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鎌田慧の現代を斬る/被災者見殺しは犯罪だ

■月刊「記録」1996年11月号掲載記事(記載は掲載当時のままです)

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■100人を超える孤独死

 阪神大震災から1年8ヶ月が過ぎ、この間の仮設住宅での孤独死は103人を超えた。死因は病死が90%を超えている。年齢別では60歳代がもっとも多い。
 最近では月に7~8人の被災者が死亡している。これは異常なことだ。大震災による6300人もの大量の死者は天災によるものではない。押しつぶされた家の奥に残っていた人達が、何の救いもなく悲惨にも死んでいったのは、人災によるものだ。
 地震列島にもかかわらず、人命救助が優先されない街づくりをしていた結果だろう。さらに日常生活の中で、100人以上の死者が発生したことは明らかに政治問題だ。住民の安全に責任のある行政が、死者の発生をいっこうにくい止められない事態は責任問題だ。
 9月29日に神戸市の人口島ポートアイランドの第6仮設住宅で亡くなった山下政夫さん(38)は、11月末に死亡していた。10ヶ月も経ってから遺体が発見されたということは、死んだ後10ヶ月ばかりか、生前から住居に誰も訪問していなかったということだ。38歳という年令に注目してほしい。
 仮設住宅は市街地からの交通の不便な場所に設置したこともあり、いったん入居したものの不便なために引っ越していく例も多い。そのため仮設住宅は櫛の歯が抜けたようになっている。これは仮設住宅を設置した思想が、人々にとっての生活の便利さを考えなかったことを示している。
 さらに問題なのは、かつて住んでいた地域をバラバラにして仮設住宅に配分したため、地域のつながりが断ち切られ人々のつながりを薄いものにしてしまったことだ。このような事態は、島原や奥尻の被災者などには見られなかった。ここにも神戸市などが進めてきた開発姿勢、つまり建物だけ作ればそれでいいというような思想が如実に現れている。人は人間的つながりを断ち切られては生きていけない。にもかかわらず行政の都市計画は、震災前から人のつながりを、まったく考慮に入れていなかった。
 家族や友人を失い、ひとり取り残されて生活する住民のストレスに対して行政は無関心だった。ストレスをやわらげるための人間的な手立てが、まったくなかった。このように人間の生活を考えない発想が、多くの被災者を見殺しにしているといっても過言ではない。
 島原、奥尻の場合は、同じ町内会の人達がおなじ場所に建てられた仮設住宅で暮らしていた。人のつながりは今まで通りのため、誰がどのような状態なのか、精神状態や健康などたがいに情報が交換できた。
 神戸の「103人目」の死者のように10ヶ月以上も放置されてた孤独死が報じられると、行政も反省しているかのようなコメントを発表するが、放置された遺体が発見されたのは、これが初めてではない。2、3ヶ月という例は、数件あった。まったく反省していない証拠である。なんら将来の希望を与えていなかったのだから、孤独死がなくなるはずもない。

