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阪神大震災現地ルポ 第9回/住民はバラバラ

■月刊『記録』96年2月掲載記事

■ 11月10日

 震災ボランティア活動を続けている大阪の加納雄二弁護士に会った。加納さんは地震発生直後、オフロードバイクで被災地に通い、救援活動に携わった。以来、中央区避難所代表者会議に参加している。中央区で活動しているのは「マスコミ報道で長田に注目が集まった頃、こっちは全く放置されていた」からだった。これには思い当たるところがある。初めて生田川公園を取材した頃の小橋千津子達被災住民の窮状は、まさにそのことに起因していた。テント村に支給されていたのは毛布1枚のみ。洗濯機や流し台を調達してきたのはボランティア。すぐ近くに市役所と区役所があるのに、職員が巡回に来たことは1度としてなかった。「灯台もと暗し」というには、状況はあまりにも酷すぎた。
 
 加納さんは、毎回の代表者会議に出席の都度、簡単なレポートを関係者に配布している。最近は、ポートアイランドに建設された仮設住宅「団地」について報告している。床下に雨水が溜まり湿気が多い、街灯が少なく夜は真っ暗で危険といい、「仮設住宅の長期化、スラム化、姥捨山化は必至。今後活動の中心は仮設の自治会の結成、居住環境の設備等となろう」と述べている。

■ 11月20日
 
 11日に、仮設住宅の環境改善や心のケアの問題について、神戸市も交えて被災者が話し合う「市民交流集会」が催された。その様子を加納さんから電話で聞いた。「仮設の団地から消防署まで遠いので、団地内の消化器の設置数をもっと増やしてほしいなどの要望が住民から出された」という。 

 住民の行政に対するスタンスは、それぞれに思惑が違うからバラバラ。それが一因で住民間の反目も起きている。「市民交流集会」に集まった住民は、強いていえば「行政協調型」になる。長田区で仮設住宅・店舗集合施設「パラール」を運営している「久二塚区震災復興まちづくり協議会」も同様だ。10月に東充事務局長を訪ねると「以前ある雑誌の取材を受けた後、神戸市に何であんな取材を受けたと言われた」とかで、取材には慎重になっていた。行政との関係を象徴している。市長の態度も、オール与党の市議会議長が所属する公明と関係の深い『潮』の取材には応じたように「メリットがなければ取材には応じない」(広報課)。神戸市は、良好な関係にある住民組織には、自分と同じように取材に応じる相手を差別しろと、その広報活動まで統制下におこうとしている。もともと再開発や区画整理に伴って設立される「まちづくり協議会」は、法律で行政から助成金を得られることになっているから、行政との関係も一体的となる場合が多い。 

 これに対して「兵庫県被災者連絡会」は、さしずめ「対決型」になる。行政への強硬姿勢に対しては、実は被災住民の間でも毀誉褒貶が激しい。地震から日が経ち「日常性」を取り戻すにつれ、テント村などに対する周辺住民の視線が冷たくなっていることも、そのあらわれだろう。カトリック鷹取協会「救援基地」が被災ベトナム人のための紙製ログハウスをテント村に建設した際、一部の「対決型」住民との間に摩擦が生じたこともあった。精力的に救援活動を続ける同教会に対しても「作業音がうるさいと近所から苦情を言う人が出てきた」と、神田裕神父が語った。 
 住民組織のとるべき立場として、どちらが良いのか、正直にいってわからない。行政との連携がなければ、住宅問題ひとつとっても、復興計画の実効性に乏しいことは否定し難い、しかし、震災直後から今日まで反省と改善もない、神戸市の「人を人とも思わない」体質を不問にして、住民本位の復興などあり得るのか、とも思う。

■ 12月6日
 
 震災から1周年の1月16日夜から17日朝にかけて、長田区では「震災を語り継ぐ夜-朝まで長田」が開かれることになった。住民グループ「防災を語る会」の主催で、連絡窓口役は三谷真さんだ。「具体的な集会の内容は未定だが、とにかく徹夜で語り明かす、飲み明かす集会を開くことだけは決まった」と語る。午後10時から鎮魂の火をともし、地震発生時刻の午前5時46分に黙祷を捧げる。当日までは「市民語り部キャラバン隊」が東京を訪れ、集会をもつ。13日は墨田区で「一言言問」と銘打ち、14日は中野区に会場を移して、震災を語り継ぐ集会が開催される。 
 この号が発売される頃は既に1周年を過ぎているから、1ヶ月遅れの報告になるが、次回は、これらの集会をはじめ、1年後の被災地の現状を伝えることができると思う。

■ 12月8日
 
 兵庫県被災者連絡会の田中健吾事務局員に電話で状況を尋ねた。市庁舎前の「前線基地」はいまも置いている。避難所で生活している被災者3人が生活保護を申請していたが、稼働能力がある、親の簡易保険は預貯金と同じなどの理由で、11月30日付で却下された。田中さんが「行政は、仮設住宅に行かずに避難所で暮らしている被災者には、生活保護を認めようとしない」と話す。避難所住民は「住所不定」扱いされているということか。

 今月20日で「旧避難所」(行政はテント村などをこう呼ぶ)も解消されると新聞が報道したので、「確認と対策にあたっている」という。夏の避難所閉鎖も、報道されるまで住民には何の通知もなかった。一旦報道されてしまえば、それは「既成事実」と化す。未解決の問題を残して、既成事実ばかりが積み重ねられていく。 (■つづく)

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