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阪神大震災現地ルポ 第4回/地域のつながり方が見えてきた

■(月刊『記録』95年7月号掲載記事)

■3月26日
 
   須磨駅から倒壊した商店街を通り抜けて30分ほど歩くと、月見山本町に出る。発生2日後の1月20日に訪れたときは、ここも多くの家が倒壊していた。細い路地に入ると、屋根瓦が散乱し、ブロック塀が根本から折れるように倒れていた。潰れた家が道をふさいでいた。倒壊した家の前で「空襲でも燃えずに残った家だったけど、そんなこと自慢してても仕方なかったね」と力なく笑うお婆さんがいた。この辺りは戦前からの古い町で、倒壊した建物の多くが、昔からあるこういう家だったのだ。 
   とりあえず市外へ避難するが、「この町は住みよい町なの。だからまたここに住みたいね」と、このお婆さんは語っていた。2ヶ月後、家は解体されていた。彼女が再びこの町で暮らせるのはいつになるだろうか。 

   西村栄泰さん(55)も、震災で大きく損傷した築150年という古い家を取り壊し、車庫を改造して奥さんと息子とで暮らしている。自宅は地震から1ヶ月後に解体した。その際、車庫に畳を敷き、家財道具を運び入れた。天井のトタン板は雨音がうるさいので防水シートをかぶせている。「車庫の電気だけでは暗いので、ブレーカーをつけてもうひとつ電灯を増やした。配線も全部自分でやった。水道も全部自分で配管した。トイレも家から運び出して、自分で下水につないだんだよ」というから凄い。まだガスが復旧していないので、プロパンガスのボンベを調達してコンロにつないだ。いずれ復旧した時に備えて風呂も運んである。その「サバイバル」精神には感嘆させられるばかりだ。 
   西村さんの仕事は解体処理業者だ。毎朝自動車で大阪まで仕事に向かうが、復興車両優先の交通規制のため、早朝に出発しなければならないので大変だ。早朝4時に出発して、帰宅は深夜2時というのも珍しくない。ある時は芦屋から裏六甲を越え、凍結した路面で車が滑るなか、「死ぬ思い」をして帰ってきたという。 
   在日韓国人2世である西村さんのもとには、地震の後、韓国にいる親類から安否を心配する国際電話が相次いでかかってきた。3人の娘たちが嫁いだ大阪からは、物資を積んで娘婿たちがかけつけてきた。「危ないから来んでいいと言うたのにな。でも無事に来てくれた時はうれしくて、お互いに大泣きしたよ」と、当時を思い出して笑う。人情家の西村さんは、近所でも救助活動の手助けに奮闘し、1月に会った時も通りがかる人たちから口々にお礼を言われていた。 
   「震災で人の心がよく見えてきたなあ」と西村さんは語る。隣近所、親類を問わず、助け合える人とそうでない人が、震災をきっかけにはっきりわかったという。「この人にこんな面があったのかと思わされることも多かった。百人百様じゃなくて二百様だよ」と言う。その一方で、「昔の『隣保』のような、近所のよしみというのはやっぱり大事だね」とも語る。助け合える人たちの間では、以前にも増してつながりが深まっているのだった。 

   西村さんの案内で、同じ在日2世の友人のKさん(54)を長田区の自宅に訪ねた。自宅は全壊の認定を受けた。外見よりも内部の損傷がひどく、そのために一度は半壊とされ、再調査で全壊に認定された。壁が剥がれモルタルがむき出しになったり、台所の流し台と壁の間に大きな隙間が空いている。屋根に登らせてもらうと、三角の部分が潰れて平らになっていた。その分2階の天井が重みでたわんでいる。2軒隣の家では死者も出た。「前日に会った人が亡くなっていたり、運が生死を分けるのだろうか」と感じている。 
   Kさん一家4人は、日中をこの家で過ごし、夜は地域の仮設住宅で暮らしている。「ここは同和地区なので、市営住宅を建てたり、建替えの間に住むための仮設住宅が常時建ててあるのです」と言う。本来は緊急用ではないのだが、地元の自治会長の判断で、被災した住民はここに身を寄せている。 
   「1ヶ月経つまでは余震が怖くて気持ちが落ち着かなかった」とKさんが振り返る。「最初の頃は夜が怖かった。暗闇がいちばんこたえた。電気のありがたさを実感した」と言う。地震発生直後、神戸の街は夜になると街灯も家の灯りもない暗闇だった。自転車を走らせていても、1m先も見通せない恐怖を感じた。被災者たちは皆、幾日もそんな夜を送り、「暗闇の恐怖」と闘ってきたのである。 
   Kさんも、「地域のつながりの大切さを再認識した」と言う。それだけに「最初は政府はもっと早く対応していると思っていた。後でテレビを見て、ごっつう手ぬるいなあと思った」と、行政には失望していた。被災地での人々のつながりを見るたび、その「外側」にいる者に対し、こんな疑問が募ってくる。「日本人は、昔から他人に対してこんなに冷たかったのだろうか」と。(■つづく)

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