■「仮設」のあとが決まっていない

 このような状況が報じられる一方で、阪神高速道路が開通し、いかにも復興が進んでいるように喧伝されている。たしかに神戸の町を歩いていると、焼け跡や瓦礫の山は片づけられ、空き地や駐車所になっていたりする。悲惨な体験は、外からでは見えにくくなっているのだ。神戸祭りや花火大会も開催され、地下街や繁華街の明かりも、震災前と同じようにまばゆいばかりだ。まちを歩く人たちも、あの時期の悲惨な表情は見られないように感じられる。
 もちろんいつまでも悲惨な状況に打ちひしがれているわけにもいかない。街に明るさが戻り、「復興」が進んでいることは喜ぶべきことだが、この「復興」だけがおおてをふって歩いているのは問題だ。死者や生き残った被災者の苦悩を受けとめないままの「復興」が進められている。神戸市行政は被害を拡大してたにもかかわらず、震災に対する反省がほとんどない。
 たとえば、笹山幸俊神戸市長は、瀬戸内海を潰して神戸空港を造る計画をいまだに変えていない。「交通のアクセスの多様化が必要で、防災面でも空港の重要性はました」と市長は発言しているが、ここにも建築物さえ造れば復興はことたりるといった発想がある。
 今年9月に行われた調査によれば、神戸市民向けの仮設住宅の入居戸数は27575戸で、57786人が仮設住宅での生活を余儀なくされていることがわかった。また今年の8月の調査では、神戸市内の旧避難所に260人(117世帯)、待機所には96人(62世帯)が暮らしていることが判明した。神戸市だけでもこれだけの人が不自由な環境で生活している。さらに公園などで生活している人も相当数いるのだ。この人達の落ち着き先はいまだに決まっていない。
 このような住居の不安に加え、失業の不安が被災者にダブルパンチを与えている。人間だれしも職業を奪われるだけで強い不安に襲われるものだが、それに加えて安心できる住宅を奪われ、家族さえ奪われている。そんなひとり暮らしの人達の不安の解消のために、政府と自治体が手を打つべきなのに、仮設住宅の使用期間は2年(3年に延びる場合もある)となっている。
 仮設住宅を出た被災者が、仮設住宅よりも安く住宅を借りられることはない。しかも低家賃住宅の建設は圧倒的に少ない。せまい空間に押し込められ、将来のあてもなく生活の不安がつきまとう状況では、病気、精神障害、自殺、アルコール依存症などをわずらうのは当然といえる。毎月、7~8人の死者を出して平然としている自治体の責任を、声を大にして追及すべきだ。

■人命よりも再開発

 被災者を追いつめているのは、地方行政だけではない。95年に村山富市首相が復興の特別立法には私権制限を服務処置を含むと発言して以来、政府はなんら軌道修正をしていない。死亡者ばかりか、不安に苛まれている被災者をも見捨てている。日本国家の方針は、どんな大きな災害が起こっても、被災者の私有財産に国が介入すべきではないと、言うきりだ。島原、奥尻でも公的補助は見おくられてきた。住民は特別立法を強く要求したが認められていない。神戸市民も公的補助を受けるために、市民立法のための運動を始めている。
 政府はいつまで個人補償を認めないつもりなのか。島原、奥尻は、それでもまだ被災者の数が少なく、義援金で息をつけた。ところが神戸のような大規模な災害になれば、国民の善意ではもはや解決できない。こういうときこそ国民の生活を擁護するのが国家の義務だ。
 住専問題のように企業と資本家を救うためには、さっさと血税を支払うのにもかかわらず、生き死にの苦しみをあじわっている人民を助けないとは、まるで戦争の論理だ。強い者が残り、弱い者が死んでいくしか仕方がないというのは淘汰の論理であって、人権や民主主義とは敵対する考え方といえる。
 再開発問題でも同じようなことが起こっている。災害に強い街をつくるという名目で、地方自治体は「減歩」という方式で市民の財産を、無料で没収しようとしているのだ。混乱とどさくさに紛れて公共事業を推進するのが、都市の再開発と呼ばれる代物だ。被災住民は救済するのが大前提だ。ところが震災以前に計画していた事業を強行するというのは、人命よりも事業という意識のあらわれである。
 そんな行政の姿勢に対し、いまなお根強い住民の反対がある。都市の再開発は被災者の住宅を中心にすえ、住み良い街につくり替えるべきだ。ところが大規模再開発によって、住民が土地を離れなければならないのでは本末転倒だ。残念ながら住民の立場に立ってまちづくりをしようとする政党はない。神戸市の「再開発」に諸手を挙げて賛成している。これはかつての労組の主張でもある。
 作家の小田実さんや市民運動家は、市民を中心とした再開発を行う「生活再建援助法案」を発表している。私もこのプランには全面的に賛成である。政府、官庁、政党に問題解決を陳情するこれまでの政治のあり方を根本的に変え、運動によって実態を変えていこうとするのは、自分たちの運命は自分たちで決めるという住民運動の姿勢である。
 最近はじまった第三次支給受付では、総所得が690万円以下の世帯に10万円の支給するものだったが、約15万世帯が殺到したという。被災者がいかに生活に困り、政府がいかに無策なのかを示している事例だ。
 地震国である日本では、さまざまな地域で大災害が見込まれている。政府と自治体による住民の見殺しを許さないことが重要だ。神戸住民の問題は、火山列島に住むわれわれすべての問題である。 (■談)

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