかってくるほどドラマはヒットしたようですが、振り返ってみると現実には大きな変化はありませんでした。
 手話ブームについても、単にドラマの影響だけでなくプラスアルファの要素もあったと思います。第1に、阪神大震災が起こり若い人達のボランティアに対する関心が高まった事。第2に、コンピュータの普及などで間接的なコミュニケーションに埋没していた人々には、直接のコミュニケーション手段である手話が魅力的に見えた事。しかしブームも終わりを告げました。手話が広まるには広まったが、手話を覚えるために勉強するかしないかは本人次第といったところでしょう。

■ろうあ者にわからないストーリー

 実は『星の金貨』のディレクターは、シナリオを持ってこちらの事務所に意見を聞きに来ています。内容について問題はなかったわけではありませんが、放送1回目に耳の聞こえない人からの抗議がテレビ局に殺到したようです。画面に主人公の会話しか字幕がつかなかったことが原因でした。耳の聞こえない人を主人公にしているのに、肝心のろうあ者がドラマを観れないのです。ディレクターが、2回目から全てのせりふ字幕を入れるべく徹夜を続けて働きかけてくれたからよかったものの、、もし彼の努力がなければ2週目から完全な字幕が入ることはなかったでしょう。しかし確かなことは、番組制作者の頭に耳の聞こえない人の存在が入っていなかったことです。主人公に据えていながらです。

■伝わらない手話を番組で

『愛してると言ってくれ』にも、おかしな点がいくつかあります。まず、ろうあ者の周りにいる人が優しすぎました。ドラマだから当たり前なのでしょうが、あれだけよい人が多ければ苦労はないでしょう。
 さらに豊川悦司が一切口を開かないことは不自然です。普通、手話での会話は、音を発しなくとも口は動かします。手の動きだけではコミュニケーションが取れません。まして豊川悦司の設定は、10歳で耳が聞こえなくなったことになっています。私も6歳で耳が聞こえなくなりましたが、ゆっくり話せば発音にあまり問題はありません。演出上、口を動かさなかったのでしょう。それは最後に豊川悦司が一言話すのを強調しました。
 もう1つ気に掛かったのは、手の動きの少なさです。あんなに少ない手の動きでは、意志を伝えられません。手話はもっと生々しいコミュニケーション手段です。演出上、手の動きをわざと少なくしたのでしょうか?
 さらに手話ブームを追って取材をかけてきた新聞・雑誌にも驚かされました。「手話ブームをどう思うのか」「手話の本の売れ行きはどうなのか」といった質問を、手話サークルの人達にもしていました。手話サークルに通っている人は、耳の聞こえる人です。手話ブームについて本当に語れるのは、実際に耳の聞こえない人でしょう。取材する人も、ろうあ者についての知識を持たぬまま取材に来ています。これも問題ではないでしょうか。

■手話通訳士たった700人の現実

 私達が発行している『わたしたちの手話』は、初版が1969年です。厚生省へ手話通訳養成の働きかけを始めたのは、40年以上も前の話です。今から30年ほど前は、路上で手話を話すことも大変勇気のいることでしたが、耳の聞こえない人自身が、手話サークルを作り手話を広めていきました。全日本ろうあ連盟は、自治体に対する運動として各地で活動し、時々にイベントを開催し手話の普及活動に力を入れてきました。そのような積み重ねで、ここ10年は外で手話を交わすことも自然にできるようになったのです。
 しかし手話通訳士の人口はまだまだ足りません。4千人必要だと言われている手話通訳士が、現在700人。さらに手話通訳士に必要とされるのは、技術だけではありません。手話通訳士が音声に変換した言葉は、耳の聞こえない人にはチェックできないため、ろうあ者そのものについても学び、信頼関係を築かなければいけないのです。好奇心・やる気・熱意の3拍子揃わなければ、なかなか手話通訳士になれないのが実情です。
 最初はトヨエツさんに憧れて手話を始めてもいい。学び続ける熱意を持ってほしい。
 ブームが終わったからといって私達の活動が変わるわけではありません。問題は山積みしています。聾学校では現在でも手話がのぞかれ、声を出して話をし、唇を読んで会話をするように教育されています。文字放送も全国で受信できるわけではありません。私達全日本ろうあ連盟は、このような問題のあふれた現実の変革を求め、完全参加と平等の現実に努力しているのです。(■「下」につづく)

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コメント

障害者の番組に関する研究をしているので参考になりました!!happy01

投稿: かな | 2008年10月27日 (月) 22時43分

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